世の中は装飾する手段やアイテムで溢れかえっている。
それはお金で買えるものだったり、身につける技術だったりする。
別に誰がどれだけ自らを飾り立てようが構わないのだが、素直に失礼ながら「自信がないのかなぁ」なんて思ってしまう。
語調を強めたくなるのは自分が弱いからであり、相手を自然と導く力がないからだ。
自分を飾り立てたくなるのは自分に満足していないからであり、足りないものを埋め合わせようとする行為だ。
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あくまでこれは個人的な趣味でしかないが、私は装飾していない人が好きだ。美しいと思うし、強いと思う。
とんでもなく直截な例だが、私の奥さんは基本的に化粧をしない人だ。肌が異常に綺麗なのでそれでも平気、という理由みたいだが、そのことよりも私は化粧をしなくてもいいという彼女の姿勢自体を美しいと思う。もしかしたらただ単に面倒なだけかも知れないが…。
人が集まってくる人というのは、装飾している人もしていない人も同じだと思うが、継続的に人から必要とされるのは装飾をしない人、もっと正確に言うならば「装飾を必要としない人」じゃないだろうか。
私の職場でも頼りになる人は少なからずいるが、総じてそういう人たちは「装飾」に頼らない人間性を持ち合わせていて、多少の瑕疵は周りが多めに見てくれているように感じる。「どうしようもないなぁ」と笑い飛ばしてくれる。できることなら私もそういう人間になりたいと思う。
少々キツイ言い方をするならば、装飾をしないといけない人というのは、自分の欠点を覆い隠さないと周囲から認められない人だったり、自分を認められない人だったりするんじゃないだろうか。
自分を大きく見せてみたり、より良く見せてみたり、その目線は完全に外へ向いている。他人からどう見られるかに意識を注いでいて、自らに向いていない。
人生は有限である。他人を気にしている時間も、自分を成長させようと内面を見つめる時間も等しく過ぎ去っていく。そしてその結果は必ず付いてくる。どういう結果であろうともだ。
装飾によって得られるものは非常に刹那的である。それこそ整形やタトゥーぐらい思い切った装飾であれば継続的なものになりえるが、取り繕う程度だったり見栄を張るためのものは、限りなく瞬間的にその価値を失う。次々と発売される車の新作を見てもらえればよく分かると思う。
人には変身願望というものがある。装飾はお手軽にその欲求を満たしてくれる。非常に都合がいい。
だからこそ人は装飾の魅力に取り憑かれがちだし、上手な装飾が施された人に引き寄せられたりする。
私たちに本当に必要なものは何だろうか?それは装飾だろうか?それだけは違うと私は思う。
少なくとも自分の身体に備わっていないものは、あくまでも借り物であり、自らの人生に必ずしも必要ではないだろう。でもどうしても人は自分にないものばかりに価値を見出してしまう悲しい性がある。
足りないものを求めていった先に手にするものが、空虚でないことを祈るばかりである。
以上。