どうも。読書中毒のひろたつです。
私が読書にハマったのは中学のとき。それからというもの、とにかく時間があれば常に読書をしてきた。みんながゲームをしているときも、テレビを観ているときも、バンドなんかやっているときも、友達と思い出作りをしているときも、それを尻目に私はずっと本を読んでいた。それぐらい夢中になっていた。
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読書にはメリットとデメリットがある
私の人生のほとんどを侵食しているこの「読書」だが、そのメリットを挙げていたら数万字レベルの記事になってしまうので、今回は割愛させてもらう。大体にしてそんな記事誰も読まんだろうしな。
今回の記事は、「読書」の数少ないデメリットの話である。
そう読書にもデメリットがあるのだ。
簡単に言うと、「ひとりでしか楽しめないこと」である。
それだけであれば別段何も問題ではないのだが、これによって周囲の人間からちょっかいを受けることがあるのだ。
私のように、時間があればどこだろうと、誰といようともお構いなしに本を読み始めるような人間であれば尚更である。 たくさんのちょっかいを受けてきた。
そこで過去私が受けてきた、そして今も受け続けているクソみたいなちょっかいを「殺意が湧いたランキング」形式で紹介したいと思う。
本来であれば怒りに任せて、どれだけ不愉快なことをされているかを書き殴りたい所であるが、それではせっかくこんな記事を読みに来てくれた方に申し訳ないし、あまりにも自己中心的すぎる。読書家にちょっかいを出すような自分のことしか考えていない奴らと同じになってしまう。せめてものサービス精神を発揮したいと思う。
これは読書を愛する全ての人の怒りを代弁するための記事であり、さらにはその孤高の世界に水を差してくるウンコみたいな奴らへの宣戦布告である。
刮目せよ。
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10位 お構いなしに話しかけてくる
こちらが本の世界に没頭しているにも関わらずお構いなしに話しかけてくる奴がいる。
集中しているのを邪魔されるのは甚だ不愉快ではあるが、そうやって話しかけてくる輩というのは、読書をスマホいじりと同じようなものだと思っているフシがある。あまり罪の意識がない。無垢な子供のようなものである。
すぐそこにいるし、手元の本に目を落としているだけ。確かにパッと見には読書をしている人というのは、話しかけても平気そうである。
しかし読書中の人というのは、本の中に完全に入り込んでいる。
テレビを観ているときやスマホをいじっているのとはわけが違うのだ。テレビやスマホは勝手に情報が流れ込んでくるが、本というのは自分から読み進め、頭のなかで世界を構築しなければ情報として入ってこない。とても会話しながらできるようなものではないのだ。
たぶん、お構いなしに話しかけてくるアホというのはこれを分かっていないだけなのだ。
つまり可哀想な奴なのである。だから殺意度は低めである。
こういった輩には、そっと本を閉じることで「同時進行はできないんだよ」と教えてあげよう。きっとアホだから「本よりも自分を優先してくれた!」と大喜びしてしまうだけだろうが。
どちらにしろ地獄である。
9位 何読んでんの?
これも話しかけてくるのと同じことなのだが、頻出度が高いので順位を上げさせてもらった。
さきほどの10位の場合は、完全に無知からくる「話しかけ」であり、不快ではあるもののそこまで責められるものではない。責めたいがな。
しかしこれは違う。意識してこちらを阻害してきている。
こちらが本を読んでいることを分かった上で、あえて質問しているのだ。
「何読んでるの?」
それを聞いてどうするつもりなのだろうか。
「俺も読んだことあるよ~」とでも言うつもりなのか。今読んでいる私にそれを言ってどうするつもりだ。感想でも言うつもりなのか。ネタバレすんな。
こちらも大人だ。いくら読書中だろうと、相手の行為が不快だろうと、無視する訳にはいかない。正直に答える。
「占星術殺人事件です」
「全然知らない」
なんだこのやり取りは。殺意以外の何物でもないだろう。
まるで知らない作品を読んでいることにガッカリしたかのようなセリフ。まるでこちらが期待に応えられなかったかのようなつまらなそうな顔。
肛門に『暗黒館の殺人』を突っ込みたくなるレベルである。
こういった輩には最初から「超マイナーな本なんで言っても分からないと思いますよ」と牽制しておく。それでも「で、何読んでんの?」と絡んでくる奴には「カナブンの冒険」とかなんとか適当に考えたタイトルでも言っておこう。
8位 面白い?
読んでいる真っ最中にも関わらず、面白いかどうかを聞いてくる奴がいる。
うん、それを今確かめてるんだよ。あなたには分からないかもしれないけど、読書ってのはその本が面白いかどうかを確かめる行為なんだよ。
大体にしてこの質問だって不毛の極みである。3パターンにしか展開しない。
①「面白いですよ」
②「まあまあですかね」(まだつまらない)
③「まだ分かりませんね」(判断がつかない)
これに対して奴の答えはこれひとつだ。
「へえ~」
それを言いたいがためわざわざ話しかけてきたのかな?それともへぇボタンと同じレベルの機能しか持ち合わせていないのかな?
よく聞け。もしその時点でその本が面白かったとしたら、お前の質問で水を差されたことによって面白さは激減している。読書ってのは集中力が鍵なんだ。私たちをお前の「へぇ~」と言いたい欲求を満たすためのサンドバッグにするのは止めてくれ。
この質問をしてくる奴に私はこう答えるようにしている。
「つまんないですね」
そうすると奴はアホみたいな顔をしながら決まってこう言う。
「じゃあ何で読んでるの?」
そうしたらこう答えてお終いである。
「読むのが好きだからです」
7位 表紙を見ようとしてくる
これは少し分かりにくいかもしれないので、図で表してみた。絵が下手なのは勘弁してもらいたい。
本の奥から誰かの視線を感じる。というかすでに視界に入ってる。わざわざ屈みこんでまでこちらが何を読んでいるのか確認しようとしてくる。
私にはよく分からないのだが、本を読まない連中というのは何かにつけてこちらが何を読んでいるのか知ろうとしてくる。知った所で何にもならないのにも関わらずだ。
ちなみに本好きの場合は違う。知らない人だろうが知っている人だろうが何を読んでいるのかはかなり気になったりする。しかしその場合、わざわざ屈みこんでまで確認するようなマネはしないし、自然と確認できればそれでいいのだ。
すでに読んだ作品であれば、胸の裡で感想を述べたりし、未読の作品であれば妙な敗北感を味わったりする。それもまた愉しである。
でも本を読まない奴らはそんな嗜み方をしないだろう?他人が読んでいる本を知った所で何も得るものはないだろう?
それともあれか。何読んでるのか知ると、まるでこちらの秘密でも知ったような気持ちにでもなるのか?こちらの何かが分かったような気になるのか?
はいはい、すごいすごい。降参ですよ降参。参った参った。だから放っておいてくれ。
この「表紙を見ようとしてくる」がなぜこの順位なのかと言うと、黙ってこっそり覗き込んできてるのに、でもわざわざこちらの視界に入ってくる感じが、「失礼のないように確認してまっせ~」と言っているようで堪らなく不快なのだ。失礼のないようにするんだったら最初からちょっかい出さんでくれ。それをこちらに感じさせているだけで、十分不快だから。失礼だから。
これへの対処法はない。別に話しかけてくるわけではないのだ。わざわざこちらから話しかける必要もないだろう。できるとすれば、静かに本を傾けてやることで、奴の欲求を満たしてやるか、逆にさらに隠すである。できれば隠してもらいたい。これは戦いなのだから。
6位 覗き込んでくる
私が人気者だからいけないのだろうか。それともただ単に邪魔したいだけなのだろうか。
本と私の間に顔を突っ込んでくる奴がいる。
※イメージ画像
これには2パターンあって、相手をして欲しくてこちらを覗き込んでくるタイプと、本の中身を覗いてくるタイプがいる。
どちらも不快極まりないので、大差ない。罪深い。が、まずはこちらを覗き込んでくタイプについて話そう。上の画像のような奴だ。…それにしても腹立つ顔である。
読書というのはひとりで楽しむことができる。孤独であることが重要な要素になる。
しかし世の中にはひとりで時間を潰せない人間がいる。奴らは他人と絡むことでしか生を感じることができない。他人がいなければ楽しむことができない。孤独なんてまっぴらごめんで、孤独を意識した途端、奴らはウサギのように息絶えることだろう。
つまり奴らは生きていくために仕方なく我々の読書を邪魔しているのだ。自らの生命と他人の楽しみ。天秤にかけるまでもない問題なのだ。
その通りだ、勝手に息絶えてろ。
次は本の中身を覗き込んでくる奴である。
奴らが割り込んできたことで、当然私は読書を中断している。私の視界には奴の後頭部しか映っていないからだ。そこから何かを感じられるほど私は純文学な人間ではない。それを未熟だと責められる言われはない。
奴らはいきなり現れて、いきなり途中からの本を確認することで何を得るのだろうか?
それだけで何か分かるのだろうか?
試しに今、手元にある本を適当に開いてそこから何か読み取ってみようか。
スも顔と名前を知っている人物ードナルド・トランプ級の富豪ーにエスコートされていた。彼女の成功を象徴するものはもう一つある。それはいまサックスとフラハーティが座っている、ワン・ポリス・プラザのオフィスの広さだ。
…。
くそつまらねえ…。
人にはレベルというものがある。あまりにもレベルが違うとお互いに何を考えているのか分からなくなってしまうものだ。レベルの違う人間と話すぐらいだったら、犬猫と話したほうがよっぽど実りある会話になることだろう。レベルというのはそれくらい残酷なのである。
割り込んでまで読みかけの本の文章を確認したくなる衝動を理解することは、私には到底できそうにない。きっとそれは奴らがよっぽどアホなのか、相当に高尚であるかのどちらかである。
そしてどちらだろうが、私が不快なことには変わりない。
5位 「官能小説?」
会社の休憩室で本を読んでいるとき、近くにオッサン上司がいたとしたら、98%ぐらいの確率でこの「官能小説?」という質問が出てくる。残りの2%は官能小説という言葉を知らなくて「エロい小説でしょ?」と聞くタイプである。
なぜオッサンは隙あらばエロを絡めたくなるのだろうか。なぜそれを面白いと思ってしまうのだろうか?
オッサン「『小説=真面目なもの』なんだから、その真逆である『エロ』を足したら、緊張と緩和が発生して面白いんじゃない?!」
ということなのだろうか。短絡的にもほどがある。
それはもううちの四歳児が何の流れも関係なしに「うんち!」と叫ぶのと変わらないだろ。40、50にもなってそんなこと言ってるんだから、レベル的にはむしろ下がってるんじゃないのか?
一回一回の不快度はいくらか低めだが、言われる数があまりにも圧倒的なので5位とさせていただいた。
もし「官能小説?」を使ったことがあるオッサンがこの記事を読んでいたら、知っておいてもらいたい。
もしかしたらあんたが言った後に相手は笑ったかもしれんが、それ愛想笑いだから。純度100%の愛想笑いだから。愛想笑いって、顔は笑ってるけど腹の中は不快感で満タンだから。愛想笑いをするたびにあんたのこと嫌いになってるから。それを知っておいてくれ。あんたが「官能小説」と言う度に徳が無くなってるから。
地獄で後悔すんなよ。
4位 「勉強家だねぇ」
何を勘違いしているのか知らんが、こちらが本を読んでいると「勉強家だねぇ」と褒めているんだかバカにしているだかよく分からないことを言われる。
読書なんてのは趣味だ。勉強なんて言う苦行ではない。むしろムダなものである。
本を読んで頭が良くなるとでも思っているのだろうか?それとも本を読まない自分に劣等感でも感じているのだろうか?
そもそも話しかけるんじゃねえ、という話なのだがそれよりもその評論家気取りな態度が腹立つ。評価してんじゃねえ。観察してんじゃねえ。ジャンル分けすんじゃねえ。
だったらお礼にお前もジャンル分けしてやろうか?
そうだなあ。よし、お前は明日から「邪魔者」だ。読書をしている人を邪魔する邪魔者。勝手に他人にレッテル張りすることで人生にムダな障害を設ける邪魔者。
…。
すまん、ちょっと言い過ぎたかもしれない。別にいいよ、私をどんなものにジャンル分けしようが、読書している人を「エラいやつ」にしようが。
ただ本当に「勉強家」とか「エラいやつ」だと思ってるんだったら、邪魔しないでくれ。それが貴重な時間だって分かってるんだろう?勉強している時間だと思ってるんだろう?
結局のところ、そうやって話しかけてくるってことは本当に「勉強してる」と思ってないってことなんじゃないか?
3位 「いつも本読んでんの?」
そうだけど、それが何か?
2位 中を見ようと本を傾けてくる
さあ、そろそろこのデスランキングも終わりを迎えようとしている。
皆さん楽しんでいただけているだろうか。あまりにも怒りをぶつけすぎているので、皆さんが不快にならないか、それだけが心配である。
さてランキングに戻ろう。
これはまたまた本を確認してくる系である。そしてそのタイプの中で私がもっとも殺意に見舞われる行いである。
こんな感じ。
これ大っ嫌い。
何なの?ここまで来ると、話しかけられてた頃が幸せに思えるよ。
わざわざ自分の方に向かって本を傾けるという暴挙に加え、さっきも書いた通り、それだけのことをした所で得るものは何もない。つまりまったく意味がない行為。意味がない行為をするためだけにこちらを不快にさせる。読書を邪魔する。
俺が法を司る存在じゃなかったことを感謝するんだな。もしもボックスがあったら大変なことになってたぞ。
ほんとお願いだから、読書中の奴に話しかけたりちょっかい出したりするのは止めてくれ。何度も書くけどお前らが得るものなんてないんだよ。寂しんだったら素直に「相手してくれ」って言えよ。何でそんなやり方しかできねえんだよ。
っていうかこっちはお前らと話す時間があったら一文字でも多く本を読みたいんだよ。話し相手が欲しいんだったら、鏡でも携帯してろよ。寂しくなったら自分に話しかければいいだろ。
そうしてれば直に警察とかお医者さんが話し相手になってくれるだろうよ。
そうなりゃ本望だろ?
1位 「もっと楽しいことがあるのに」
さあ栄えある第1位はこれである。
これを言われたことは過去に一度しかない。しかしあまりにも強烈だったので文句なしの1位だ。
これを言ったのは会社の上司だった。
私が喫煙所でいつも通り本を読んでいると、少し離れた所から「いつも読んでいるのか?」(第3位)と聞いてきた。イラッとしながらも私は「時間があるときはいつも読んでますよ」とそっけなく答えた。
上司は「休みの日に出掛けたりとはしないのか?」とさらに聞いてくる。しつけえなぁ、と思いながらも「そうですね。あんまり出掛けるのは好きじゃないですね。本読んでる方が楽しいです」と答えた。そこへこのセリフである。
「もっと楽しいことがあるのになぁ…」
私のことを哀れんでいるのはその表情を見れば一目瞭然。その後、上司は窓の外を虚ろに見ながら煙草を無言でくゆらし続けた。
その姿はとても楽しそうには見えなかった。
言葉の不快感とかそういうレベルではない。ただ私が出掛けることよりも読書を優先しているだけで、何か人生の楽しみを捨て去っているかのような語り口が衝撃的だったのだ。人格否定もいい所である。
限られた人生だ。ひとりひとり手持ちの時間をどれに費やそうがその人の勝手であり、そもそも楽しみなんて他人が決めることではない。
そんなことは常識だと私は思っていたのだが、どうやら違ったようだ。それなりの歳を重ねても、社会的地位を得ているような人でも分かっていないようなことなのだ。
ひとりでいるよりも誰かといる方が。ひとりで楽しむよりもみんなで楽しむ方が。家の中よりも外の方が。
そんな価値観が蔓延していて困る。
ここから学んだことは、「少なくとも自分は他人の楽しみを否定しない人間になろう」というものである。
まあそれが「本を読んでいる人の邪魔をすること」だったら全力で抵抗するがな。
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楽しんでいただけただろうか?
勢いに任せて書き散らかしたこの記事。楽しんでいただけただろうか。いくらか暴力的な表現は散見されるがこれでも何度かマイ検閲を通している。これ以上穏便に語ることはできないテーマだったのだ。どうか受け入れてもらいたい。
読書好きというのは、これだけエンタメが溢れかえっているこの世の中では限りなく少数派である。周りを見渡せば読書家なんてほとんどいないと分かる。
だが、だからこそ私は胸を張って「自分は本を愛している」と言いたい。そう愛しているのだ。
他人から蔑まれようが、邪魔されようが関係ない。どんなことがあろうと私はこれからも本を必要として生きていく。
数少ない私の仲間たちに言いたい。
どうかこれからも本を愛し続けて欲しい。
これは私の些細な願いである。
そして本に興味がない人に言いたい。
放っとけ。
これは私からの命令である。
以上。