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どれだけ育児を頑張っても「ママが良い!」と言われるんですよ

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耐えない苦労

 

どうも、パパブロガーのひろたつです。

 

私には子供が3人いる。まだ人間未満なので正確に表現すると3匹なのだが、一応人間として戸籍登録されているので3人である。

まだまだ地球ビギナーな3人なので、色々と手のかかることも多い。

ただでさえ私は職場で100人超の部下を抱える中間管理職で、職場で誰かの面倒を見てばかりなのに、家に帰ってきても、休みの日でも誰かの面倒を見るという、「面倒見なければならない地獄」にハマり込んでいる。「苦労は買ってでもしろ」とかふざけたことを昔の人はおっしゃられたそうですが、こちらに苦労が在庫抱負なので買ってもらえませんかね?メルカリに出しておきますよ、苦労。

 

 

育児をするパパは少数派

 

さて、そんな仕事に育児にと奔走している私だが、人並みには家事と育児をするパパだと自認している。

 

本業の拘束時間が長いので、平日は奥さんに負担がかかりがちだが、家に帰ってきてからと休日はできるだけ家事を務めるようにしている。

人によっては「そんなの当たり前だよ」とか思われるかもしれないし、私もそう思うのだが、職場の同僚たちの話を聞く限りでは、ここまで家事に育児にと精を出すパパは少数派のようである。

 

たまに会社で、子供がいる女性から「家のことどうしてます?」と聞かれることがある。

正直に「できる限り手伝わせていただいてます」と答えると、大抵はそこから「ウチは全然なんですよ!」みたいな旦那の愚痴に付き合わされたり、「超羨ましい…」と余計な嫉妬だったり憎しみを買うことになる。

なので最近は余計なことは言わずに、「ゼロっす」と答えるようにしている。

よく分からんが、この世の中には正直ではダメな瞬間があるらしい。

まあこちらも別に、嘘をついてもそこまで苦にならない人間なので、みんながそれで平和を保てるのであれば嘘キャラを演じ続けようと思う。

 

 

本当の敵は…

 

で、周囲の人は別にそんな感じで適当にあしらっておけばいいのだが、本気で困るのが我が家の3匹である。

まあ理不尽。どれだけ努力しても認めてくれない。鬼教官よりも鬼。というか鬼。

 

私が作ったご飯とかは普通に食べてくれるのだが、直接のスキンシップ系がダメになるときがある。

主な例としては「お風呂」「歯磨き」「寝る」「遊ぶ」など。

パパという存在では満たされない何かがあるらしく、ことあるごとに「ママが良い」と言われる。子供からのクビ宣告である。

これが会社のクビであればもう諦めるしかないし、なんなら色んなものから解放されて嬉しいぐらいなのだが、我が家には小鬼たちよりも本当の鬼である奥様が控えているので、いくらクビ宣告をされても、私は育児という職場に出社しなければならない。出社拒否ならぬ懇願出社である。

 

どれだけ頑張っても私はママではないので、このセリフはかなり厳しい。心にダメージを食らう。

どうにもならないことに文句を言われる苦しさが分かってもらえるだろうか?

もし分からない方は、町中で出会った半魚人に「まだ肺呼吸してるんですか?ダッサ」と言われる状況を想像してもらいたい。きっと想像できないだろうし、それがまともな感覚なので安心してほしい。

 

 

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何がいけないのか?

 

ちょっと錯乱したので、話を戻そう。

 

それにしても、なぜあいつら(愛すべき子供たち)はそんなにママがいいのだろうか。というか、そもそもそんなにママと私で違いがあるだろうか。

子供たちの気を引くために頭を悩ませていた私は、そんな疑問に辿り着いた。

 

正直、あんな理不尽な奴らの脳内構造を考えても、石ころに思いを馳せるぐらい無駄な時間である。私たちとはまったく違うルールで生きているのだ。考えるだけ無駄かもしれない。だが考えずにはいられない。

 

ママと私の最大の違いは、まあ性別だろう。それは認める。

しかしプリキュアに性別が関係なくなるこのご時世、性別でとやかく言うのはちょっと時代遅れである。

生まれたてのあいつらは、ある意味時代の最先端である。そんな最先端の人間が旧人類の価値観であるジェンダーに囚われているとは、ちょっと考えにくい。

 

となると、もっと別の要因だろう。なんだろう…?もっと見た目の話だろうか。

 

例えば髪の毛。

奥さんはロングで、私は短い。真反対だ。これか?

いやちょっと待てよ…。奥さんが髪をクルッとまとめて短くしていても、あいつら関係なしに「ママが良い!」と言っている。どうやらこれも関係ない。

 

おっぱい、と言いたい所だが、うちの奥様は授乳を止めてからかなり清楚な胸におなりあそばせたので、正直私と大差ない。なんなら私が太ったら勝てそうな気配さえ感じる。だからこれも違う。

 

女性ものの下着を身に着けたらどうだろうか。子供たちから「パパが良い!」と言ってもらえるだろうか。

でも子供たちからの人気と引き換えに何かを失いそうだ。具体的には分からないけれど、致命的な何かを。できれば私は致命的な何かを失いたくはない。

 

というように考えれば考えるほど、私と奥さんには何も違いがないことが分かる。

となると、あとはもう名前ぐらいしかない。

ここはコペルニクス的転回の発想で、私が「ママ」ということにしてはどうだろうか。

 

 

 

…意外と行けるかもしれない。

 

 

私が「ママ」なのだから、子供たちの「ママが良い!」が飛び出しても「俺がママだし」と反論できる。

 

「そうじゃなくって、いつものママが良いの!」とか言われても「だから俺がママなんだってば!」と鮮やかに論破できるし、なんなら私が求められていることになる。

これは凄い。万事解決である。これでもう「ママが良い!」で傷つくことは一生ない。

 

なんだ、こんな簡単なことだったのか。悩んで損した。自分がママじゃないのであれば、ママになればいいだけの話なのだ。あー、解決して良かった。

 

 

ということで、私と同様にママに勝てなくてお困りのパパたちは、本日を持ってママになることをオススメする。

 

以上。

私と同様、人間未満に振り回される全国の親御さんに愛を込めて。