さて、この困ったちゃんをどうやって料理するかね。
道尾秀介の代表作だって
夏休みを迎える終業式の日。先生に頼まれ、欠席した級友の家を訪れた。きい、きい。妙な音が聞こえる。S君は首を吊って死んでいた。だがその衝撃もつかの間、彼の死体は忽然と消えてしまう。一週間後、S君はあるものに姿を変えて現れた。「僕は殺されたんだ」と訴えながら。僕は妹のミカと、彼の無念を晴らすため、事件を追いはじめた。あなたの目の前に広がる、もう一つの夏休み。
100万部を超えた道尾秀介の代表作だそうだ。Wikipediaにそう書いてあった。
得てしてそうだが、作家の代表作は「一番売れたもの」か「受賞作」になる。そういった意味でも道尾秀介の代表作と『向日葵の咲かない夏』が呼ばれるのも不思議ではない。
ただ私は不思議でしょうがないのだが。 よくもまあ、こんな変態作品を代表作なんて宣えたもんだ。
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小説を売るために大事なこと
『向日葵の咲かない夏』。
秀逸なタイトルである。そして、この作品を紹介するのために使われる言葉は、この作品の特性上非常に極端になりがちである。(例えば「衝撃の~」とか「最後の~」みたいな)
小説を売るために必要なのは、実際に面白いことよりも、「面白そう」と思わせることである。そういった意味で、『向日葵の咲かない夏』は大成功を収めた。秀逸なタイトルと過剰な煽り文句によって。
なにせこの出版不況の時代に100万部超えだ。方法はどうであれ、立派なもんである。
もしかしたらもうすでに伝わっているかもしれないが、私は『向日葵の咲かない夏』を評価していない。凡作だと思っている。いや、正確に言えば「大衆受けする作品ではない」と思っている。
では誰が評価するのかといえば、「ミステリーマニア」である。
普通じゃ驚けない変態たちのための作品
ここで言う「ミステリーマニア」の定義は、
「普通のミステリーでは驚けなくなってしまった人たち」
である。
彼らは非常に可哀想な人々だ。
ミステリーという、独特な快感をもたらす作品群に溺れるがあまり、快感を感じる神経が擦り切れてしまい、普通の刺激では物足りなくなってしまっているのだ。ミステリージャンキーである。
彼はただの犯人当てや、密室、アリバイ、ハウダニットなどにはもう興味がない。
では何に興味があるのかと言えば、「ミステリーの新たな可能性」である。彼らの目線は読者のそれを超えて、作り手の世界に入り込んでいる。
彼らが評価するのは意外な結末でもなんでもなく、ただただ「その手があったか」という可能性をひとつひとつ潰す作業なのである。
そういった意味で『向日葵の咲かない夏』はミステリーの新たな可能性に挑んだ作品であり、マニア受けするに相応しい作品になっている。普通のミステリーでは喜べなくなった彼らが手を叩いて喜んでいる様子が目に浮かぶようである。
そもそも道尾秀介は変態
今でこそ映像化されたりして、ベストセラー作家みたいに扱われている道尾秀介だが、そもそも彼だって生粋のミステリーマニアである。もっと直截に表現するならば、変態である。
私もかなりのミステリー好きではあるが、そこまでクセ球を好むタイプではなく、いつまで経ってもシンプルに欺かれることを求めている。
そんな私が『向日葵の咲かない夏』を読んで感じたのは、「マジか、これ」である。
一部の人にしか受け入れられない作品だと思った。そしてその一部の人が過剰に評価する作品であろうこともよく分かった。
で、そんなクセのある作品に対して、当の著者である道尾秀介はどんなコメントを寄せているか。
これである。
「僕が読みたいミステリーが書きたかった」
「この作品が書けただけでも、作家になってよかった」
本人、ご満悦である。
若干日本語が怪しくなるぐらいに満足しているらしい。こんなクセ球を放っておいて喜色満面とは、変態と呼ぶ以外ないだろう。
道尾秀介の変態エピソード
道尾秀介の変態っぷりが分かるエピソードがある。以前、BSの横溝正史特集で語っていた内容だ。
彼は高校生ぐらいから小説にハマり、大学時代に横溝正史に熱狂するようになる。その熱狂ぶりは、作品世界に登場する地域に実際にひとりで旅行に行くぐらいだ。
しかし、横溝正史作品を読んだことがある方ならご存知かと思うが、横溝正史の作品というのは、地名などをあえてアルファベットに一文字に変換して伏せている場合が多い。具体的な地名が出てくるときは大抵、彼が創り出した地名だ。
なのに、学生時代の道尾秀介は、その地名の頭文字であろうアルファベットから、地域を特定し、実際に足を運んでいたのだという。
その旅の中で、たしか『犬神家の一族』だったと記憶しているが、そのモデルになった村に行ったときに、思わぬ大発見をした。
事件が起こる犬神家へ金田一が向かう描写そのままに、村の中を進んでいくと、実際に小説の通り大きな家があったそうだ。しかも、そこは横溝正史の生家だったのだという。
若き道尾秀介は、「これは自分だけしか知らない秘密だ!」と大喜びしたそうだ。
だが実はこの話にはオチがあって、横溝正史の他の作品のあとがきで「犬神家のモデルは生家で、場所は~」と書いてあり、道尾秀介がただ単に知らなかっただけだったという。
なんか話が逸れている気がするが、とにかく道尾秀介の本質は極度の変態さんであり、そんな彼自身が「読みたかった」という『向日葵の咲かない夏』は、当然のことながら一般受けするようなシロモノではないのだ。
そういえば、「誰も読まなくなっても、小説は死ぬまで書き続ける」なんてこともインタビューで答えてたなぁ…。
挑戦するには持って来いかも
そんな変態が生み出した珠玉の変態ミステリーである『向日葵の咲かない夏』。
駄作ではないが、普通に騙されることを期待していると、気持ち悪い裏切られ方をする。「そんなのありかよ」って。手品師の格好した奴が「今からあなたを驚かせます」と言ってきておいて、実家の母親にオレオレ詐欺を仕掛けられたような気持ち悪さである。こんな例えで伝わるとは到底思えんが、それくらい卑怯な作品だと理解してもらえれば幸いである。
なので、逆にいえばミステリーに小慣れてきてしまい、今までに見たことがないような作品を読みたい人には、持って来いの作品かもしれない。『黒い仏』と似たようなもんだ。分かる人だけ分かればよろしい。
ベストセラー作家の変態部分を凝縮した作品である。趣味の悪い方はぜひ。
以上。