どうも。結果が伴わないブロガーのひろたつです。
今回はブロガーの永遠の夢である「バズ」についてである。
そもそもバズって?
バズについて書こうと思ったが、アホな私はそもそも「バズ」という言葉の意味について正確に知らなかった。これではバズについて語る資格などない。
ということ資格を取りに行った。ネットは手軽で助かる。
特定の単語や物事がインターネット上で爆発的に多くの人に取り上げられることを意味する語。TwitterやFacebookなどのSNSで急に話題となった時に用いられることが多い。「口コミ」という意味のマーケティング用語「Buzz」を動詞化したものと思われる。
Weblioにはこのように書いてある。
正確にはこういった意味らしいのだが、この記事では便宜上、「ブログが普段の実力以上に読まれている状態」と定義したいと思う。大した違いはないのであまりに気にしなくても大丈夫だ。ただ単に私がこだわりたいだけである。
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私のバズ経験
ではまず本題に入る前に私のバズ経歴をさらっと紹介する。
最初のバズはこちら。
この記事を書いた後、PVが普段の3倍ぐらいになった。
次がこちら。
この記事はスマートニュースに掲載された。PVは10倍ぐらい。ちなみにGunosyにも載った。その時は7倍ぐらい。
その次がこれ。
これが過去最大のバズ。PVは30倍を記録。ビビった。
最後に直近のやつ。
これは10倍程度。30倍を経験した後だったから完全に感覚がおかしくなっていて、何も感じなかった。
目立った所はこれだけだが、PVが1.5~2倍ぐらいのバズであれば他にも3つほどある。
本人に言及されたことによってバズ。
じわじわと広がりを見せた記事。
よく分からないけどハネた。
こんな感じである。
私は特別な能力を有してる訳ではない。だがそれでもこれだけの(小さいのものも含めれば)7回のバズを経験している。
世の中にはバズがしたくてしたくて悶え苦しみ、地獄の底で蠢いているようなブロガーがたくさんいる。安心してもらいたい。実は私も似たようなものだ。血反吐だか何だかよく分からない汚いものを吐き散らしながら、毎日こうやって記事を更新している。ずっと這いずりまわっているし、暗中模索もいい所である。
そんな私だが一応バズの経験があるので、同じように地獄の底にいるご近所さんにおすそ分けというか、「バズるために考える事」を教えたいと思う。
苦しみの中で考えた私なりの「知恵」である。この記事があなたを地獄から救う雲の糸になることを願う。群がりすぎて切れないように注意である。
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①どうしたらバズるのかを考えたか?
そもそもの話である。
私は常に「どうやったらバズるのか?」をこのシワがまったくないツルツルの脳みそで必死に考えた。
必死というと猛烈に頭をフル回転にして考えているイメージがあるかもしれないが、そうではなく「常に」考えていたということだ。
この記事を読んでいる人はきっと常日頃から「バズりたい」と思っている人だと思う。
だが正直なことを言うと、あなたはこんな記事を開いている時点でダメだと思う。
この記事を書くにあたって「バズ」というワードで検索したら「バズるために~方法」的な記事がクソほどあるのを知った。私はそういった記事を一切読んだことがない。読んだらいけない、という話ではない。頼るな、という話である。そんな脳みそを休ませているヒマはないのだ。
そもそも考えていない人間はどうにもならない。望むだけなら誰だってできる。犬だってできる。だが犬は可愛い。あなたは可愛いだろうか?
②どんな記事がバズっているのか研究しているか?
何かを成し遂げるためには
「成功体験から学ぶ」
「失敗体験から学ぶ」
のふたつがある。
バズに関して言えば、絶対に「成功体験から学ぶ」べきである。バズっている記事をひたすら読みまくろう。
はてブはとても参考になるからおすすめだ。私は毎日欠かさず確認するようにしている。いや、嘘だ。ごめん見栄を張った。だができるだけ読むようにしているのは事実だ。
ただ何でもかんでも参考にする訳ではない。あなたが書けそうなものに近い記事を探すのだ。
センセーショナルなニュースや専門知識が必要なものは特定の人しか書けない。そんなものを参考にしようたって時間のムダである。誰でもできそうなのにバズっている記事に注目しよう。それはきっと人それぞれだと思う。
また日常的にバズっている記事を観察していると、定期的に似たような記事が登場しているのに気付く。それはつまり多くの人が定期的に欲しくなるネタだということだ。
それならば次はあなたの番である。次のときのために用意しておこう。
そんな感じでバズる記事を研究し、自分に落としこむのだ。
③バズるために記事を書いているか?
②でも書いたようにバズにはネタの傾向やタイミングがある。
バズらせたいのであれば、バズるように書かなければならない。
例えば、仕事術でバズらせたいのであればそれを日曜の夜とかに投稿しても仕方ないのだ。みんな月曜が来るのを恐れていて、仕事のことなんか1ミリも考えたくないのに、嫌でも考えてしまう、という苦しみの中にいる。そんな所へ「仕事の効率を圧倒的に上げる〇〇」とか騒音でしかない。誰が読むか。
何かお手軽レシピがバズっているときに「〇〇なレシピまとめ」とか投稿しても、もうすでにみんなお腹いっぱいなのである。生ごみである。
これらはあくまでも一例だ。バズりたいあなたが考えることをもっと明確にしよう。
つまり、「誰が、どんなときに、どんな理由で」その記事を読むのかを考えよう。
「仕事に疲れた会社員が帰りの電車の中で日常を忘れるために」というような感じだ。
私がバズった記事で言えば「小説好きな人が面白い本を探しているときに参考にするために」である。
ここまで読んで勘の良い方は分かったかもしれないが、実はこれはバズを狙おうが狙うまいが関係のない話で、そもそもブログの記事というのはよっぽどのファンがいるブロガーでもない限りは、この条件を満たした記事を書くべきなのである。
難しいけどな。
④スベってる?
最初に私がいかにバズったかを自慢をするが如く書き連ねてみたが、実はその裏ではクソほど外している記事がある。
「これで完璧だ。絶対にバズるぞ」
そう思った会心の記事がどれだけの無反応で迎えられたことか。
会話でスベる時とはまったく違う虚無感が身を襲う。
そんなスベる経験をあなたはしているだろうか?
スベる覚悟があるかどうかではない。それだけのチャレンジをしているか?という話である。打席に立たなければ空振りすることもホームランを打つこともない。思いっきり振りぬく勇気を出さなければバズも狙えない。
私はクソほどスベってきた。実力がないからだ。だが実力がないからこそ弾数で勝負しているのだ。それが私のできることである。
あなたは何ができるだろうか?
⑤何が特別か?
これは完全なる私の持論である。この意見に価値はまったくないかもしれないが、一応記しておく。
あなたがこれから書く記事。バズることを期待している記事。
その記事の何が特別なのか?これを自覚するようにしよう。自覚できる記事を書こう。
バズる記事というのには共通点がある。
ひとつは「人々の興味を引いた記事」 であること。
ひとつは「人々の感情を揺らした記事」であること。
このふたつのどちらかがなければ絶対にバズることは有り得ない。
あなたはどうやって興味を引くのだろうか?
役立つ生活の知恵だろうか。それとも破天荒な生き様や体験談だろうか。
あなたはどうやって感情を揺らすのだろうか?
鋭い意見だろうか。賛否を巻き起こす暴論だろうか。
どうやってでもいい。だからこそいくらでも考えようがあると思う。
特別なのはあなた自身でもいいし、あなたの知識でもいい、意見でもいい、視点でもいい。
「特別」を記事に乗せよう。
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そもそもなぜバズりたいのか?
以上の5点が、「バズりたい人が考えるべきこと」である。
ぜひ参考にしてもらいたい。
ではここからは完全なる余談である。だが実は本当のテーマでもある。興味のある方だけ読んでもらいたい。
そもそも、あなたはなぜバズりたいのだろうか?
収入だろうか?
実はバズそのものではあまり大きな恩恵はない。普段の何十倍ものアクセスがあったからといって、広告収入もそれに比例するわけではない。固定読者もほとんどつかない。みんな通り過ぎて行ってしまう。
見たことないようなPVを叩きだして「ウッハー」状態を体験してみたいのだろうか?
その「ウッハー」状態が過ぎ去った後の寂しさが分かるだろうか。それを穴埋めするためにまた次なるバズを狙い続けるのか?それではまるでジャンキーじゃないか。
バズは所詮花火である。確かに派手だし、注目を集める。魅力があるのは認める。
だがしかしそれはブログの本質ではない。あまりにも刹那的すぎる。
ブログは農業だと某有名ブロガーは言う。
まったくもってその通りである。少しずつ耕し、増やし、育てることがブログにおいて何よりも重要である。
大体にして、固定読者がいなければバズも起こりようがない。あなたが灯した小さな火を大きな火にするのはあなたのブログの固定読者である。固定読者なんてのは日々の努力の積み重ねでしか獲得することはできない。少なくとも私はそんな気持ちでやっている。そして未だに苦しみ続けている。
「バズ」という非日常を期待するのも構わないが、それよりもあなたの人生の大半を占める「日常」を充実させるほうが、ひとつのバズよりもよっぽど効果的じゃないだろうか?
ちなみに世の中には天性のホームランバッターがいるが、そういう人たちは参考にならないので、やはり「自分なりのバズの出し方」を研究するべきである。
地道にやろう、地道に。
自分にそう言い聞かせてこの記事を終わりにしたい。
以上、健闘を祈る。