クソ認定炸裂
この記事を書いている時点ではまだ私は読んでいないのだが、先日、『アイアムアヒーロー』が終わったらしい。最終巻の一つ前までは読んでいるのだが、あそこから1巻だけで終わらせるというのはちょっと想像できない。よほど無理矢理な終わらせ方をさせたのだろう。
実際、ネットの声を聞く限りでは「クソ」らしい。
祭りのあと
思えば連載マンガではこの現象がよく見られる。
連載中は人気絶頂、売上も何百万部、何千万部という数字叩き出し、メディアミックスも展開。超人気作としてどこのコンビニでも見かけるようになる。
それが結末を迎えた途端、駄作として扱われる。あの持ち上げようは何だったのか。
読者は勝手
物語というのは期待と裏切りで構成されている。それによって読者をコントロールしている。
もちろん読者は期待通りになってほしいと願いつつも、(いい意味で)裏切られたい欲求も持っている。非常に勝手である。
だから例えば『GANTZ』みたいな「謎が謎を呼び、想像もできない展開が続く」という作品の場合、読者は自然と「これだけの大風呂敷を広げたってことは、とんでもないラストが待っているはずだ」と勝手に決めつける傾向がある。謎があったら解明されると思い込んでいる。
風俗店かな?
読者に謎を提示し、それを思いもよらぬ方向から解決する。という手法は物語の中で古くから使われている。それによって読者が快感を得られるからだ。
そして読者は基本的に風俗店に来た客みたいなもんなので、作中に「謎」があったら、気持ちよくしてくれる(解決)もんだと思っている。
で、その解答が不完全燃焼だったり、伏線の回収が不十分だったりすると怒り狂う。光の速さで「クソ認定」してしまう。
これはちょっと残酷すぎやしないだろうか。
人間に置き換えてみる
ちょっと考えてみてもほしい。
例えばこれを人間に置き換えてみよう。
生きている間はずっと品行方正。マザー・テレサみたいな生き方をしていた人がいたとしよう。多くの人がその人によって救われ、人生に良い影響を与えてもらえた。多くの感謝を包まれた人だった。
その人が亡くなったあと、ある事実が発覚する。
実はその人は死ぬ間際、年齢を重ねていたこともあり、車の運転中に不注意で人をはね殺していたのだ。しかもその事件が発覚することを恐れ、自宅に死体を隠していたとしよう。
きっとみんなはこういうだろう。
「そんな人だとは思わなかった。見損なった」
つまり裏切られたような気分になるのだ。
しかし、その人が生きてきた中でたくさんの人を救ってきたことは事実。多くの感謝を浴びてきたことも事実なのだ。
でも最後の最後が醜いと全部否定されてしまう。
では逆パターンだと…?
これを逆パターンにすると面白い現象が起きる。
ずっと悪の道を歩んできて、暴力団に所属して人もたくさん殺し、盗みもたくさん働いてきた人がいたとしよう。
彼はずっと犯罪に手を染め続け、刑務所とシャバを行き来する生活を死ぬまで続けていた。
しかし、死ぬ直前になって突然改心する。自分のこれまでの生き方は間違っていた、と。なんて恥ずかしい人生だったのか。迷惑をかけてきた人たちにお詫びしたいと思った。
そこで彼は全財産を投げ打ち、恵まれない子供たちを救うためのNPO法人を立ち上げる。寝る暇も惜しんで働き、実際、たくさんの子供たちを救うことに成功した。
実は彼も子供頃、非常に恵まれない生活を余儀なくされており、そのために悪の道に進むしかなかったという事情があった。だからこそ、子供たちにまともな生活を、まともな教育をほどこしてあげたいと考えたのだ。
ほどなく彼は亡くなる。
慈善活動をしていた期間は短いかもしれないが、彼はたしかに恵まれない子供たちを笑顔にしてきた。
さあ、そんな彼に対して人々が抱くイメージはどうだろうか。結構良いイメージで語られるんじゃないだろうか。
「本当は純粋な人だったんだ」なんて言われている様子が目に浮かぶ。
前者は人生のほとんどを他人のために尽くしたのにも関わらず失望されて終わる。
後者は人生のほとんどの他人に迷惑をかけて生きてきたにも関わらず聖者として扱われる。
最後はこれを物語に置き換えてみよう。
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本当に物語を愛しているのか
全然面白くないマンガがあったとしよう。最初っから最後までずっと面白くない。
だけど最後の最後。実はとんでもない伏線が隠されており、しかも超絶感動的なエンディングが用意されていた。
この作品、確実に名作として語り継がれるだろう。
「最初だけは我慢して!」とか言いながら友達にムリヤリ貸そうとする奴が出てきそうだ。
連載のほとんどの時間で読者を興奮させ、楽しませてきたにも関わらずクソ認定される作品がある。
連載のほとんどがつまらない展開にも関わらず、最後が華々しいだけで名作扱いされる作品がある。
物語は結末だけで評価されるべきだろうか。
楽しかった時間はすべて無駄になってしまうのだろうか。
それはあまりにも残酷すぎるだろう。
物語を愛し、作家という存在に敬意を払っている私は、素直にそんなことを思うのだった。
以上。