やる気があれば…とか言ってるから何もできない。
やる気をください
どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
やる気に左右される人は多い。もちろん私もそのひとりである。灰色じみた私の人生を少しでもバラ色に近づけるべく、こうしてブログを始めてはみたものの、最初の気概はどこへやら。最初はいくらでも記事を書いていられたが、今は「面倒だけど、仕方ねえか…」と腐れきった態度で記事執筆に臨んでいる。もちろん今あなたが目にしているこの文章も例外ではない。なんかすいません。
で、一般人が陥りがちな罠がある。何かことをなすにしても、自分の行動力の無さを「やる気があればなぁ…」と言い訳しているパターンだ。
私も好きで起業家や社長が書いた本をよく読むが、大抵の人が異常なほどのやる気の持ち主だ。だから、誰も追いつけないぐらい走り抜けてしまうし、誰も考えないぐらいの所まで考えてしまう。
普通の人でしかない自分と、そんな超人的な億万長者たちとの差や、違いを「やる気」に求めてしまいがちである。
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やる気の正体
でも冷静に考えてみてもほしい。
確かに行動力や考え抜く力の差はあるかもしれない。だが、それが本当に「やる気」に起因したものだとお思いだろうか。成功するかどうかが「やる気」というただ一点が分かれ目になるとお思いだろうか。
たぶんみんな薄々気が付いている。やる気なんていう実態のないものに原因(責任)を見出すことで、自分が努力しないこと、行動しないこと、考えないことに対して言い訳を作り出していることを。そんなまやかしを自分自身が信じ込んでしまっていることを。
私が観察した限り、やる気というのはただの気分のことである。決して、みんなが思っているような「成功に導くエネルギー体」ではない。やる気なんて「なんか気分がいい」、っていうそれぐらいのものだと思う。
だから私たちはいつまでも自らが作り出した幻想を一刻も早く追い払い、やる気や気分んなんてものに左右されないサイボーグな自分を作り出すことに専念すべきである。
もちろん、言い訳して満足する人生を否定するつもりはない。ぬるま湯が好きな人もいれば、火傷しそうなぐらい熱い温泉が好きな変態もいる。どんな生き方を選ぼうがその人の自由だ。
成果を生み出すもの
成功していない人は、自分を成功に導いていくれる何かを求めがちである。やる気もそのひとつだろう。
しかしながら、いきなり空を飛べるようになる魔法の粉は存在しない。誰もが地に足をつけて、一歩ずつ進まなければならない。エネルギーを注がなくてはならない。
手と頭を動かし続けた先にしか成果はない。…らしい。
未だ成功とはほど遠いブログ生活を送っている私にはそんな偉そうなことは言えない。いや、まだ偉くないからこそ今の内に偉そうなことを言っておこうじゃないか。
やる気自体は何も生み出しはしないのだ。何かが欲しけりゃ、行動しな。行動行動。
そしてクソほど考える。それだけだ。
それでもやる気が欲しいなら
ただ私たちは人間なので、気分というものが存在する。気分良く作業ができるのであれば、それに越したことはない。やる気という幻想を追い求めずとも、気分良くする方法は考えてみてもいいのかもしれない。どうせやるなら楽しく、だろう。
しかしながら、結局はそこにも魔法の粉は存在しない。
常に気分良くいようと思ったら、やれることは地道な毎日の積み重ねである。
つまり、健康的な生活、食生活を送る。
これだけで気分は良くなる。当たり前すぎるし、それをやるのが面倒だから、みんな目をそらすのだろうけど。
やれることは目の前にある。あとは手を付ける気があるかどうかだけである。
あれ?結局やる気が大事、って話になってない?
以上。