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この作品でしか味わえないものが確実にある。『失はれる物語』乙一

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どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

今までたくさんの小説を読んできたけれど、その中でも十指に入るレベルで大好きな作品のご紹介。

 

内容紹介

目覚めると、私は闇の中にいた。交通事故により全身不随のうえ音も視覚も、五感の全てを奪われていたのだ。残ったのは右腕の皮膚感覚のみ。ピアニストの妻はその腕を鍵盤に見立て、日日の想いを演奏で伝えることを思いつく。それは、永劫の囚人となった私の唯一の救いとなるが…。表題作のほか、「Calling You」「傷」など傑作短篇5作とリリカルな怪作「ボクの賢いパンツくん」、書き下ろし最新作「ウソカノ」の2作を初収録。 

 

この短編集は、乙一がそれまでに発表してきた作品集の中から選りすぐりの5作品を収録している。いわば乙一のベストアルバム的作品集である。

 

さて、では作品の魅力を語る前に、作者の乙一について説明しよう。

 

天才の名と評される作家

乙一。当然ながらペンネームである。

他にも、山白朝子名義で一風変わったホラー小説を、中田永一名義では一風変わった青春小説を書いている。また、本名の安達 寛高で解説を書いたりもしている。掴みどころのない男である。

 

乙一のデビューは非常に早い。

16歳の時に執筆した小説『夏と花火と私の死体』で、第6回ジャンプ小説大賞を受賞している。普通に天才である。16歳が書いたということ関係なしに、独特な気持ち悪さを擁した怪作である。あの感覚は『夏と花火~』でしか味わったことがない。

また、ミステリー小説の分野でも恐ろしいまでの手腕を発揮しており、ミステリー小説好きでその名を知らない人はいないことだろう。

 

小説好き以外の一般の方に説明するとすれば、あの超有名アニメ映画監督の押井守の娘さんと結婚している。

ちなみに乙一は自主制作するほどの映画好きであり、小説を書くときも、映画のシナリオライティングの手法を使って執筆している。

 

乙一作品の特徴

作品の特徴としては、強烈な2つの顔を持つことで知られる。

 

残酷な描写をさらりと提示してくる、猟奇的な空気に満ちた”黒い乙一”

思春期の少年少女を取り扱い淡い恋心や心の動きを捉えた”白い乙一”

 

まるで別人かと見紛うほどに、全く別の側面を高いレベルで両立させる。それが乙一である。今現在、多数のペンネームを使って作品を書き分けているが、デビュー当時からやっていることは変わっていない。

 

また圧倒的なリーダビリティでも有名だ。ぐいぐいと読者を引き込むような文章は、乙一の生み出す切れ味鋭い物語と組み合わさると、とてつもない衝撃を私たちに与える

 

そんな天才乙一。当然ながらデビュー早々に人気作家に躍り出た。話題性の高さから、出す作品はことごとくヒット。いくつもの作品が映像化された。売れるから、という理由で文庫化の際に、しおりぐらい薄い文庫にして、むりやり分冊されたこともあった。その節は、集英社は存分に稼いだんでしょうねぇ。

 

当時の小説界の希望の星だった乙一。誰もが彼の作品を欲しがった。乙一の原稿が欲しすぎて、「乙一だったらなんでもよし」と宣ったのは幻冬舎である。それくらい乙一の名前が暴騰していた。

しかし、業界の熱量とは裏腹に、乙一本人はそこまで小説家としての自分に執着していなかったようである。ある時を境にパッタリと筆を取らなくなってしまった。

もしかしたら、読者や出版社の高まり続ける期待に応えるのだが、しんどくなってしまったのかもしれない。

 

『失はれる物語』の最大の魅力

しばらくの休止期間を経て、現在では多数の名義を使い分け作品を発表している乙一。休止前を前期、休止後を後期とすると、前期の最高傑作、それが『失はれる物語』だろう。『GOTH』も捨てがたいけれど、『失はれる物語』の方が乙一の魅力が全方面から味わえると思う。

 

では、『失はれる物語』のなにがそんなにいいのか。

 

”切なさ”である。

 

どうだろうか、最近切なくなっただろうか。もしあなたが切なくなっていないのであれば、すぐに『失はれる物語』を読んで切なさを摂取しよう。そして存分に、切なさに酔いしれる自分自身に酔いしれてほしい。それが切なさの正しい楽しみ方である。

30半ばのおっさんである私がこんなことを書くのは憚られるのだが、切ないってめっちゃいい。胸がキュンキュンする。どうか、おっさんが胸を押さえて悶ている所を想像しないでほしい。想像しても、それは完全に心筋梗塞で苦しむ中年の姿である。私が言っているのは、切なさに胸が苦しくなっている状態であり、コレステロールの話はしていない。みんなちゃんと運動しとけよ。

 

小説だからこそ…!

なんでもデジタルやバーチャルで体験できてしまうこの時代。手軽だからこそ、感情が本気乗っかるほど熱中できるものというのは少ない。色んなコンテンツがインスタントになりつつある。

コンテンツなんて楽しめればそれでお役御免なのだから十分なのかもしれない。

しかしながら読書を楽しむ私はやはり、物語を濃く楽しみ、強く心を揺さぶられる経験をしてほしいと思う。

 

読書は言うならば、他人の人生を経験するようなものだ。

自分の枠を飛び出して、未だ見ぬ世界を体験する。そこには、はっと驚くような発見もあれば、深い共感もあるし、純粋に好奇心を刺激されることもあるだろう。

文章を読んで、脳内で映像に起こし、没頭する。動画を見るよりもはるかに手間のかかる楽しみ方である。だが、だからこそ没頭する度合いは高い。感動の度合いも大きい。もっと言えば、自分の脳内で描くからこそ、生み出される面白さは十人十色であり、その人次第の楽しみ方ができる。

 

切なさの価値

色んな楽しみ方を提供してくれる小説だが、こと“切なさ”となると、意外と少ない。お涙頂戴系の感動作品はたくさんあれど、“切ない”はあまり見ない。

感動と切なさの違いが分かるだろうか。私も上手く言語化ができないのだが、ここで取り上げているお涙頂戴系の感動は、ちょっと動物的な感じがする。

愛する人との別れ。死。新しい生命の誕生。出会い。

どれも感動を孕んでいて、実際私もそういった物語で泣いてしまうのだが、それは条件反射的な涙だ。それらの状況を提示されると、ほとんど無条件で泣いてしまう。でも感動かと言うと、微妙だ。何かが足りない。決定的に。

 

でも、切なさとなると、ただ単に状況を用意しただけではなかなか生まれない。

そこに至るまでの過程や、関わった人たちの心の動き、思い出。それらが綺麗に重なりあった場所に、ぽっと生まれるもの。それが切なさだと私は思っている。ただのシチュエーションではないのだ。

だから切なさは、私たちの心を揺さぶってくるし、なぜかテンションが上がるし、消化しきれない感情なのに、とても心地よい。

 

そんな切なさを自在に操るのが乙一であり、そんな乙一の切なさが最高に爆発しているのが『失はれる物語』なのである。どれだけ貴重な作品なのか分かってもらえるだろうか。

 

切なさというやつは普段なかなか体験できるものではない。人生の限られた大事な場面でしか切なさは生まれないものだ。

だからこそ『失はれる物語』で描かれる丁寧な物語たちで、存分に味わってほしいのだ。切なさを。そこには、人生のうまみが凝縮されているはずだ。

 


ちなみに私はハードカバーの時に買ったのだが、表紙が半透明になっていて裏面に楽譜が印刷された非常に美しい装丁だった。物語ともリンクしているし、私がこれまでに見た装丁の中でベストだった。文庫版では変わってしまって本当に残念だ。まあ、本がたくさん売れていた、とっても贅沢な時代の産物だったわけだ。切ねえ。

 


一応、今回は『失はれる物語』の紹介がが、乙一の作品はどれも高クオリティなのでぜひ他のも手にとってみてほしい。ガツンとやられまっせ。

 

 

盲目の女性と、その家に忍び込んでこっそりと同棲を始める心温まる物語です。

というあらすじを読んだだけで、乙一の変態性が存分に伝わってくる。この作品も映像化している。よく映像化するつもりになったもんだ。

とっても変態ちっくな物語だけれど、めっちゃ心あたたまるし、面白いし、読後感は信じられないぐらい爽やかである。間違いなくこれも名作。

 

 

 
乙一最大のヒット作。みんながオススメするのは間違いなくこちら。

連作のミステリー小説なのだが、読者を騙す精度が半端じゃない。バケモノとしか思えなかった。唯一無二の作品である。

 

 

以上。