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抱負を語るだけで若干満足するから気をつけとけ

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どうも、複業ブロガーのひろたつです。

今回書きたいのは、抱負を語ることの意味の無さについてである。

もっと言えば、抱負を語ることの危険性である。 

 

 

この記事を書いているのは年の瀬。世間様は休みに入っている期間である。

サービス業に従事する私は、年末年始の時期に休むことがない。

なので皆さんが味わっている正月休みの弛んだ空気を、ツイッター越しに味わっている次第だ。弛んだ空気のおすそ分けどうもありがとう。あとで捨てとくわ。実家に帰ったときに無理やり貰うおせちぐらいに。

 

さて、みんなが浮かれ気分で気の緩んだツイートをしまくっている時期なのだが、意識がとっても高い方は、年末年始の気の緩みそのままに大言壮語、1年の抱負を語りに語っている。あれをやりたい、これを達成したいと、七色の希望のオンパレードである。

抱負を語るその姿はキラキラと眩しく、本人もそんなキラキラした自分に酔いしれているように見える。私の嫌いなタイプである。ええ、別に好きだけキラキラしたらいいんじゃないでしょうか。

来年の抱負を語るのは年末の恒例行事になりすぎてみんな疑問に感じないのだろうが、普通に考えたらなんでわざわざ1年で区切るのさ、という話である。1年なんて単に地球が太陽を一周回った時間である。それのどこがあなたの抱負と関係あるのだろうか。まったく関係ない。

それに抱負なんて語ったところで、しっかり1年間覚えているやつなんて、ほんの一握りで、大体は来年の年末に「そういえばそんなこと言ったなぁ」ぐらいのレベルでしかない。そしてまた年末頃に「今年の初めに立てた目標は忙しくてなかなかできなかったのですが…」みたいな寝言みたいな呟く。全部ひっくるめてそうだが、わざわざネットの大海に投じる感覚がスゴい。お出かけコーデをアップされている感じ。「知らんがな」と死ぬほど言いたい。もちろん死ぬのは私ではなく、そいつらだ。

大体にして、抱負と書くとなんとも厳かな感じになるが、考えてみたらただの欲望である。個人の大々的に語ること、それが1年の抱負である。みっともないと思いなさい。

 

さて、暴言も大概にしておこう。

誰が浮かれ気分で1年の抱負を語ろうが、その人の自由である。好きなだけ脳みそお花畑でいればいいだろう。その方がこの世知辛い世の中、幸せに生きられるというものである。正直、そうやって幻想の中で生きられる図太さが羨ましい。ディズニーランドで浮かれる人たちと同じ素晴らしさである。うん、年始から暴言が止まらないね。別に正月休みが貰えなかったからじゃないよ。ただ単に性根がひん曲がっているだけです。今年もよろしくね。 

 

あーあ、余計なこと書きすぎて何が書きたかったか忘れちゃったよ。そうそう抱負ね、抱負。

 

色々言ってきたけど、抱負自体はそこまで悪いことではない。人がなにかを成すためには、根底に欲望がなければならない。欲望の伴わない行動なんて存在しない、と言っても過言ではない。

いつまでも新しいことにチャレンジし、いつまでも成功し続けているかの秋元康は、ホリエモンこと堀江貴文と初めて会ったときに「なんでお前らはなにもしないで金儲けができてるんだよ!俺は悔しい!」と言い放ったそうだ。数えきれないほどの記録を打ち立て、当時のトップアイドルと結婚し、使い切れないほどのお金を持っているのにもかかわらず、変わらずに欲望を持て余すその姿にホリエモンは感動を覚えたそうだ。「まだ求めるのか」と。

このように人の欲望と行動力は直結しているのだ。

で、私が危険だと思ってしまうのは、SNSを代表するツールによって得られる承認である。

SNSが流行した大きな要因として、お手軽に承認欲求を満たせることが挙げられる。

先進国で暮らしている我々は、余程の環境にいない限りはそれなりの生活を送ることができる。明日のご飯や水に困るような生活を送ることはない。

そうなると欲求はもっと高い次元である、自己実現だったり、他人からの承認だったりになる。

そしてSNSは簡単にそれこそインスタントに他人からの承認を得られてしまう。

私も最近になってツイッターをまともに使い始めたので分かるが、フォロワーさんたちのイイネは単純に嬉しい。承認欲求が満たされるのを実感する。

これが危険だ。

何もしていないし、何も達成してないのにもかかわらず、欲求が満たされてしまう。飢餓感が失われしまう。

 

抱負を語るだけで承認される文化。他人の応援する意味での「イイネ」がその人のやる気を奪ってしまうことを知ってほしい。

もしかしたら人によっては、抱負を語っておいて誰からもイイネが貰えなくてやる気を失ってしまうかもしれない。

だがそもそも、他人から応援されなきゃ始められない人の抱負なんて、たがかしれている。誰がやりたいのかという話だ。自分だけで始められないのであれば、それこそただの寝言である。応援する価値もないだろう。

 

なので私は抱負を語るつもりはない。己の欲望は己の中で存分に発酵or腐敗させる所存である。新年もよろしくどうぞ。

 

以上。