先日のニュースでどこかの大臣が誰かを不快にさせる発言をしたとかしなかったとか、マスコミが善意だか悪意だかの編集をしたとかしないとか、があったらしく少々騒がしかった。
こういうのは今に始まったことじゃなくて、ずっと繰り返しやってる。
そのたびに思うのだが、本当に失言ってのはまずいことなのだろうか?
先に書いておくが、私は高卒(しかもまともに通っていない)レベルの無学なので、政治についても社会についても無知である。
バカの独り言だと思ってもらえると助かる。
もちろん助かるのは私ではなく、こんなくだらない記事に付き合わされているあなたである。私はいつもどおり平和に過ごしている。
で、たびたびメディアでもSNSでも政治家とか、世間的立場のある人の失言が話題になる。批判の対象になる。それだけで失脚することもある。
政治家というのは国民が選んでいるのだから、国民から嫌われたら職を失うのは当然のことなのかもしれない。
でもなぜそんなふうに、言葉ひとつで嫌われてしまうのだろうか?
例えば今回の件で言えば、大臣が某アスリートのカミングアウトに対して、気落ちしたことをコメントした。(実際のコメントは全然違う意図だったようだけど、またそれは別の話として)
これに多くの人が怒りの声を挙げた。
アスリートを軽んじる人が大臣をやるべきではない、というようなコメント見かけた。
つまり、アスリートを大事にする人でなければ大臣をやってはいけない、という定義なのだろうか。
別にそういうふうに考える人がいても全然構わないのだが、ちょっと感情的すぎやしないかと思う。
みんなに冷静に考えてもらいたいことが2つある。2つだけだから、少しぐらい考えてみてくれ。
まず1つ目。
コメントってのはそんなに人間性を反映するものだろうか?
私は職場で100人を超える部下を抱えており、大勢の前で話をする機会が本当に多い。もちろん普段からあれこれと部下にコメントを求められることも多い。
事前に考え尽くしていることであれば、的確な答えを返せるけれど、余裕がないときや考えなしなときには、精度の低い(単純に間違ってる場合もある)返答をしてしまうときもある。
また、みんなの前で話をするときも、別に一言一句用意した原稿を喋っているわけじゃないので、喋り終わった後に「ちょっと違う言い方になっちゃったな…」みたいなときもある。
もし私のそんな「ちょっとしたミス」を拡大解釈されて「あいつは上司としての器じゃない」とか言われるとかなりキツイ。即興の喋りにその精度を求めるのは、ムリな話だ。
もうちょっと極端な例を挙げよう。
次の質問に1秒以内に答えてくれ。
空欄を埋めてできる、女性の身体の部位は?
ま◯◯
別にセクハラをしたかったわけじゃない。
正解は「まぶた」である。「まゆげ」でも「まつげ」でもいいかもしれない。
わざわざ”女性”と書いたのは、ただの誘導である。でも勝手に勘違いした人は多いんじゃないだろうか。まあ別に女性器を答えても、間違いじゃないけれど。
ここで言いたいのは、この問題に対して女性器を思わず答えてしまった人。そういう人に対して「下品なことばっかり考えてる人」と評価を下すだろうか。
きっと多くの人は「仕方ない」と理解してくれると思う。
これは極端な例かもしれないが、人の言葉とか、発想というのは、そんなもんなのである。大した精度ではないのだ。
特に口から発する言葉は、一度出したら訂正できない。文章のように推敲できない。自分で眺めることもできないので、どうしても精度が低くなってしまうものなのだ。
そんな頼りないものでいちいち人間性を決めつけられてしまうのであれば、マスコミの前でしゃべるのはあまりにもリスキーだ。
もしかしたら「政治家なんだから完璧な受け答えができて当然」とか思っている人がいるかもしれない。
だとしたら聞こう。「口下手だけど良い政治家」の存在は認められませんか?もっと言うと、無難な受け答えをするのが政治家だと思っているのであれば、Siriが一番優秀な政治家になりますけど。
もう1つは、
「発言と考えていることが同じかは、誰にも分からない」ということ。
大臣の発言そのものに対して怒っているのではなく、そういう価値観の人間だから怒っているのだ。という人がいると思う。
でもその発言をしたからって、本当にその人がその程度の人間性だとなぜ分かるのだろうか。心の底からの発言だとなぜ分かるのだろう?
では逆のパターンはどうだろう。
口では清廉潔白な、耳に心地のよい言葉ばかりを吐く政治家。でも心の中では、国民をバカにし、自分の私利私欲だけを満たすことだけを考えている。国を良くしようなんて、1ミリも考えていない。実際に何もしていない。でもメディア映えはするので、いつでも言動が話題になる。
別に特定の誰かをモデルにしているわけではないから、詮索しないように。
こういう政治家はきっとメディアで見る分には最高だろう。
一般世間から見れば、政治家なんてパフォーマンス部分しか目に入らない。何をして、何を成したかなんて全然分からない。
ということを考えると、答えが出ると思う。
発言からその人の人間性なんて分かりっこないことを。
というか、発言よりももっと大事なことがあると分かるはずだ。
政治家の仕事はコメントを発することではない。国民からウケることでもない。
何をするか。どんな結果を出すかである。
なのに、私たち愚かな一般大衆とそれを映し出すメディアは、表面的なものばかりに着目し、評価してしまう。だからお互いにいつまでも薄っぺらいままだ。漢字の読み方を間違えたらなんなんだよ。どうでもいいでしょ。
そうやって低すぎるレベルの批判を国民は繰り返す。そしてそんな低レベルの批判に対して謝罪する政治家。
これって有意義ですか?この間、日本は停止していませんか?
なので私が言いたいのは以下の3つ。
①政治家の発言ひとつで判断しない。コメントは精度が悪いことを知れ。
②政治家を評価するときは、何をしているか、何を成したかで判断する。調べる。
③そもそも政治家はメディアにコメントするな。推敲した文章で発表せい。即興で勝負するのはラッパーだけでいいよ。
以上。