俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

俺だってヒーローになりてえよ

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青春ってなんだっけ?

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先日読んだ小説の影響が強すぎて、いい年こいたオッサンがいきなり青春について考え出してしまったので、脳内の膿を絞り出すかのように文章を綴ってみたい。こういうのをお目汚しというのだろうか。でも大丈夫、目ってそんな簡単に汚れないから。っていうか、なんだ目が汚される状況って。そんなんされるまで無抵抗の奴なんていんのか。汚される前に逃げろ、みんな。

 

 

素晴らしい作品と出会いました

 

どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

いきなりふざけた冒頭文で面食らっただろうか。それとも面倒だからすっ飛ばしただろうか。どちらにしろ、このブログにようこそ。いい加減本題に入る。

 

私をバグらせた罪深い作品がこちらである。

 

 

 

私はこの『あと少し、もう少し』を読みながら、ずっと考えていた。

「青春ってなんだっけ?」と。

 

この作品を軽く説明しよう。『あと少し、もう少し』は、中学生駅伝を題材にした文句なしに青春ど真ん中の小説である。

これを読んで青春を感じられない人間は、まだ青春未経験の人、つまり赤ちゃんぐらいだと思う。 

おかげさまで私は赤ちゃんではないので、『あと少し、もう少し』から青春を食らいまくることができた。非常に幸せな時間を堪能させてもらった。

読後には青春で殴られすぎて、熱量の高いレビュー記事を書きなぐってしまった。そしてすぐにマラソンアプリをダウンロードした。←まだ走ってない。ダウンロードしただけでやった気になってる

 

 

青春って何よ

 

このように人のテンションに無駄に火を付けてしまう「青春」。

よくテレビとか日常会話でも、爽やかな人間ドラマを目にすると「青春だね~」みたいなことを言ってしまうのはあるあるだ。

だが、そもそも青春って何よ、という話なのである。なんか知っているような気になっていたが、実はよく分かっていないっぽい。感覚としては間違いなくあるけれど、上手く言葉にはできないのが正直なところ。

 

これでも私はブロガーである。単に「少年少女たちが頑張っていれば青春」なんていう安易極まりない定義はしたくない。もっとちょっと芯を食った言語化ができないものだろうか。

 

 

青春とは

 

つるっつるの脳みそで少しばかり考えてみたのだが(1分ぐらい。ほとんど考えていないに等しい)、思うに「可能性があること」なんじゃないだろうか。

爽やかで青さを感じる場面というのは、これからの可能性に夢中になっていることが多い。そこに年齢は関係なく、年寄りだとしても青春を感じられるのは、多くの人が知っているとおりである。

この可能性というのは、言い換えると「できないことがある」と同じ意味だと思う。

できてないからこそ、これからの変化が期待できる。できてしまってからの変化なんて、できなかったころからの変化に比べれば、些細なものだ(実際には、できるようになってからの成長の方が難しいものだけど)。

 

人は、今その瞬間のできごとよりも、まだ見ぬ未来、これからへの期待に心躍ってしまうものだ。その期待感を「青春」と呼んでいるように感じる。

付き合いたてのカップルや、片思いに感じる青春は、まさにその期待感から来ている。

 

 

青春してますか?

 

さてさて、そんなことを考えていると我が身を振り返らずにはいられない。

オッサンの私はそうそう日常でワクワクすることもなければ、未来を期待することも少ない。むしろ鬱々と日々を過ごしているし、未来を見渡せば嫌なことばかりが目につく。

果たしてそんな人生でいいのだろうか、と自問したところでなんの役にも立たず、「まあ仕方ないか」と達観のフリをした諦めを抱えてまた日々に立ち向かっていくことばかり。

残念ながら自分の人生を肩代わりしてくれる人はおらず、駅伝のように襷を渡すことはできない。最初から最後までずっと一人きりのレースである。

レース自体に文句を言いたくなるときもあるにはあるが、そこはやはり「言っても仕方ない」であり、地道に歩みを進めるしかなかったりする。

 

 

みんな孤独だけど…

 

ただひとつ確かなことは、私たちがどれだけ孤独なレースを走っていたとしても、世界中でみんながそれぞれのレースを続けているわけで、みんなも同じように苦しんだり楽しんだりしているのである。

一人ひとりは別々かもしれないが、大きな目線で見ればみんなで走っていることと変わりなかったりする。

その事実がどれだけの慰めになるか分からないが、隣で同じように頑張っている人がいるだけで、「じゃあもうちょっと頑張ってみようかな」というふうに全然論理的でなくても納得ができてしまうのが人間というものなのである。愚かだけど、その愚かさゆえに生きられるのが私たちだ。

信じてしまえば、それが現実だろうが幻想だろうが、あまり大差はないということでもある。

 


以上。