どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
今回は長らく書評ブロガーとして活動してきた私の、記事を書く上で大事にしている2つのルールについてである。
大事、と言ってもそんなのは見る人によって感じ方は様々だろうし、私が大事にしていることを守ったからって、私と同じようにブログで成果が出るわけではない。
なので正確にいえば、ただのこだわりである。
法律よりも大事なルール
まずこのブログでは数少ない一貫した姿勢がある。
それは「ネタバレをしないこと」である。
これは開設当初から一貫してブレていない。
このルールは私の中で絶対的な正義である。法律よりも序列が高い。つまり逆に言えばネタバレは絶対的悪。私の中では殺人級の犯罪である。
だって、ネタバレをした時点でその作品の価値が殺されているんだから。可哀想、作品。人間と違って治癒能力がない彼らはやられる一方だ。ただひたすらにネタバレという暴力にさらされて傷つき続けている。そんな彼らの傷口を塞いであげることは私にはできない。であれば、少なくとも私は傷つけない人間でありたい。彼らを守る存在でありたい。うーん、擬人化について来られる人がこの記事を読んでいることを願う。
自覚のないネタバレもキツい
いや、でも本当に真面目な話、ネタバレはキツい。
これまでに何度もネタバレによって楽しみを奪われてきた私は、ネタバレが憎くて仕方ない。ネタバレする奴が目の前にいたら、色々と酷いことをしそうだ。もういい大人なのに。
例えば、某2ちゃんねるにて私は、とあるミステリー作品について「叙述トリックだ」という書き込みを見てしまい、せっかく読むつもりだったのを断念した経験がある。
意外と分かっていない人が多いが、「叙述トリックが使われている」と書くのは超絶ネタバレである。叙述だと思わずに読むところに呪術…おっと失礼、叙述ね。憎しみが訳のわからんタイプミスを生み出してしまった。ネタバレしてくる奴らを全員呪い殺したい願望がこぼれちゃったよ。
話を戻そう、叙述だと思わずに読むところに叙述トリックの良さがあるのに、それをバラしたらどうなる。なんの為に読むんだ。アホかと。バカかと。
それとこれも何度もこのブログで書いているけど「意外な結末」とか「衝撃の展開」とかも同じだからな。意外なことが起こるって分かっちゃってる時点で意外じゃないから。サプライズプレゼントをする前に予告する奴ぐらいバカ。お前らがやってるのはそういうこと。
ネタバレせずに記事を書くのは結構ムズカシイ
ちょっと興奮しすぎたかもしれない。思わず無邪気にネタバレをしてくるカスどもに向けて呪詛の言葉を綴ってしまったが、そんな奴らはそもそもこんな記事を読まないはずだ。今現在この記事を読んでいる善良な皆さまには不快な文章を晒したことをお詫びしたい。善良だから許してくれるっしょ。
かなり横道にそれた感があるが、とにかく私はネタバレをしない。
作品の魅力について語りはするが、中身のストーリーや設定については極限まで触れない。
なのでいつもぼんやりとした抽象的な表現になったり、ただ単に私の感情を書きなぐっただけの記事になってしまう。
正直自分でも「こんなんで良さが伝わんのか?」と思っているのだが、それでも多くの方がこのブログ経由で作品を購入してくれている。
みんな余程読解力があるのか、それか私への憐れみで買ってくれているかのどちらかだろう。もしかしたら私の両親が可哀想な息子のために必死で買ってくれている可能性もある。もしそうだったらもっと買え、親。息子はまだ可哀想だぞ。
ちょっと真面目なもう一つのルール
もうひとつのルールが「正直に書くこと」である。
私は腐るほど本を読んでいるので、当たりの作品に出会うこともあれば、ハズレの作品に出会うこともある。
当たりであれば「当たり」とブログで書く。ハズレであれば「ハズレ」と書く。当然のことだと思われるかもしれないが、実はこれが難しい。
というのも、ブログをビジネス的な視点で見た場合、せっかく時間を費やして読んだ本であれば、面白かろうがつまらなかろうがブログで紹介して少しでも売上につなげたい。少しでも費やした時間が報われてほしいと思ってしまう。
それに、どんな本でも何かしらの良いところがあるものだ。そのポイントを誇張すれば、誰かしらには引っかかるかもしれない。いつかは売れるかもしれない。
もっと言えば、私の感じた「当たりハズレ」なんてただのいち意見でしかない。他の人にはまったく違う印象になるかもしれない。
であれば無差別にオススメしまくってもかまわないのでは…。高く売れる本を扱えばいいのでは…。
うん、分かる。でも私はしないのだ。
自分を楽しんでもらう
自分の正直な感想のみを書く。
このブログはあくまでも私の価値観をばらまくメディアである。これは言い換えるならば「自分というブランドを楽しんでもらう場」である。
全てを受け入れてもらおうとなんて当然思わない。
それでも私が常に「正直に語る」からこそ、読んだ人が「こいつの言ってることは好きor嫌い」と感じられるのである。
私がまやかしを書いてしまえば、読んだ人の持つ感想もまた、まやかしになってしまう。
私はそれを望んでいない。欺瞞に満ちた世の中だが、せめて自分の周りだけは誠実な世界を構築したい。
もっと個人的な話をすると、正直に書かないと次第に自分の中で何が本当なのか分からなくなってしまうのだ。
書こうと思っていることが素直に感じたことなのか、それとも打算的に生まれたものなのか。その区別が次第につかなくなってしまう。
こうなるとどんな本を読んでも「どこが金になるか?」みたいな目でしか見られなくなり、素直に楽しむことができなくなる。一時期この状態にハマり込んだときがあった。
だから私は正直に記事を書く。
賢いやり方ではないかもしれないが全然OKだ。
そんな自分が最高に好きだ。バカで十分です。
***
この2つのルールはあくまでも私のこだわりであり、皆さんに強要するようなものではない。
殺人級と書いたがネタバレだってしたい人はすればいいし、ネタバレしないと記事が書けない人はネタバレを込みで書けばいいと思う。
よく分かっていない人に高価な本を売りつければいいし、最新のビジネス本をオススメしたらいい。
ただ単に私はそういうやり方が嫌いなだけである。
みんな好きに生きればいい。
私は自分の矜持を大事にするだけだ。
以上。