どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
たまにはちょっと役立つ話をしよう。
突然の依頼
先日、会社で数分間のスピーチを依頼された。
テーマは特になし。100人ぐらいを相手に適当なことを喋ってくれ、という内容である。
適当で良ければいくらでも喋れるのが私である。適当に準備して(たぶん推敲に10分ぐらい)、適当に喋らせてもらった。
これが思いのほか好評で、色んな部署の人から「面白かったよ」なんて声をかけてもらった。びっくりである。もしかしたら私の話の内容ではなく、一心不乱に白目をむきながら話している私の姿が滑稽で面白かっただけかもしれない。もしかしたら私には知らざれる天性のスピーチの才があるのかもしれない。
とまあ御託はこの辺にしておくとして、せっかくスピーチ用に書いた文章なので、ちょっとアレンジしてみたのが今回の記事である。
実際に「面白い」と感想をたくさん(と言っても10人ぐらいだけど)もらった話なので、きっと多くの人にも楽しんでいただけるのではないだろうか。
「どうやったら人は変われるか?」
多くの人の前で喋るとなると、多くの人に共通する話題にしなくてはならない。うちの息子がちんちんに血管を見つけて大喜びしていた話なんぞしても仕方がない。誰が喜ぶんだ、そんな話。私はめちゃくちゃ笑ってしまったが。
ということで、とっても普遍的で、しかも多くの人が一度は思い悩んだことがあるであろう話題を提供してみた。
題して「どうやったら人は変われるか?」である。
どうだ、びっくりするぐらいつまらなそうだろう?私も同意見だ。なんだなかなか気が合うな、今度飲みにでも行かないか。私は行かないけど。
残酷な話
話を戻そう。というかそもそも進んでいなかった。テーマを書いただけだ。
先日読んだ本に興味深い話が載っていた。
※こちらの本
簡単に説明すると、夏休みの宿題を最後の方にやる人ほど、大人になったときの肥満率、喫煙、飲酒、ギャンブルの習慣、そして借金をしやすいことが分かっている、というもの。
これはどういうことかと言うと、やらなきゃいけないと分かっていても、嫌なことや面倒なことを「後ででいいや」と考えて先延ばしにしてしまう性質は、大人になっても変わらない、ということなのである。
なかなか残酷な話だと思う。ちなみに私は夏休みの宿題を計画的に早めに終わらせたことは一度もない。なんなら高校のときの夏休みの宿題は未だに終わっていない(現在33才です。よろしくどうぞ)。
こうやって人は悪い習慣に取り憑かれたまま生きていく。そのうちに、最初は「今日はいいや」だったものが、気が付けば「努力できない人」になってしまうのだ。
思い込みの話
さらにこんな実験がある。
被験者に「忘れっぽいです」と言わせたグループと、そうでないグループの2つに記憶力を試すテストをしてもらうと、「忘れっぽいです」と言わせたグループの方がはるかに悪い成績になるそうだ。
他にも、現役の大学生に老人に関するイメージをもたせると、歩く速度が遅くなる、なんていう実験結果もある。
つまり、人は自分の持っているイメージや思い込みにかなり左右されてしまうのだ。
人というのは、基本的に変わりにくいと言われている。良い方向へ変わるのは特に難しい(健康的な習慣を身につける、他人のために生きる、努力するといった方向)。
しかしそれに慣れすぎて、日頃から「自分はダメだから…」とか「どうせできないし」とか「無理」なんてことを思うたびに、人はそのとおりの人間になっていく。
「無理」と思うたびに人生の可能性がひとつずつ減っているのかもしれない。まあ我々の人生は常に残り時間が減る一方なので、生きているだけで可能性が減っているとも言える。
運のいい人とそうでない人
もうちょっとポジティブな実験の話をしよう。いや、もしかしたら人によってはネガティブな話かもしれない。
まず街頭で無作為に選んだ人を、
①自分は運がいい
②自分は運が悪い
という、2つのグループに分ける。
そしてこの2つのグループにこんな問題を出題する。
新聞を渡し、その文面の中から特定の単語(例えば「世界」とか)を、1分以内に10個以上見つけられれば1000円をあげる、というもの。
この正解率というか、単語を見つけられる個数の違いを調査するのだが、結果には大した差は出なかった。
しかし、2つのグループにはある決定的な差があった。
というのも、この実験。実はひとつ仕掛けが施してある。
被験者に渡した新聞には写真があって、その中に被験者の目の前にいる問題の出題者が載っているのだ。そしてその写真の説明書きのところに「この写真に気が付いたら2000円あげます」と書いてあって、「自分は運がいい」と思っているグループの人のほとんどがこれに気が付いたのだ。
そう、人は自分の思い込みによって、人生の中で出会うチャンスさえもふいにしてしまうのだ。
ちょっとした違い
私は現在、会社員として100人の部下を抱える仕事をする傍ら、こうしてブログを書いて時給7500円ぐらいの副収入を得ている。
この話をすると同僚たちは「羨ましい」なんてことを言う。なので私が「じゃあやり方教えようか?もちろんタダで」という臨時ボーナスにも匹敵することを言っても、「いやいや、そんなの特別な才能がある人しかできないでしょ」とか「自分には無理だよ…」と言われる。そもそも挑戦さえしないのだ。
「無理」だとか「できない」「変われない」と思うことは、非常に簡単だ。 人は常に易きに流れるが、それはその方が自然だからだろう。ストレスが少ないのだ。
もちろん私だって最初から上手くいってわけではないし、文章を書くことが得意だったわけではない。恥ずかしい思いだってしたし、結果が出なくて苦しんだ時期もあった。というか今だって常に悩んでいる。
それでも私はやってみた。やり続けてみた。これからも色々試し続ける。
そこにあるのは「もしかしたら上手くいくかも」とか「できるかもしれない」といった程度の非常に頼りない自信である。根拠はなにひとつない。
でもその頼りない自信を何度も自分に言い聞かせることで、少しずつ私はできるようになってきたし、変わっていくことができた。
たぶん、ほんのちょっとの違いなのだ。自分にかける言葉を変えるだけで、人は変われる。自己啓発書もセミナーも必要ない。とってもお手軽だ。
いつだって自分の限界を決めるのは自分である。どこでブレーキをかけるのも自由である。
だからこそ私たちはもう少し、自分たちの可能性を信じてみてもいいのかもしれない。
走らない人生なんて、あまりにも勿体無いと思うのだ。
以上。