俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

仕事は楽しいものと洗脳しようとする風潮をなんとかしたい

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仕事は楽しくあるべきか?

 

どうも、兼業ブロガーのひろたつです。

 
私は大企業の底辺で働くかたわら、こうしてブログを書いてお金を稼いでいる。いわゆる複業家である。パラレルキャリアとか言われたりもする。なんならパラレルキャリアについてインタビューを受けたこともある。物好きな方がいたもんだ。
 
ここ数年の間に流行っている考え方に「仕事を楽しむ」というものがある。YouTuberが市井に認知され始めたころに「好きなことで生きていく」という言葉をそこら中で見かけた。
別に誰が何を楽しもうが構わないのだが、ここ最近の風潮を見ていると「楽しんで仕事をしてないとおかしい」ぐらいの圧力を感じる
 
私には子供が3人いて、どいつもこいつも私に似て愚かな子供たちである。そんな彼らだが、親心としては少しでも強い子に育ってほしい、偏見のない大人になってほしいと願っている。
そんな子供たちが「仕事は楽しまなければならない」という価値観に洗脳されるのが非常に怖い。
 
子供に限らず若い人の傾向として、短絡的に答えを導き出してしまうことが挙げられる。基本、若いとアホは同じ意味だ。別にディスってない。真実である。
 
そんなアホな彼らに「仕事は楽しむもの」という価値観を植え付けてしまうと、いざ仕事を始めたときに、ちょっとでもつまらない瞬間があったときに「この仕事は間違っている」という認識になりかねない。それは困る。ちゃんと働いてほしい。
 

 

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なぜ仕事で賃金が発生するのか?

 
言うまでもないが仕事で賃金が発生するのは、誰かに価値を提供するからである。
個人が市場に提供した価値に応じて、対価を得る。とっても簡単な仕組みだ。仕組みは簡単だけど、いざお金を稼ごうとするとけっこう難しい。
 
世の中には一人でお金を稼いでしまえる人もいるけれど、多くの、それこそ99.9%は誰かの力を借りないとお金儲けをすることができない。
例えば、プラットフォームを用意してもらったりとか、作るけど売るのはお願いする、とか。これらは誰かの協力があってはじめて市場まで価値が届き、そして自分まで対価が届く。
 
そうなると、それぞれが役割を任されることになる。「あなたはこれをしてください」となる。
これはつまり、約束と同義だ。
「あなたがこれをやってくれる代わりに、私はこれをやります」、そういった約束事の上で協力が成り立っている。
 
そして約束というのは、往々にして束縛を生む。自由を奪う。
いつも商品を作る側の人が「今日は自分が売る側になりたい」と言ったとしても、「じゃあ代わりに誰かが作るんですか?」となる。自分の希望を叶えることで、誰かに迷惑をかけてしまうのだ。
 
これは信用という言葉にも言い換えられる。
信用の大事さは子供でも分かると思うけれど、「楽しさ」を基準にしてしまうと、安定した仕事ができないので、約束を反故しがちである。「自由にやるのがウリです」なんてのもいいけれど、信用は得られにくいだろう。
 
 

楽しいって、つまるところは何?

 
勘違いしてほしくないのは、「仕事は楽しい」を否定しているわけではない。
 
仕事も人生も一緒で、楽しいときもあれば苦しいときもあるということだ。最近の風潮だとまるで「仕事はずっと楽しい」みたいに受け取れてしまうことだ。
 
断言するが「ずっと楽しい」なんていうのはありえない
ずっと快楽を得られるなんて、ドラッグでも不可能なのに、仕事でそれが得られるのだとしたら、本当に楽しんでいる人は永遠に仕事をしているはずだ。
こういうことを書くと、また浅薄な考えしかできない素晴らしい方が「お前が仕事を楽しんでないだけだろう」とか言ってくるのだけれど、そんな小さな話をしているのではない。嘘を教えたくないだけである。
 
もっと根本的なことを理解してほしい。
 
楽しいってのはなんだろうか。
快感を得られて夢中になれることかもしれない。では、その快感はなぜ生まれるのだろうか?
 
話はけっこう単純だ。
つまらないこととの比較である。
 
つまらないとか苦しいときがあると、その対比として「楽しい」や「面白い」が発生するのだ。
 
人里離れた農村では、数ヶ月前の客人の話題に花を咲かせることがあるそうだ。それも、「誰も来ない日常」との比較から生まれている。
 
力を貯めないとジャンプできないように、つまらなさや苦しさがなければ、楽しさを認知できない。それが人間の脳みそである。
 
 

「苦しめ」と「つまらない」は違う

 

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別に苦しめば楽しめる、という意味でもない。苦しんでほしいと思っているわけでもない。
 
確かに苦しい仕事をすれば、終わったあとの開放感で一瞬「楽しい」と思えることだろう。これでは水面から顔を上げてはしゃいでるのと変わらない。いや、それでもいいのか…。
 
要は自分が納得しているかどうかが大事なのである。
自分から「苦しい方向」に行ったのか、それとも誰かに「苦しめられている(と思い込んでいる)」かの違いは大きい。
 
さきほども書いたが、お金を貰えるのは価値を提供するからだ。
逆に言えば、お金を出してでもその価値がほしいと思われていることに賃金が発生するわけだ。例えば汚物の処理など。
 
つまり、誰かの「お金を払ってでもやりたくないこと」が仕事になりやすいのである。であるならば、仕事が苦しかったりつまらなかったりするのは当然だし、そういった仕事が社会を支えていることはご理解いただけるだろうか?
本当に楽しいことであれば、誰かが賃金も貰わずにやっているはずだ。スマホのゲームのように。
 
もちろん仕事を楽しむ方法はたくさんある。
ただ、それでも「つまらない時間があるから、楽しさを感じられる」「仕事は誰かのやりたくないであることが多い」というのは、揺るがない事実なので、目を背けないようにしてほしい。
 
その上で、楽しむ努力だったり、やりがいを感じればよろしい。
ポジショントークをするために、若者をたぶらかすのはよろしくない。
 
以上。