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自信は、成功よりも、勇気を出した経験で育まれる

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読書ブロガー、名言と出会う

 

どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

先日読んだ本の中で、素晴らしい言葉と出会った。

 

その本がこちら。

 

 

 

「努力で夢は叶わない」など強烈な言葉が頻繁に飛び出す本書だが、特に私が共感した言葉がある。

 

「自信は、成功よりも、勇気を出した経験で育まれる」 

 

これである。

私は普段、大企業の底辺も底辺、砂利道みたいなところで這いつくばって仕事をしている。そんな私でもそれなりに仕事で苦労することはあって、成功をするときもあれば、小市民に相応しいしょぼい結果に終わることもある。

そんな仕事の一つひとつの結果どうこうよりも、今の私の血肉になっているもの、糧になっているものは、その結果に至るまでの経験だと実感している。

 

 

勇気を出さなくても生きていける

 

職場で私は100人を超える馬鹿を抱えている。いや、間違えた。部下を抱えている。馬鹿は私だ。そして私なんか部署で仕事している人間たちも馬鹿だろう。まともなやつはおらんのか。

そんなバカだらけの職場で私は日々仕事をしているのだが、それだけ部下を抱えていると、色んな問題が起こる。もちろん責任は部署長である私にある。不本意も良い所だが。

また、新たな仕事を始めなければならないときもある。未知の仕事に対して、ない知恵を絞って、カッスカスの脳みそをフル活用する。バカな上司がバカな部下を鼓舞して、挑戦する。

こういった状況において、私の支えになるのは間違いなく”自信”である。

手痛い失敗があるとどうしても弱気になる。「やっぱり俺なんてゴミだ…」とか「上司としての資質がゼロ、いやむしろマイナス、いや虚数…」などとウジウジ考え出してしまう。

となると自然と挑戦することにも臆病になるし、リーダーとしてメンバーを引っ張っていく力も失っていく。ただでさえない人望をさらに失っていく。

 

ただ、自信をなくしたところで死ぬわけではない。消極的に生きていけばいいだけの話である。別に何の問題もない。

 

 

自信って、どうやって身につけるの? 

 

誰しもがそうだとは言わないが、私は自信を持たずに生きるのは、かなりツラい。ツラいとからいを同じ漢字にした奴と同じぐらい無理だ。

なので、どれだけ無能で、人望がなくて、アホみたいな文章をネットに公開して後悔しようとも、私だけは私を認めていたいと思っている。

他人の評価なんて水ものだし、みんないつか死ぬ。そんないつ失われるか分からないものを拠り所になんてしたくない

であるならば、自信を持って生きていきたいわけだが、その自信って、どうやったら持てんのさ?という話なのだ。

よく部下からも言われる。「ひろたつさんって、なんでいっつもそんなに自信満々で適当なこと言えるんですか?」と。

きっとその質問の答えは「アホだから」なのだが、この記事の趣旨に反してくるので、ここは為末大に乗っかっておこう。

そう、これまでの仕事の中で幾度も経験してきた「勇気を出した瞬間」が私の自信の源になっているのだ。

 

 

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「勇気がある人」はいない

 

さあそろそろこの駄文にウンザリしてきて、ブラウザバックしている人の姿が脳裏をよぎってきているが、気にせずこのまま行こう。ブログなんて基本的にひとりごと。異常者の世迷言である。誰の目を気にする必要があるだろうか。私が気にするのは検索結果に私のブログを表示してくれるグーグル神のみである。唯一神教だ。

 

ごめん、話がそれすぎた。本筋に戻ろう。

 

よく巷では「勇気のある人」と言われるがいるが、あれは勇気のある人ではない。正確には「人が怖がることを平気でできてしまう、脳のブレーキがぶっ壊れた人」である。

で、じゃあ勇気って何よ、という話である。

 

これは完全に私の定義だが、勇気とは「怖いと思う自分にあらがって、挑戦した経験」のことである。

この経験があるかどうかで、自信が培われるのだ。

 

人というのは良くも悪くもアホなので(私は悪い方のアホだが)、怖い経験をしたとしても、繰り返すうちに慣れてしまう。よくYouTubeで見かける高所で撮影しているやつとかがいい例だ。別に彼らは勇気があるのではなく、「慣れたことをしているだけ」であって、その慣れたことが「他人にとっては怖いこと」なのである。

 

つまり、勇気とは備わるものではない、ということ。備わるのは慣れであって、勇気とはその都度振り絞るものなのである。

 

 

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勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

 

誰がどれだけ私のことを称賛しようとも、やっぱり私はアホだと思う。

そんなアホな私でもそれなりに毎日部下の相手をして、それなりの仕事をこなせているのは、やはり過去の「勇気を出した瞬間」が常に私を支えてくれているからだ。

どうしても人は分かりやすい結果に目を向けがちだし、他人を評価するときも結果ばかりを見がちである。

だが、結果なんてその後の出来事でいくらでも価値が変わる。大きな勝利を上げた人がいたとしても、その人が数年後に淫行で逮捕されたら、評価は地に落ちるだろう。淫行と仕事の結果はなんの関係もないのに。ロリコン可哀想。別にロリコンの肩を持つわけじゃないけど。

 

話が若干それた気がするが、まあそういうことだ。結果が良い方がいいのは間違いないけれど、結果ですべてが報われるわけではないということ。

その一方で、勇気を出した経験。これは無敵である。どんな場面でも自分を支える、かけがえのない最強アイテムとして君臨しつづけてくれる。しかも使用限度なし。最高じゃないか。

(勇気を出して淫行をしたらどうなの?とか意地悪なことを考えたそこのあなた。そういうところですよ)

 

成功は驕りを生みやすいし、人は成功を拠り所にすべきではないでしょ、という話であった。

 

以上。

 

 

為末大といえば、こちらのベストセラーもオススメ。目からウロコが出すぎて部屋が汚れるレベル。魚介類と浮気してると疑われないように気をつけて。