どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
今回はこのブログでは避けまくっていた自分語りをしたい。なぜ避けていたかと言うと、きっと誰も興味ないと思っていたのと、自分語りをするおっさんのことを私が大嫌いだからである。
なのになぜこうやって書くことにしたか。
それは…
書きたいから。
これに尽きる。
結局私もただのおっさんである。自分語りをせずにはいられない生き物なのだ。悲しい。
しかしだからと言って、本気で私の個人的なことを公共のネット環境に垂れ流すのは流石に倫理的に抵抗があるので、このブログに訪れる人に少しでも興味深いであろう内容でまとめてみた。
題して「読書中毒ブロガーの作り方」である。
まあ要は、日本でも有数の読書ブログを運営する私が、いかにしてそれだけの本好きに仕上がったのかを書いていきたい。
原体験
私と本とのファーストコンタクトは、ありきたりすぎて申し訳ないが小学校の図書室である。
あらゆる娯楽が禁止された、ある種刑務所よりもエンタメ性の低い小学校では、図書館が貴重なエンタメ源になっていた。
私が特にハマったのだが怪談ものである。本で仕入れた怪談を休み時間や放課後に同級生に披露することに快感を覚えていた。って、考えてみたら面白い本を読んで、ブログで他人に勧めてるのとほとんど変わらん。怖っ。人間ってやること全然変わんねえでやんの。
またこの頃は、学校に関する怖い噂とかが大流行していて、本で見かけるたびに、実際に試してみたりしてた。(○時に○階の女子トイレに行くとなんちゃら~、みたいなの)。
最終的には、忍び込んだ体育館で先生に捕獲されて説教を喰らい、懲りた。捕まった瞬間の恐怖は幽霊どころのレベルではなかった。
あと松本人志の『遺書』も面白かった。「文字だけでもちゃんと楽しめるんだな」と思ったことをよく覚えている。その流れでさくらももこのエッセイとかを読むようになっていく。まあ当時の本を読む小学生の典型的なパターンを踏襲していた。
このときが人間で言うところの第一次性徴期。本を読むための土壌が育まれていた。
でもまだ面白さに夢中になるほどではないし、ましてやテレビやゲームなどの娯楽を凌駕するようなレベルではなかった。
第二次性徴期
次の転機は中学生。
思春期真っ只中の私はとりあえず一般的な男子中学生の例にもれず、女子にモテたかった。
しかし、見た目的にも能力的にも何も秀でていない私は、女子からモテる理由がまったくなかった。私が女子だったとしても、私のことは選ばなかっただろう。
だからといって私のモテたい欲がなくなるわけでもなく、どうにかして目立てないかと考えた私は、あろうことかその活路を読書に見出した。
友人とのおしゃべりに興じるクラスメイトをよそに、私はひとり教室で黙々と本を読んでいた。でもほとんど紙面を眺めているだけだった。「本を読んでいる自分」を楽しんでいただけだった。愚か者である。しかし若さとは、基本的に愚かさとイコールなのである。
完全に作品にやられる
そんな私に衝撃を与えた出来事があった。
国語の授業である。
と言っても教科書に載っている名作ではない。
そのときの担当の先生が「授業の最初の時間を使って、1年間を通して小説を1冊読み聞かせる」というコーナーを設けてくれていた。本に少しでも興味を持ってもらいたいという狙いがあった企画なのだが、私はこれをモロに食らった。
一年間かけて読むので、毎授業で聞けるのは数分間だけである。なので盛り上がってきたところで終わりになる、なんてのもザラだった。クラスメイトたちは全然平気だったようだが、私は先が気になって仕方がなかった。それに、先生が読んでくれるその作品の魅力に完全にやられていた。最初は「なんだこの感覚?」ぐらいだったのが、次第に「もう一回あの感じを味わいたい」になり、そのうちに「早く聞きたい」になり、最後には「もう自分で手に入れて読む」となった。たしか1学期も持たなかった気がする。
そのときに出会ったのが森絵都の『宇宙のみなしご』である。今でも大好きな作品であり、作家である。言うならば私の初体験相手だ。その節はどうも。
ここに関しては、完全に運が良かったと思っている。先生との相性も良かったし、先生の選書も良かった。このどちらかが欠けていたら、私は本好きにならなかっただろう。
加速期
『宇宙のみなしご』との出会いを経て、中学生の私は本を完全に「面白いもの」と認識するようになった。それと同時に、まだネット環境が整っておらず情報が少ないので、面白い本を知る方法がなく困っていた。
なので身近な人が勧めるものをとりあえず読むようにしていた。
読んだものすべてが面白かったわけではなかったが、「これは…!」という出会いがいくつもあった。
特に衝撃がデカかったのが、高畑京一郎『クリス・クロス』、上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』『ぼくらは虚空に夜を視る』、高見広春『バトル・ロワイヤル』などである。
『クリス・クロス』は展開の衝撃ってやつの初体験になった。(ネタバレになるので詳しいことは書けない)
上遠野浩平は全般的に厨二病に陥らせる要素が多すぎた。
『バトル・ロワイヤル』は、面白すぎてまさに「時間を忘れる」という経験をさせられた。休日に家で読んでたんだけど、夢中になりすぎて夕方になって部屋が暗くなってることにも気づかないぐらいだった。「なんか読みにくいなぁ」と思ってやっと気づいて電気を点けた。
また、当時はライトノベルの全盛期だったので、その辺りの熱量も良かったのかもしれない。小説が広く好まれていた時代だったように思う。
そして依存体質へ
就職して働き始めると、わずかながらでもあった友人関係が完全に終わりを告げたので、自分の時間をすべて読書に費やすことになった。片道1時間半の通勤時間も読書を後押しする要因になった。とりあえず気になるやつは片っ端から買ったし、読みまくっていた。
その流れでぶち当たったのが、新本格ブームである。
分からない人に簡単に説明すると、「めっちゃ面白い推理小説がバンバン出てきた時期」である。それまでにあった推理小説の様式を守りつつも、新たな領域を切り開く作家や作品がわっさわっさと出てきた。
これが大当たりだった。純粋に感動した。それまで推理小説というと、コナン君とか金田一的な「とりあえず誰か死んで、なんか複雑なことを仕掛けてくる」ぐらいの認識しかなかった。
でもモノホンの推理小説はそんな甘っちょろいもんじゃなかった。
読者の意表を突くために、大の大人が知力の限りを尽くして一つの作品を仕上げていた。欺きに次ぐ欺き。たくらみに満ちた、最高の頭脳戦が繰り広げられる世界がそこにはあったのだった。
歌野晶午の『葉桜の季節に君を想うということ』を読んで、例の“あの箇所”を通勤途中の電車の中で読んでしまい、思わず本を閉じてしまった。欺かれる喜びと興奮、そしてカタストロフィの快感に、口元がニヤけるのを抑えきれなかった。あんなに気分良く会社の最寄り駅に降り立ったことはない。
そんな歌野の師匠がいると知って読んだ島田荘司の『占星術殺人事件』。死ぬほどつまらない最初の章をなんとか読み終え、「こりゃ完全に時代遅れな作品だな」と期待値ゼロに読み進めていた私に振り下ろされたあまりにも強烈な一撃。これは会社の喫煙所で読んでいて、思わず「うわっ!」って声が出た。周りの人が「お前、大丈夫?」って本当に漫画みたいなことになった。
それから綾辻行人『十角館の殺人』とか、乙一の『GOTH』とか、バグってた時期の東野圭吾作品とか、とにかくミステリーが脳髄に安定して快楽物質を提供してくれた。「天才とはこのことか」って本気で思った。幸せものである。
もうこの頃には、本以上のエンタメはなくなってた。休日=本屋に行く日になってた。本を読んでいないと落ち着かないという、読書中毒患者の出来上がりである。めでたしめでたし。
どこで出会うか
本と一口に言っても、その面白さは多岐にわたる。基本的に私が魅了される本の良さというのはエンタメ性である。で、エンタメの面白さというのも色々ある。だからきっと出会い方さえ違ったら、映画好きになっていたかもしれない。
でも私は人生の要所で本で感動し、興奮し、歓喜し、衝撃を受けてきた。エンタメの面白さは多岐にわたるかもしれないが、そのほとんどを私は本で経験してしまった。だから私の中で本の面白さは不動のものになっている。いつまでも最強メディアのままだ。どれだけ新しいエンタメが出てきても、本の味方でいられる自信がある。
グーグルの元データアナリストが書いた『誰もが嘘をついている』に載っていたのだが、人は平均して17歳の頃に出会ったものを基準に人生の好みが決まるらしい。簡単な例を出すと、その頃に強かった野球チームを贔屓にしたりとか。
そう考えると、人生の中でたびたび本との印象的な出会いを繰り返してきた私は、読書好きになるべくしてなったのだ。
それこそ日常的に本を読んでいると、よくハズレに出会うこともある。しかしそれもまた、いつか出会う面白い本のための前フリでしかないと思えるのだ。だから私にとって本は「面白さを提供してくれないと価値がない」なんていうふうにはならんのだ。
無条件で好きになれるものがあるというのは、幸福なことだと思う。
これからも本を愛でる人生は続いていくのであった。
以上。自分語りにお付き合いいただき感謝。
以下、今回の記事で登場した本たち。寸評付き。
どうしようもないような話から、トラウマ級のもの、都市伝説など、本当にバラエティに富んだ作品集。
未だに同じ方がイラストを描いてるっていうのがすげえ。
笑うだけが面白さじゃない、ということを広く知らしめた作品。
思春期の頃に抱えるぐちゃぐちゃ感が見事に表現されている名作。初期の森絵都は頭おかしい。
売れてなさすぎて笑える。このパターンを生み出した傑作なんだけど、こすられすぎた感は否めない。
当時の中高生をおかしくした名作。設定の沼で読者を取り込ませたら日本一の上遠野浩平のデビュー作にして、最高傑作と呼び声高い。私はそこまで好きじゃなかったりする。
こっちの上遠野浩平には完全にやられた。ブギーポップシリーズと完全に同じ手法の面白さなんだけど、異能力バトル的なものがない分、入り込みやすかったのかも。
日本のエンタメ作品の暴力性を一気に底上げしてしまった怪作。今となっては「同級生で殺し合う」とかフィクションなら当たり前になってしまったのが面白い。当時は物議をかもしまくったんですよ。
あまりのも強烈な一撃。説明不要。
死ぬほどつまらない思いをすると、最高の展開が待っているという、ミステリーの鑑みたいな作品。
ミステリーの神が微笑んだとしか思えない、神がかり的な発想の超傑作。たぶんこれを超えるトリックは一生出てこない。
文庫で無駄に分冊されたせいで面白さが若干失われているのが気になるけれど、やばいぐらい面白いのは間違いない。乙一の才能に震えろ。そして今は全然小説書いてないことにも震えて。
売れる本を永遠に書き続けられる東野圭吾が、ミステリーの限界に挑戦していたときの最高到達点。予備知識なしで読むことをオススメする。