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読書中毒がオススメする東野圭吾の「これは読んどけ」っていう12冊

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どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

日本が誇る最強作家のオススメ本をご紹介。

 

日本で誰もが知ってる数少ない作家 東野圭吾

日本小説界の稼ぎ頭こと東野圭吾。彼がひとたびペンを取れば数十億の金が動くとか…。

普段小説を読まない方でも名前を知っている数少ない作家のひとりである。あとは村上春樹と又吉ぐらいではなかろうか。

そんな東野圭吾であるが、名前を知っていざ著作に手を出そうと思っても作品数があまりにも多く(2019年12月現在で100作品近く)、どれから手を付けたらいいか分からない方も多いと思う

人によっては帯に書かれている発行部数なんかを参考にしてしまうかもしれないが、それは危険である。面白さと売れ行きには何の関係もない。やはりそこはちゃんと読まないと面白さは分からない。

 

ということで、東野圭吾の著作のほとんどを読破している私が、「東野圭吾初心者に超オススメする必読の12冊」を厳選してみた。

 

ぜひ参考にしていただきたい。

 

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①秘密

 

妻・直子と小学5年生の娘・藻奈美を乗せたバスが崖から転落。妻の葬儀の夜、意識を取り戻した娘の体に宿っていたのは、死んだはずの妻だった。その日から杉田家の切なく奇妙な“秘密”の生活が始まった。

 

一言で表すならば、「超東野圭吾作品」。

東野圭吾と言えば『秘密』。『秘密』と言えば東野圭吾である。切っても切れないのだ。

 

『秘密』は読んだ誰もが悶絶する名作である。間違いなく一撃必殺である。 

入れ替わり系の設定の先駆けと言えるもので、もしかしたら「ありきたりな設定だな」と思われるかもしれない。

甘い。その考えは甘すぎる。

作品を手にして欲しい。どれだけこのありふれた設定が残酷かを思い知るはずだ。

 

東野圭吾は作品に対して真摯である。だからこそ、ここまで残酷な作品を作り上げられるのだ。中途半端な覚悟であればもっと作品の展開的に逃げようがあったと思う。中途半端な作品は書かない男。それが東野圭吾なのだ。(最近の作品はそうでもないけど…)

 

彼の仕事ぶりを堪能できる最高傑作である。

 

②怪笑小説

年金暮らしの老女が芸能人の“おっかけ”にハマり、乏しい財産を使い果たしていく「おつかけバアさん」、“タヌキには超能力がある、UFOの正体は文福茶釜である”という説に命を賭ける男の「超たぬき理論」、周りの人間たちが人間以外の動物に見えてしまう中学生の悲劇「動物家族」…etc.ちょっとブラックで、怖くて、なんともおかしい人間たち!多彩な味つけの傑作短篇集。 

 

作品の質もさることながら、尚かつ幅広い作風なのが、東野圭吾の最大のウリである。

『秘密』に代表されるように、人の心理を丁寧に描き出し、読者を感動させたかと思えば、この『怪笑小説』ようにアホとしか言いようがない作品をホイホイ出してくる。

同じ作者が書いたとは思えないほど作品に幅がある。そしてどちらも最高に面白いのだから恐ろしい才能の持ち主である。

短編集なので軽く読めるし、何よりも笑えるので強くオススメしたい。

 

私が特に気に入っているのは「超たぬき理論」。めちゃくちゃふざけてるのに、異常な完成度を誇っている。なんだあれは。

あとはパロディーにもほどがあるのだが、「あるジーサンに線香を」も好きである。不覚にも泣いてしまった。なんだあれは、本当に。

 

③さまよう刃

自分の子供が殺されたら、あなたは復讐しますか?
長峰重樹の娘、絵摩の死体が荒川の下流で発見される。犯人を告げる一本の密告電話が長峰の元に入った。それを聞いた長峰は半信半疑のまま、娘の復讐に動き出す――。遺族の復讐と少年犯罪をテーマにした問題作。 

 

物語の役目とはなんだろうか?

私たちは面白いものを求めて小説を読む。そこには感動がある、喜びがある。

しかしそれだけで終わってしまうと、薄っぺらくなって童話じみてしまう。ときには汚さも残酷さも必要になる。それが私たちの暮らす世界の姿だからであり、割り切れないものを見たときに人は、「リアルだ」と感じるものだ。

 

この作品は簡単に割り切れるものでも、語れるものではない。人によっては不快感に耐えられないかもしれない。読むのには、けっこうな覚悟が必要になる。

 

心を動かすこと。それが物語の役目なのであれば、この作品ほど心を動かされるものはそうそうないだろう。

 

④白夜行

1973年、大阪の廃墟ビルで一人の質屋が殺された。容疑者は次々に浮かぶが、結局、事件は迷宮入りする。被害者の息子・桐原亮司と、「容疑者」の娘・西本雪穂―暗い眼をした少年と、並外れて美しい少女は、その後、全く別々の道を歩んで行く。二人の周囲に見え隠れする、幾つもの恐るべき犯罪。だが、何も「証拠」はない。そして十九年…。息詰まる精緻な構成と、叙事詩的スケール。心を失った人間の悲劇を描く、傑作ミステリー長篇。 

 

 

面白いから読んでくれ。

 

こんなシンプルな推薦文が、この作品には一番似合う。なぜならシンプルに面白いからだ。

ただしこれは「うわっ凄え!」と分かりやすく盛り上がるような作品ではない。派手な見せ場は一切ない。じわじわと、そしてクラクラとするような愉しさがある作品なのだ。

 

文章に酔う、という体験をしてみてほしい。

東野圭吾の中でも、一番中毒性の高い作品である。

 

⑤超・殺人事件 

新刊小説の書評に悩む書評家のもとに届けられた、奇妙な機械「ショヒョックス」。どんな小説に対してもたちどころに書評を作成するこの機械が、推理小説界を一変させる――。発表時、現実の出版界を震撼させた「超読書機械殺人事件」をはじめ、推理小説誕生の舞台裏をブラックに描いた危ない小説8連発。意表を衝くトリック、冴え渡るギャグ、そして怖すぎる結末。激辛クール作品集。 

 

推理小説好きな人に一番推したい作品。

 

幅広し作風でお馴染みの東野圭吾だが、本職は推理小説である。デビュー作の『放課後』だってあの有名な江戸川乱歩賞を受賞しているのだ。(ちなみに『放課後』は、読んでてこっちが赤面しちゃうぐらい恥ずかしい内容なので、東野圭吾の痛い頃を味わたい方にはオススメ)

そんな推理小説作家東野圭吾が、日本の推理小説界をテーマにふざけた短編集を書いた。それが『超・殺人事件』である。

 

何が良いってその切れ味である。

短編集というのは長編と違ってページ数が少ない。当たり前の話なのだが、短いということは、その短い時間の中でどれだけ読者に強烈なパンチを食らわせるかが重要なのだ。短くて薄い内容では、文字通り話にならない。

 

インパクトの強い短編集をお求めの方はぜひ。

 

⑥ある閉ざされた雪の山荘で

早春の乗鞍高原のペンションに集まったのは、オーディションに合格した若き男女七名。これから舞台稽古が始まるのだ。豪雪に襲われ孤立した山荘での殺人劇である。だが一人また一人、現実に仲間が消えていくにつれ、彼らの中に疑惑が生じる。果してこれは本当に芝居なのか、と。一度限りの大技、読者を直撃。  

 

「ある閉ざされた雪の山荘で…」

この設定だけで推理小説好きは悶絶ある。ツボすぎて致死である。

たぶん、あまり推理小説に詳しくない方でも、「犯人が分からない状況に閉じ込められた人たち」というのは、よく見かけるシチュエーションだと思う。

 

そんな限られた状況の中で、どれだけ意外な展開を見せるかが作者の腕である。

 

で、『閉ざされた雪の山荘で』で使われたアイデアは最高である。脳みそが痺れた。快感でクラクラするレベルだ。東野圭吾、天才すぎる。

この快感は読んだ者しか味わえない。地味なタイトルに引いてないで、とにかく読むべし。

 

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⑦むかし僕が死んだ家 

「あたしは幼い頃の思い出が全然ないの」。7年前に別れた恋人・沙也加の記憶を取り戻すため、私は彼女と「幻の家」を訪れた。それは、めったに人が来ることのない山の中にひっそりと立つ異国調の白い小さな家だった。そこで二人を待ちうける恐るべき真実とは……。 

 

この頃の東野圭吾は推理小説の神様に愛されていたとしか思えないほど、傑作を連発していた。凄すぎて逆に「この人、バカなんじゃないの?」と心配になるほどである。まあ心配したところでなんもないんだけど。

私たちは東野圭吾が生み出した傑作たちを、ただただ味わうだけでいい。勝手に傑作が手元に転がり落ちてくる。こんなにありがたい話はなかなかない。

 

で、全然作品の紹介ができていないのは、『むかし僕が死んだ家』は絶妙な伏線が張り巡らされすぎていて、凄さを語ろうにもネタバレが怖すぎて語れないのである。伏線で雁字搦め状態。苦しい。

 

⑧悪意 

人はなぜ人を殺すのか。
東野文学の最高峰。
人気作家が仕事場で殺された。第一発見者は、その妻と昔からの友人だった。
逮捕された犯人が決して語らない「動機」とはなんなのか。
超一級のホワイダニット。 

 

犯行の「動機」に焦点を当てた珍しい作品。

人間の内面を見せることで読者を翻弄してくる作品なのだが、これがもう素晴らしくリーダビリティが高い。つまりとんでもなく読みやすいのだ。文章がどんどん自分の中に吸い込まれていく。

私がこの作品に出会ったのは読書にハマり始めた頃だった。仕事が終わってから帰りの電車でこの『悪意』を読んでいるとき、心の底から「幸せだなぁ」と思った記憶がある。

翻弄されるレベルでは東野圭吾作品の中で群を抜いている。

 

⑨毒笑小説

塾にお稽古に家庭教師にと、VIPなみに忙しい孫。何とかゆっくり会えないものかという祖父の訴えを聞いて、麻雀仲間の爺さんたちが“妙案”を思いつく…。前代未聞の誘拐事件を扱った「誘拐天国」をはじめ、毒のある可笑しさに満ちた傑作が1ダース!名作『怪笑小説』に引き続いて、ブラックなお笑いを極めた、会心の短篇集。「笑い」追求の同志、京極夏彦との特別対談つき。 

 

『怪笑小説』に続く東野圭吾のブラックな笑いに特化した短編集である。『怪笑小説』にハマった人であれば文句なしにオススメできる。

まあ頭を空っぽにして楽しんで頂きたい。それが一番の楽しみ方だ。

普段小説を読まない人に、一番オススメできるシリーズである。

 

⑩赤い指 

少女の遺体が住宅街で発見された。捜査上に浮かんだ平凡な家族。一体どんな悪夢が彼等を狂わせたのか。「この家には、隠されている真実がある。それはこの家の中で、彼等自身の手によって明かされなければならない」。刑事・加賀恭一郎の謎めいた言葉の意味は?家族のあり方を問う直木賞受賞後第一作。 

 

不快感はときに作品の価値を上げることがある。非常に使いどころが難しいものではあるが、小説を「作り物」とするならば、いくら不快でもフィクションとして楽しめるはずだ。

しかし東野圭吾は読者に対しても、真摯である。彼の作り出す“不快”は、フィクションとして流せるようなレベルではない。確実に読者にダメージを与えに来る。

 

この『赤い指』を読んだあなたは怒りに震えるかもしれない。せっかく楽しむために小説を読むのだから、わざわざそんな思いをする必要もないのかもしれない。

だが東野圭吾はそれでもこの作品を作り上げた。それこそが作者のメッセージなのではないかと思うのだ。

 

⑪あの頃ぼくらはアホでした

みずみずしいセンスで書かれたあまたの青春推理小説で、数多くの熱狂的なファンを持つ著者が語る、自らの青春時代。大荒れの中学時代から高校、大学、そして社会人になるまで。 

 

さてここまでの作品を読んだ方であれば、「こんなに凄い作品を書いている東野圭吾という人物は一体何者なのだ?」と思うことであろう。

その正体がこの『あの頃ぼくらはアホでした』に書かれている。いや書かれていないかもしれない。

タイトルから分かるようにこれはアホみたいなエッセイである。本当にどうしようもないのだが、たぶんこれが東野圭吾の本質なのだろう。

 

彼を知る上でも必須の一冊だし、純粋に読み物として最高に面白い。

アホだった学生の頃を思い出してしまうかもしれない。まあここまでヒドくはないと思うが。

 

⑫仮面山荘殺人事件 

8人の男女が集まる山荘に、逃亡中の銀行強盗が侵入した。外部との連絡を断たれた8人は脱出を試みるが、ことごとく失敗に終わる。恐怖と緊張が高まる中、ついに1人が殺される。だが状況から考えて、犯人は強盗たちではありえなかった。7人の男女は互いに疑心暗鬼にかられ、パニックに陥っていった……。

 

さあ最後の作品である。

こんな古い作品を引っ張りだしてきて、わざわざ締めの作品にしたのにはわけがある。

私が思う東野圭吾最強の作品はこの『仮面山荘殺人事件』だからだ

 

東野圭吾がまだ若い頃の作品である。はっきり言って、人間ドラマ的な部分はお粗末だ。今の彼の技術はまだこの頃には見られない。読みやすいのは相変わらずだが。

拙い部分はあるものの、この作品の持つ最大の魅力が全てを凌駕し、最高の読書体験をさせてくれるのだ。

 

魅力の中身を伝えたいのはやまやまだが、ここで語ってしまうと面白さが減ってしまうのは間違いない。ここまでの作品を読んで面白かったと思えた方であれば、この『仮面山荘殺人事件』もお気に召すはずだ。保証する。

 

タイトルに食わず嫌いをせずに、ぜひ体験してもらいたい必読の書である。

 

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東野圭吾に感謝を

日本小説界に燦然と輝く存在である東野圭吾。彼をなくして日本の小説は語れないレベルで彼の存在は大きい。

彼が作品を発表することで、ファンはもちろん喜ぶし、映像化しやすい原作を手にできる映画の配給会社も喜ぶ。出版社はドル箱スターの仕事だから当然ニンマリだし、もっと言えば出版社が儲けることで、未だ見ぬ未知なる才能の発掘にお金を使うことができるのだ。

東野圭吾はある程度小説を読み慣れてくると、少々物足りなくなる部分はあるが、それでも小説界を支えていることは間違いない。小説好きであれば感謝しなければならない存在なのだ。

ありがとう、東野圭吾。これからも最高の小説をよろしく頼む。

 

以上。ぜひ参考にしていただきたい。