どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。左手でもハサミが使えるぐらい器用です。
毎月恒例の月イチまとめ記事である。
先日、会社で部下の子から相談を受けた。
「人からどう思われているか気になってしまったり、人に対して勝手にイライラしたりしてしまうのをどうにかしたい」
ほんの雑談程度の温度感で付き合おうとしたら、けっこう深刻に悩んでる感じだった。だがそんな脳内で行われていることを相談されても「直接脳内に電極でも入れて改善してみては?」と思ってしまう。
とはいえ、こうやって駄文を恥ずかしげもなく垂れ流している恥ずかしい私だが、ひとたびネットの外に出ればまともな社会人の顔をしている。頼れる先輩を演じなければならない。なので「知らんがな」と思いつつも、親身になって詳しく話を聞いてみた。
色々聞いてて思ったのは、
「若くていいな」
というものだった。なんかその悩んでる姿が眩しかったのである。
思えば私ももっと多感な可愛らしい頃は、人目を気にしまくったり、他人へのイライラで日々を塗りつぶしたりしていた。
だが、気がつけばそういった機会はほとんど無くなってしまった。
これは私が成熟して悟りを開いたとかいう話ではまったくない。単純に他人を四六時中気にするようなエネルギーが無くなってしまったのだ。疲れるから気にしない。気にできないのである。
これは劣化とも言えるだろうし、鈍くなることで効率的に生きられるようになったとも言えるだろう。どちらにせよ加齢現象である。やったね。
なので現在進行系で悩んでる部下の子に対して、有益なアドバイスはまったくできなかった。「悩んでる君はとっても輝いてるよ」と、相手からすれば見当違いも甚だしいコメントが口から漏れ出ていた。口から出る言葉に自制が効かなくなってくるのも加齢の特徴である。やってられっか。
ということで、確実に死へと向かっている私が、2023年5月に見つけた面白い本たちの紹介である。
行ってみよう。
イクサガミ 天
まず言わせてほしい。
読むんじゃなかった…!!
めちゃくちゃおもしれーのに、まさか3部作だったとは…。次の巻が出るまでどんだけ悶々としなくちゃならんのよ。完全にクスリを欲してる状態。
強い煽りの帯に対して「でも時代小説でしょ?」と完全に舐め腐っていた私。
それがもうね、こんなど真ん中どストレートのど超どエンタメだったとは。
マンガ化、映像化を完全にど想定した作品でしょ。これは売れるでぇ。
ブラックサマーの殺人
一瞬にして大好物となってしまったワシントン・ポーシリーズの第二弾。読書好きの語彙力を奪う、英国ミステリーが生んだ新たなる王者である。
このシリーズの良さを説明しよう。
おもしれえ。
これに尽きる。
ただでさえミステリーはネタバレを回避するがゆえに、感想を書くときに語彙が限定されるってのに、単純な面白さでぶん殴ってくるから、より語彙が死ぬ。いちいち面白さを噛み砕くのが無粋に感じてしまう。情事の最中に相手にいちいち実況解説されたら冷めるでしょ。そんな感じ。いや、違うか。落ち着け私。
次の『キュレーターの殺人』も楽しみ。ここで止めることはできん。
リバー
愛して止まない奥田英朗である。
このブログでは散々書いてきているが、奥田英朗はストーリーラインにそこまで重きを置かない執筆スタイルだそうだ。本人曰く「魅力的な人物を生み出せば、勝手に面白い物語ができる」とのこと。
そんな執筆スタイルなので、私たちは登場人物と一緒に物語を並走しているだけで、ずっとめちゃくちゃ楽しい。ずっとのめり込んでいられる。ありがたい話である。
短編でキレイに落とす奥田作品も好きだけど、ずっと彼の物語を浴びていたい私にとって、『リバー』のような彼の超長編は人生にとってかけがえのないエネルギーである。
グレイス・イヤー:少女たちの聖域
打ちのめされた…。
うわー…こんなにボッコボコにされたのいつ以来だろ。
物語がこっちに暴力的に襲いかかってきて、心を粉砕してくる感じ。でも面白すぎてギュンギュン読んじゃう。
2023年本屋大賞の翻訳小説部門で堂々の第2位を獲得したのはダテじゃないね。凄いとは聞いてたけど、噂に違わぬパワーとキツさ。
夢にまで侵食してくるタイプの物語で、『グレイス・イヤー』を読んでた間の数日間は、なんかちょっと精神が浮かんでた気がする。仕事をしてても常に頭の片隅で『グレイス・イヤー』が流れてる感じ。
今月のベストはこれです。
日本語不思議図鑑
ここ最近の言語学ブームに乗っかって、私みたいなアホでも楽しめそうな作品を選んでみたのだが、大正解。
自然と気付かずに使ってた言葉や言い回しを、ちょっと立ち止まって観察してみると、理屈に合わないものがたくさんある。
そしてその理由を突き詰めてみると、私たちの心理に潜む感情や価値観が浮かび上がってくる。
簡単な一例を紹介しよう。
「1時間ごとに、このクスリを飲んでください」
と言われると、毎時間飲むものと感じる。
しかし、
「1日ごとに、このクスリを飲んでください」
と言われると、なぜか2日に1回飲むものと感じる。
ね? 不思議でしょ?
こういった事例の理由を説明してくれるのである。
日本語を不思議に感じて感心し、そもそも自分たちの感覚に言葉は従っているだけで、どれだけ言葉に色んな役割を課していたかが可視化されて、未体験の快感を味わってしまった。当たり前が崩れる快感とでも言おうか。
このシリーズもっと読みたい。これくらいの難易度が一番大好きです。
以上。来月もお楽しみに。