俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

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ブログにわざわざ書くのは“綺麗に飾っておきたい”から

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ブログを継続するために必要なものは?

その問いに対する、私なりの答え。

 

自分に冷める瞬間

どうも。薄給ブロガーのひろたつです。オススメ本がほとんどAmazonで1円なので、全然紹介料が入らなくてびっくりしています。

 

さて、そんなポンコツなりにも、一応ブログで収入を得ている私だが、たまに記事を書きながら自分自身を冷静に見つめ直すときがある。というか、やけに冷める瞬間がある。文章を書いている自分自身に。

 

ブログなので、基本的には人様に読んでもらうことを前提に書いている。この愚痴みたいなブログにたまたまか、はたまたリピーターかは分からないが、とにかく来てもらって記事を読んでもらうからには、それなりの価値を提供したいと必死に文章を綴っている。

ごめん、必死は嘘。でも価値あるものを作り続けていてはいるつもり。

 

でも、これだけブロガーが世に溢れていて、しかも大物も出揃っている中で、「自分のような小者が必死にブログを書いた所で何の意味がある?」と思わずにはいられない。必死じゃないのは置いておくとしても、だ。

 

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価値があるとなぜ分かる?

自分では自分の記事に価値を見出している。それは間違いない。だが、果たして他人様が読んで同じような価値を感じるか?と問われれば、そこに確信はない。そう信じてる、としか言いようがない。

例えば、私のブログの中でも一番PVも収益も稼いでいるこの記事、

orehero.hateblo.jp

これなんかは確実に価値を提供している。本好きである自分自身がまさにこういう記事を欲していたからだ。

でもこうやって確信できる記事なんて、本当にこのブログの中の10分の1にも満たない。

あとの残りは、誰かの心に引っかかればいいな、ぐらいの淡い期待しかない記事たちである。

 

綺麗に飾っておきたい欲求

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自分のようなポンコツでも、人生という大海を泳いだり溺れたりしている最中、たまに「これは!」と思うようなことがある。それは知恵だったり、格言めいたことだったり、ささいな発見だったりする。

この、「自分なりの“これは!”」をせっかく見つけたのだから、それなりの形に整えて、綺麗に飾っておきたくなる。誰が読むとも知れなくても、宝物として取っておきたくなる。

そんな欲求が、ブログに必要な地道な作業の積み重ねを可能にしている。

他人様とその価値を共有できるかどうかは不明だとしても、少なくとも自分だけはその価値を確信している。だからこそ、ブログ記事という形で世の中に放り出せる。

 

共有できたらラッキー

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なので、私の記事はかなり半信半疑で投稿しているものが多い。というかほとんど。「みんなに伝わるか分からないけど、まあいっか」と何度思ったか分からない。

でもそれくらいハードルを低くしているからこそ、価値を認めてくれる人が現れると本当に嬉しいし、批判された所で「反応してくれた!」とマゾっ気たっぷりに喜ぶだけである。

そもそもが、他人と価値を共有できるだけでラッキーなのだ。

いくらネットで他人と繋がりやすくなったからといって、同じ価値観を持つ人間なんぞほとんどいない。同じじゃなくて当たり前、認められなくても当たり前。それでいいのだ。

 

ただただ、自分なりに「これは!」とテンションが上がるものを見つける。そのために考える。

むしろ何かを見つけられるだけで、それだけで十分幸せなことなのだ。

 

以上。