よくもまあ毎年毎年、懲りないもんだ。
夏の風物詩といえば
私にとって夏の風物詩といえば、花火でも海でも甲子園でもない。
じゃあ何かと聞かれれば(誰も聞かないと思うから自分から言ってしまうが)
24時間テレビと、それに文句を言う方々である。
みなさんも同じように感じているはずだ。
他の番組は気になりませんか?
どうもテレビというのはネット文化から一方的に敵視される傾向がある。24時間テレビなんていうチャリティー番組だと、余計にやり玉に挙げられる。
私は24時間テレビにも興味ないし、文句を言う人たちの意見にも興味はないのだが、ふと思ったことがある。
「24時間テレビを放送していない、他の364日の放送内容についてはどう納得しているのだろうか?」
みんなチャリティー番組の出演者にギャラが払われていることに文句を言ったり、制作費がどうのとか、感動ポルノとか言っている。
チャリティー番組はギャラとかの問題があったとしても(自分は問題だと思わないけど)、現に寄付されている。誰かの役に立っている。
でも他の番組は完全にただの経済活動だ。誰かの私腹を肥やすためだけの番組である。
放送という公共の電波を使う上で、一体どちらが正しい、もしくはあるべき姿に近いのはどちらだろうか?
正義で善を倒す人たち
このように無駄に正義を振りかざす人たちが大暴れする傾向は、SNSが発達してきた最近出てきたわけではなくて、もう十数年前から見られた。
2ちゃんねるで慈善活動に関するスレッドが立つと、絶対に誰かしらが「偽善だ!」みたいな声を上げていた。で、それに対して反論する人が現れて、泥沼の罵り合いが始まるわけだ。ネットの風物詩である。とっても風流ですなぁ。風流の意味知らんけど。
こういったやり取りには、2ちゃんねる上でひとつの答えが出ていて、それがあの有名な格言「やらない善よりやる偽善」である。結果的に誰かのためになりゃいいじゃん、という非常に簡単明快な答えである。
慈善活動に対して「それは正しい慈善活動じゃない!」と怒る人たちは、まず自分の言動が正しいかどうか自分自身にツッコんでほしい。すぐに気づくはずだ。自分たちの振る舞いの方がよっぽど醜いし、なんの生産性もないことを。
…なんて書きつつも、気付けない人たちが多いからこうなっているだろうなぁとも思っている。
ツッコミは生産的か
マキタスポーツの著書で『一億総ツッコミ時代』という本がある。昨今の日本の風潮を的確に捉えた良書である。
この本で「評価されるのが怖いから、他人の評価をする側に回る」というような内容が書かれている。
24時間テレビに文句を言っている人たちもまさにこれで、茶々を入れることで自らのアイデンティティを保っているように見える。または、己の正義感を満たしているように思える。
本当に正しいことをしたかったら、四の五の言わずにさっさと行動すればいいだけである。よく言われる「口じゃなくて手を動かせ」である。
ボケがいなければツッコミは成り立たない。ボケがすべての始まりなのである。ならば、評価する側がそんなに偉そうにするのは明らかにおかしい。
DJ社長が言っていたが「批判する奴らは脇役。批判される側は主役」なのである。
※参考動画
誰かを攻撃するような正義じゃなくて、普通に人助けをしよう。
ということでリンクを貼っておく。
どうしようもない私だが、唯一自慢できるのが、こちらの団体のマンスリーサポーターになっていることである。少額ではあるが毎月定額を募金させてもらっている。
人の命を救うのって、簡単にできるんだぞ。
それこそ誰かに文句を言うのと同じくらい。
以上。