どうも、複業ブロガーのひろたつです。今日もこっそり生きています。
熱狂的なファンというのはどこにでもいる。
世の表現者たちの多くが、彼らを栄養にして生活しているのだから当然である。お金はそうやって回っている。
熱狂的なファンはともすれば信者にもなりがちである。
その熱い想いを自分の胸の内にだけしまっておけばまだ無害なのだが、時にその想いが溢れだし周囲の人間にも理解してもらいたい衝動に襲われたりする。まあ勧誘みたいなものだ。
人はいつだって自分のフィルター越しにしか世界を見ることができない。
自分がいいと思うものは他人もいいと思ってくれると勘違いしてしまうのも、ムリに勧められるこちらとしてはキツイが、理解できないことではない。
そんな勧誘がただの顔見知り程度であれば「全然興味ないんで」と断ることもできるだろうが、それが友人となるとまた話が変わってくる。
そこで無下に断れば今後の関係性にヒビが入るかもしれない。
別にそんなの気にしなければいいだけの話かもしれないが、協調性を武器とし、それに縛られる現代人にはなかなか難しいことなのかもしれない。
ということで、今回の記事ではそんなデリケートで友人に「興味ない」と言うことができない方々のために「趣味じゃないアーティストを無難に褒めるコメント」を集めてみた。
どれも友人の承認欲求を満たせる強力なワードばかりだ。ぜひ使っていただきたい。
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「すごいね」
何かを褒める際に最も汎用性が高く、それと同時に何も中身が無いすごい言葉である。私もブログで何かを紹介するときには重宝している。
そんな中身が全くない言葉である「すごいね」だが、好きなアーティストに対して脳みそガバガバになっているあなたの友人にくれてやれば、それはもうヨダレを垂らすぐらい歓喜することだろう。
「え、分かる?そうだよね!」
そんな反応を示してくれるはずだ。
似たような効果が期待できる言葉として「ヤバイね」がある。
「すごいね」に比べて、アーティストに打ちのめされている感が出ている。
ただ、あくまでもこちらのスタンスは「興味はそこまでないけど、そのアーティストの良さは分かるよ」というものにしておきたい。
でないと「だよね!じゃあもっと聴いて!」と余計なことになってしまう。
信者に隙を見せてはいけないのだ。
「パワーを感じるね」
パワー。日本語にすると「力」である。ひらがなだと「ちから」になり途端に餅感が溢れ出てくる。不思議だ。うどん食いたい。
それはまあいいとして、アーティストに夢中になる人というのは、そのアーティストに特別なものを感じていることが多い。見えない特別な何か。興味のないこちら側からすれば、完全な無だとしてもだ。
ちゃんと脳みそを働かせて、自分の心の動きとアーティストの表現しているものを分析すれば、自分が魅了されているものの正体を理解できるのかもしれない。
だが多くの人は、自分の快楽に対してそこまで研究熱心ではない。「あ~気持ちいい~」と思って終わりである。
なので、そんなアーティストに魅了されて思考停止になっている彼らに対して
「パワーを感じるね」
と言語化してあげると、「え、分かる?そうだよね!」と反応するはずだ。「この人、分かってくれてる!」と尻尾をぶんぶん振ることだろう。
この言葉も「すごいね」同様、何も語っていないのだが、その場をやり過ごせるだけの効果が十分にあるだろう。
「この人たち、音楽が好きなんだね」
音楽で食っている人間で音楽が嫌いな人間などいない。それで売れているなら尚更であるし、考えてみれば音楽をわざわざ嫌いになる人などいないだろう。音楽の授業を嫌いになるなら分かるが。
というわけで、アーティストが音楽を好きなのは当たり前の話なのだが、信者になっている友人にそれをツッコむだけの冷静さはまったくない。
音楽を聴きながら、何かを噛みしめるように「この人たち、音楽が好きなんだね…」と言えばイチコロである。
私も一応、学生時代に吹奏楽でしのぎを削り音楽に人生を注いだ時期があるので分かるのだが、音楽で食っていけるやつというのはバケモノしかいない。
才能は当然のこと、いくらでも練習をできるし、しかもずっと楽しんでやっているような奴らである。この異常さが分かるだろうか?
なのでプロのアーティストが音楽好きなのはあまりにも大前提で、それはもう「この人たち、人間なんだね…」と同じぐらい意味がないコメントである。いや、もしかしたら重度の信者であれば「この人たち、人間なんだね…」というコメントでも喜ぶ可能性がある。
幸せのハードルを下げることは別に悪いことではない。
「上手いね」
これもプロのアーティストであれば当然の話である。
だがこれを言われるだけでも友人は悶絶することだろう。「そうなの!ギターが〠◯☓Θでね!∈◎±〆なんだよ!!」と唾を飛ばしながら熱く語り出すことだろう。先にマスクを渡しておこう。
大体にしてプロの演奏を評価できる素人というのはそうそういない。
分かるとしたらボーカルぐらいじゃないだろうか?
なぜだかよく分からないが、楽器と違って歌は上手い下手が素人でもすぐに分かってしまう。なのでほとんどの人が、日常的に音楽を聴いているのにも関わらず大抵ボーカルにしか興味がなかったりする。それかボーカルがイケメンかどうかだろう。
素人の判断なんぞ何のあてにもならないが、それでもお褒めの言葉に飢えている友人には最高のエサになることだろう。気前よくばら撒いてあげよう。
「味があるね」
アーティストとして世に出てきて、生きていくためには差別化が必須である。
既存のものと似たようなアーティストは、それなりには活動できるかもしれないが、時間の流れには勝てない。すぐに駆逐されてしまうことだろう。消費されてしまうことだろう。
なので「味」があって当然というか、なければアーティストではないのだが、褒め言葉としては十分機能してくれる。
個人的にこのコメントが一番好きである。
別に好きとは言っていないが、友人が勧めるアーティストをたしかに評価している感じが出ている。ちょっと通っぽい感じもいい。
オススメである。
「中毒性がありそう」
こうやってアーティストを褒めるときに大事なのは、見当違いなことを言わないことである。
なので友人が密かに抱いている感想や、友人の心の状態を表現してあげると「え、分かる?そうだよね!」となるのだ。
実際にそのアーティストの中毒なっている友人であれば、このコメントにすぐに納得することだろう。
使い勝手の良さのもう一つの理由として、嘘をついていないことだ。「中毒性があるね」だとこちらが中毒に陥っていないといけないが、「ありそう」なのでセーフだ。精神衛生上もやさしい。友人にも優しい。世界は今日も平和である。
「楽しそう」「寂しそう」など曲の雰囲気をそのまま伝える
楽曲を正確に評論するのは難しい。大体にして音楽を言葉で表すという行為自体が難しいのだ。
それができないからアーティストたちは日々、自分たちの表現したいものを音に乗せているわけだ。
言葉で表現できるのなら詩人か作家にでもなっているだろう。
なので、友人が勧めてくるアーティストの楽曲をいちいち分析することは諦めよう。
ここはストレートに「楽しそう」や「寂しそう」などと曲の雰囲気をそのまま口にしてみよう。
「そうなんだよね、実はこの曲はライブでも定番の曲で…」
とか
「そうなんだよね、実はこの曲は亡くなった元メンバーに向けて書いたもので…」
なんていうエピソードが出てくるかもしれない。
ただ単に曲の雰囲気を伝えているだけなので、こんなのは幼稚園生にだって言えることだ。だが極度のファンは勝手に話を広げてくれる。理解者が現れたと思ってくれる。
素晴らしいコメントである。
「やりたいことをやってる感じ」
アーティストたちの何を知った気になっているというのか?
彼らが本当に何をやりたいのか、売れるためにどれだけ魂を売っているのか、それとも何も考えていないのか。
全てはアーティスト本人しか分からないことであるが、いつだってファンはすべてを分かったような気になっているものだ。
だからこそあなたは友人に「この人たち、やりたいことをやってる感じするね」と言ってあげるべきだ。
何も分かっていないのに分かったつもりになっている友人に、さらに輪をかけて何も分かっていないあなたが分かったようなコメントをしてあげよう。きっと分かってくれるはずだ。
人は支えあって生きているのだ。
「媚びてないね」
このコメントはクセの強い、まあ言ったらあなたにはまったく理解できないようなアーティスト、もっと言ったら全然好きじゃないタイプのアーティストに使える言葉である。
何に媚びていないのかはよく分からないが、このコメントには「自分を貫く孤高のアーティスト」を褒めている感じが出ている。
別に売れるために客に媚びることは悪いことでも何でもないし、客が欲しているものを提供することはそうそう簡単に出来ることではない。
それなのになぜか多くの人たちは「売れ線」だったり「流行りもの」だったりするものを否定しがちである。
自分の音楽を貫くことと、それしかできないことは違うのだが、まあいいだろう。
あなたには受け入れがたい音楽を奏でるアーティスト。つまりそれは、あなたに媚びてないことは間違いないはずだ。
いくら友人のためのとはいえ、嘘はよくない。 真実を語ろう。
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危険ワード
ここから先は使うと問題に発展する可能性がある危険なワードの紹介である。
自分では褒めているつもりでも、熱中している盲目的な人には「は?!全然違うし!!」となってしまうことはよくあることだ。
いつだって彼らは常に理解を求めている。それが如何に傲慢なこととも知らずに。
では「分かっていない」と思われがちな危険ワードを見てみよう。
「売れそうじゃん」or「売れてないのが不思議」
この言葉の危険性は、「売れることが最善である」という前提に立っていることである。
中にはマイナーで「知る人ぞ知る」という状態であることを優秀な証だと勘違いしている輩がいる。なぜか大衆に受け入れられているものを否定しがちである。
こういう人達の「大衆=バカ」という図式は、遠回しに「大衆に紛れない自分スゲー」である。
売れるために音楽をやっているはずなのに、売れることを良しとしない人がいることを理解しておこう。危険である。
「CMとかで使われててもおかしくなくない?」
基本的には上の「売れそうじゃん」と同じ類である。タイアップが正義だとは思わない輩がいるから危険だ。
その他には「すでにCM曲になっている」という危険性がある。
もしかしたらその友人は「あのCMで使われているアーティストは実はこの人でした!」的な感じであなたに教えたかった可能性がある。それプラス「そんな売れるアーティストを私はずっと前から知っていました」という自己顕示欲でもあるかもしれない。
そんな人に「CMに使われそう!」と言ってしまうのは、彼らの狙いを完全に外してしまっているかもしれないし、彼らが自負している先見の明を否定することになるかもしれない。
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最後に
以上が私の考える「友人が勧めてくる趣味じゃないアーティストを無難に褒めるコメント」である。
困ったときはぜひ活用していただきたい。
音楽とは宗教に似ている。
好きになったその人からすれば、それは絶対であり、心の寄る辺になったりする。
信じるということは盲目になることと同義であり、疑うことは信仰の始まりだったりする。まあ難しいことはよく分からんが。
熱中する人を「信者だ!」とバカにする風習はよく見られる。
だがこのモノが有り余る広い世界の中で、何かを好きなもの、しかも熱中できるものを見つけられることは幸せなことなのかもしれない。
多くの人は、興味が引かれないものに対して無価値だと決めつけがちだが、数少ない興味のある人、その人にとっての幸せを壊したくはないものである。
以上。友人は大切に。