俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

【随時更新】小説中毒が厳選した最高に面白い小説1~100冊目
これまでの人生で買って良かったものまとめ
読書中毒者が選ぶ最高に面白いノンフィクション&エッセイ
Twitterの叡智集合。#名刺代わりの小説10選を1300人分まとめてみた

経験上、苦手なことから逃げるのは得策ではない

f:id:summer39191628:20181118233128j:plain

  

どうも、超中間管理職ブロガーのひろたつです。100人を超える部下に囲まれて、毎日ひいひい言っています。よろしくどうぞ。

 

 

苦手なことはしなくてもいい?

 

最近ネット界隈を見ていると、「苦手なことを無理してやる必要はない」というような言説をよく見かける。

 

「得意な人にやらせた方が効率的」

だとか、

「苦手な人がやっても、疲弊するだけ」

「人生はもっと楽しく生きられるもの!」

 

といった理由がよく語られている。

 

もちろん人生はその人それぞれのものであり、わざわざ苦しい道を選ぶ必要はないだろうし、好きに生きればいいと思う。

選択肢はいつだって無限である。無限に思えないのは、その人の視野が狭くなっているからに他ならない。

 

だが、私の経験上で言わせてもらうならば、苦手なことからは逃げるべきではない。

もう少し柔らかい言い方をするなら、逃げるのは得策ではないと思う。

 

 

苦手はコンプレックスに成長する

 

その理由は非常に簡単である。

苦手なことは、放っておくとコンプレックスになるのからだ。

苦手なことが、「苦手なこと」で済んでいる時点ではまだ救いようがあるのだが、コンプレックスにまで成長してしまうと、人は戦えなくなってしまう。向き合うことさえできなくなってしまうのだ。

 

これは人生の自由度を下げているのと同じだ。

人生にはたくさんの可能性があって、あらゆる道があるはずなのに、コンプレックスという行き止まりがあることで、その道が見えなくなってしまうのだ。自分で自分の可能性を閉ざしているのだ。

私はこれまで数百人の部下を育ててきたので、コンプレックスの厄介さは身に沁みて分かっている。コンプレックスによってキャリアを伸ばせなくなった例は、よく見かける。

 

 

諦めた回数が老いを作る

 

歳を重ねた人ほど成長できない理由もここにあると感じている。

生きていく中で色んなコンプレックスを作り上げてきた人は、挑戦することをせず、自分を変えることができない。当然、成長もできない。むしろ着実に劣化していく。

こういう人は、総じて諦めグセが付いているものだ。

 

苦手なことや、やったことがないことにチャレンジできる人は、その経験を糧に成長できる。

こういう人には若さがあってそこに年齢は関係ない。

 

楽しいことだけをして生きていければ、そんな素晴らしいことはない。

だがしかし、本当にそんな人生が存在するのだろうか?

やりたいことだけで人生が埋まるようなことがありえるだろうか?

人が自分の都合だけで生きていければ、それも可能なのだろうが、社会で生きている限り絶対に「やりたくないこと」や「苦手なこと」と向き合わなければならない瞬間がやってくる。

 

 

人と関わるのが苦手だった私

 

私は以前、人前で喋るのが苦手な人間だった。というか、そもそも他人と話すこと自体が苦手だった。

学生時代はほとんど友人と呼べる人間がおらず、黙々と本を読み続けていた。

自分の顔が嫌いで、そもそも他人から見られる、ということが苦手だった。自分の醜さを注視されているような被害妄想を抱えて生きていた。

 

そんな人間が今では、100人以上の部下を抱え、人前でもそれなりに堂々と喋れるようになった。

もちろん最初から上手く行っていたわけではないし、最初に5~6人程度のチームのリーダーになったときも、人前で喋ることから何度も逃げていた。喋ってすむことを、わざわざ書面に起こして渡すなどして、なんとかしのいでいた。

でも限界があったし、リーダーの逃げる姿勢は確実に部下に伝わる。次第に部下の心は私から離れていった。

周りにたくさん人がいるのに、自分一人だけになったような感覚。自分がいなくても勝手に職場が動いてしまい、自分が必要とされていない状況。

最悪だった。

しかしそれは私が招いた事態だった。

 

 

変わるためにもがく日々

 

そんな苦い経験があったから、私は少しずつ他人とコミュニーケーションを取ることにチャレンジしてきた。

 

どうやったら話を聞いてもらえるのか?

相手を取り込めるか?

笑わせられるか?

考えてもらえるか?

影響を与えられるか?

 

考え続けて、実際に試してみて、上手く行ったり失敗したりを続けながら、ひとつずつ、少しずつ私は変わっていった。俗に言う成長、というやつだ。

 

失敗したときは恥ずかしいし、チャレンジしたことを後悔するときもある。思慮の浅い自分を責めるときもあった。というか、未だにある。

 

でも私たちは都合のいいことばかり見ていられるファンタジーの世界で生きているわけではない。

いいことも悪いことも、得意なことも苦手なことも混じり合った、この複雑な世界で生きている。

だから自分の苦手にも向き合っていく。得意になろうとまでは言わないけれど、こなせる程度まではレベルアップしたい。

 

 

目的はなんでしたっけ?

 

それに、得手不得手とかよりももっと大事なのは、「どこを目指しているか」である

大きな目標のためであれば、やりたくないことや苦手なことだって、結局は「やりたいこと」になるのだ。

 

もうちょっと卑近な例を挙げるならば、食事である。

食事は多くの人にとって好きな時間だと思うが、食べれば後片付けが待っている。

誰かが片付けてくれるのであればいいが、常にそうもいかないだろう。

そう考えると、後片付けだって食事のうちなのである。

でもそこだけを切り取って「後片付けは苦手なんだよなぁ」と思ってしまうのは、ちょっとわがまますぎるだろう。

 

嫌だと思うその気持ちが、単なるわがままなのか、それとも自分の人生において「必要ないこと」なのか。

そこは見極めるべきだと思う次第。

 

以上。