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こっちが本好きだからって、適当な本を押し付けてくるの止めろ

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どうもどうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

読書家の怒りを記しておくから、脳みそに刻んどけ。物理的に。

 

 

本好きだからって雑に勧めてくんな

 

私は日々読書中毒ブロガーとして、ネットで不特定多数の方々に、私が面白いと思った本をオススメする活動を行なっている。

日常的に本を読んでおり、場所時間を問わず、めちゃくちゃに読みまくっていて、私のことを本好きだと知らない人は周囲に存在しない。

だからなのか、本に関する話題が出たときなどに、都合のいい使い方をされることがある。

 

代表的なのがこれだ。

 

「もう読まないんだけど、この本いる?」

 

 

本人に悪意がないのは重々承知しているが、控えめに言って殺意である。控えめに言わなかったら殺したい意思である。

 

きっとこちらが本好きだと知っているがゆえの、優しさというか親切心というか、私が喜ぶと思っての発言だと思われる。大まかに分類したら善意のカテゴリーに含まれるだろう。必要ない人から必要としている人へ。限りある地球の資源を、循環していく。素晴らしい崇高な理念を持っているのかもしれない。これが噂のこんまりメソッドか。

だがだ。私からしたらこの発言はこのように変換される。

「自分にとってはゴミだけど、お前にとってはご馳走なんだろ?やるよ」

解釈に悪意がありすぎるだろうか。そんなことはない。まったくもって同じ意味である。ちょっと語調が強いだけだ。

 

 

 

本好きに本を渡すということ

 

食べ物に例えたら分かりやすいかもしれない。

普段からご飯を食べている人を見かけたからって、余ったご飯をあげるか、という話だ。

普段から本を読んでいるやつに、いらない本をあげるっていうのは、そういうことだ。

 

もしかしたら「ただでご飯を貰えるなら、貰ったほうが得じゃん!」と思われる生粋の貧乏性の方もいるかもしれない。それは言えている。しかしながら、自分で例えておいてなんだが本は食べ物ではない

一口に本といっても数え切れないほどのジャンルがあって、好みが大きく左右する。文字が書いてありゃいいってもんじゃないし、紙にインクが付いてりゃいいってもんじゃない。もしそれでOKなんだったら、最初っからインクを直に眺めてるから。

 

ああそうか、音楽に例えればいいのか。

音楽をよく聴く人がいるからって、実家で放置されてる布施明のカセットを渡したりしないだろう。そういうことだ。ふう、やっと芯食った例えができたな。

 

 

東野圭吾を勧めてくるのも止めろ

 

読書ビギナー(自覚がない人)に多いのだが、東野圭吾を勧められるのもきっつい。

別にマニアぶって、にわかをバカにしているわけじゃない。

小説マニアからしたら、東野圭吾はもうインフラなだけ。「東野圭吾って作家が面白いから読んでみて」は、こっちからしたら「蛇口をひねると水が出るから便利だよ」と言われてるのと同じレベル。紀元前の話題なのだ。ミイラにでもしてくれ、そんな話。

 

根本的な話なのだが、本好きはすでに自分で面白い本を探せるのだ

しかも自分の性癖を誰よりも把握しているから、他人から勧められるような遠い作品じゃなくて、快感ポイントをグリグリ刺激ような作品を見つけられる。 

 

それにもっと言えば、他人から本を貰っている余裕なんてない

読みたい本が常に頭の中にあるし、山ほどブックマークをしてるし、積ん読という名の愛人も家で順番待ちしている。他人から勧められる本を差し込むスペースがないのだ。

でも私のような小心者で気い使いさんは、他人から勧められた善意を無下に断ることもできず、「はぁ…じゃあ時間があるときにでも読んでみますね…」と受け取ってしまう。そのまま借り続けているのも気持ち悪いので、泣く泣く長年の愛人たちを差し置いて、先に読む。カラオケでパンパンに予約が入っているときに割り込まれた気分だ。マナーを知れ。マナーを。

 

 

「〇〇って面白い?」

 

あと、やたらと本に詳しいキャラに仕立て上げるのも止めてくれ。

よくあるのが、映画化された原作小説に対して「〇〇って面白いの?」と完全にこちらが読破済みであることを前提に話しかけてくるパターン。知らねえよ。お前がたまたま興味を持った本なんて。

この世にどれだけの小説があるか知らないが、人生のすべての時間を費やす×100ぐらい使っても全然足りないぐらいの作品があるのは間違いない。なのにそんなことは1ミリも考えずに「知ってるでしょ?」と聞いてくる奴ら。お前らがたまたま興味を持った小説を私が事前に読んでる可能性って、どんだけ低いんだよ。ちょっとは考えろよ。想像力って知ってる?

 

それにもし私がその本を読んでいたとして、なおかつ面白かったと思っていたとして、だからなんなのだろうか。

それは私の感想でしかない。私がバナナを美味しいと思っているからといって、そいつがバナナを美味しいと感じる理由にはならない。大体にして私はバナナが嫌いだ。バナナが私を嫌いかどうかは知らない。

もっと言えば、そいつが本好きになっていない時点で、私が面白いと感じるものを面白いと感じないことの証明なのだから、私の感想なんてまったくクソほども役にも立たないのだ。

 

悪文が多めの記事になってしまったが、それだけ私が怒っている証拠ということで。

 

以上。

 

 

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