どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
2019年本屋大賞ノミネート作品のレビューである。
事前の評判やAmazonの紹介文を読むかぎりだと、かなりの傑作である印象を受ける。
しかしながら、事前の評判が良いということはイコール地雷である。なぜか毎回そうなのだ。誰かの陰謀なのか、それとも自分の中で勝手にハードルを爆上げしてしまい、自滅しているだけなのかもしれない。
せっかくの話題作だし、本屋大賞ノミネート作品ということで、レビューを参考にする人が多いと思われるので、ここは私らしく超正直な評価を書き記しておく。
ただ毎度のことながら、ネタバレは一切なしだ。そういうのを期待している人は、速攻でブラウザバックだ。『火のないところに煙は ネタバレ』とかで検索しておけ。もしかしたら、私がこうやってこの記事の中でネタバレネタバレを連呼しているから、結局この記事がヒットするかもしれんが。
ちなみに、私はあらすじさえもネタバレだと思ってるような人間である。
さらにはネタバレする人間は人間だと認めていないので、ネタバレするやつはそういう妖怪のたぐいだと認識している。妖怪ってどうやって退治するのか誰か教えてほしい。グーグルで検索したいけど、何かのネタバレに出くわしそうで、うかつに検索もできない。なんと物騒な世の中になったもんだ。
さあ、余計な話はここまでにして、レビューに移ろう。
まずは内容の紹介からである。
内容紹介
「神楽坂を舞台に怪談を書きませんか」突然の依頼に、作家の「私」は、かつての凄惨な体験を振り返る。解けない謎、救えなかった友人、そこから逃げ出した自分。「私」は、事件を小説として発表することで情報を集めようとするが―。予測不可能な展開とどんでん返しの波状攻撃にあなたも必ず騙される。一気読み不可避、寝不足必至!!読み始めたら引き返せない、戦慄の暗黒ミステリ!
どうだろうか。なんとも煽り属性の強い言葉たちである。
これを読んでどれだけ多くの方が『火のないところに煙は』に期待をしてしまうかよく分かる。なぜなら私もその多くの人間のひとりだからだ。こんなに美味しそうな紹介文を書かれたら、そりゃあ読むさ。期待するさ。
だがだ。
先程も書いたばかりだがこういう煽りが強い作品は往々にして、肩透かしを食う。過度な期待は禁物だ。だが期待するから読むわけで、わざわざ期待できないつまらなそうな作品を読むことなんてないのだから難しいものだ。
率直な評価
この作品に関しては色々と書きたいことがあるのだが、この記事を読んでいる方の多くは、現代人らしく時間に追われていると思うので、まずは率直な評価を書こう。
70点
これが高いと思うかは微妙な線だ。悪くない作品だと思う、という表現が一番近いかもしれない。
ホラーらしく「ゾクッ」とさせられたところがあった。文字だけでゾクッとさせるのは、素晴らしいと思う。
しかしながら、名作や傑作、または「今年度ベスト級!」みたいな作品では決してない。残念だけど。
ホラーはムズいっす
小説の中には色んなジャンルがあるが、その中でも作り出すのが一番難しいのは、間違いなくホラーだ。
ちょっと考えてみてほしい。
ホラー作品の目的とは、究極は「読者を怖がらせること」である。文字情報を与えるだけで恐怖を感じさせる。これはなかなかハードルが高い。
なぜなら恐怖という感情は、ビジュアルや音などの方が感じさせやすいからだ。
小説でそれをしようと思ったら、読者の脳内で「怖いと感じさせるもの」を創造しなければならない。脳みそのハックである。これができないと、ホラー作品として成り立たない。相当に作者の腕が試される。それがホラーなのである。
他のジャンルで考えてみる
他のジャンルだとどうだろうか。
例えば私の大好物な推理小説。
これなんかは創作するのはレベル1だろう。
トリック云々の問題はあるだろうが、最近の推理小説はぶっ飛びまくっているので、「実はこの作品にはトリックが存在しない、という意外な結末でした!」みたいなのも許容されるだろう。それに推理小説好きは基本的に頭があれなので、死体と探偵が配置されていればそれで満足できるはずだ。
では恋愛ものはどうだろう。
これも簡単だ。誰かが恋をして、上手く行かなくなって、やっぱり上手く行けばいい。それだけでみんな満足だ。永遠に繰り返していればいい。
SFもそう。とりあえず未来の話を書いておけばいい。
そうやって考えると、本当に創作が必要なジャンルって、ホラーだけなのだ。おわかりいただけただろうか。(5割ぐらい冗談です)
煽りすぎたね
繰り返すが、『火のないところに煙は』は面白い。ホラーとして機能しているところも確かにある。だがそこまで絶賛されるほどの作品でもない。
一番の敗因はやはり「煽りすぎ」だと思う。
「予測不可能な展開」とか「どんでん返しの波状攻撃」とか、言い過ぎだと思う。
本当にそんな作品が存在するのであれば、超読みたい。1万払ってもいいぐらいだ。でも『火のないところに煙は』はそこまでの作品ではないのである。
とある仕掛けが…
作中では、とある仕掛けがほどこされている。当然ネタバラシはしない。実際に自分で確かめてほしい。
この仕掛は別にそこまで画期的なものではなくて、ホラーでは常套手段になりつつあるものだ。だからといって、スベっているわけではなく、ちゃんと効果的に機能している。私は完全にヤラれた。
ちょっと話が逸れるかもしれないが、ホラーの肝の部分である、「読者を怖がらせるための条件」について説明しておきたい。
冒頭で書いたとおり、読者を文字だけで怖がらせるのは至難の業だ。そこにはいくつかのパターンが存在する。思うに以下の3つ。
1.意表を突く
2.想像をハック
3.信じ込ませる(友達から聞いた話なんだけどさ)※現実世界との境目を曖昧にする
これらに関係する仕掛けが施されているのだが、なかなか悪くなかったと思う。
だがちょっと勿体なかったのは、その仕掛けの積極性というか、もうちょっとグイグイ来ても良かったんじゃないかと思う。
ホラーとミステリーの融合
なぜかよく分からないが、作家はやたらとホラーとミステリーを融合したがる。『火のないところに煙は』も同様で、作中でそう語っているぐらいだ。怪奇現象だと思われていたことが、実は…的なやつだ。
だが、私が思うにこの2つは相反するジャンルだ。融合はありえない。
三津田信三とかも結構頑張っているし、彼の書いた『首無の如き祟るもの』はかなり高いレベルで融合しているように思えたが、やっぱり最終的にはどちらかに傾かざるを得ない。
そうなのだ、ホラーとミステリーを融合とか言っても、結局は…
合理的な答えを提示して「ミステリー」にするか、
不合理なまま終わらせて「ホラー」にするか、
のどちらかなのだ。
これでは融合ではない。単なる作中の寄り道である。
いちゃもんじみたことをたくさん書いたが、それなりに楽しめた作品である。
ただし、一番ホラーとして楽しめたのは第一話だけで、それ以降は一話ほどのインパクトを感じられなかった。仕掛け的にも一番大掛かりだったのが第一話だったし。(ヒント:装丁)
以上。
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