どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
初神永学作品の『悪魔と呼ばれた男』を読了いたしましたので、レビューを書きます。
もちろんネタバレなしなので、ご安心を。
ただこれだけは先に言っておく。
壁本です。
※壁本とは…あまりのつまらなさに読後、壁にぶつけてしまうことから付けられた名称。主にミステリー界隈で使われることが多い
もう記事タイトルからしてネタバレみたいなもんなので、フルスロットルで行きたいと思う。暴言多めである。いつも多いけど…。
まさかいないと思うけど、神永学の熱烈ファンで「先生のこと少しでも悪く言う奴がいたら必殺っ!!(※必ず殺すの意)」みたいな人は、絶対にこの記事は読まないでください。もっと有意義な、それこそ大好きな神永学先生の作品でも読んで、くだらない有意義な時間を過ごしてくださいませ。
内容紹介
空中に吊り下げられ、悪魔の象徴である逆さ五芒星が刻印された女の死体が発見される。秘密裏に警察が追うシリアルキラーの新たな獲物だ。警視庁は特殊犯罪捜査室を新設し、捜査一課のエース・阿久津と犯罪心理のエキスパート・志津香を抜擢する。二人を待ち受ける前代未聞の凶悪事件の真相とは?
この本との出会いは書店だった。私は基本的にネットでしか面白い本を探さないので、なかなか珍しい。
ふと立ち寄った書店で見かけて、その存在感にヤラれたのがキッカケだった。普段だったら気にする作者名を確認することさえ忘れるぐらい、一目見て「これは面白いだろ」と決めつけた。私の中にある“面白本センサー”が完全に反応していたのだ。
挑戦的なタイトル。
重厚感のある装丁。
あらすじもかなり期待させてくれる。
「これは間違いない」
そう思い手にした私。
だがハズレだった。
久しぶりの壁本
壁本を引いたのは本当に久しぶりだ。ちょっと記憶を探っても出てこないレベルで出会っていなかった。
私の選定眼が良かったのもあると思うし、運も良かったと思う。あと、そこまでミステリーミステリーした作品を読んでなかったことも大きいと思う。(ミステリー小説には高確率で壁本が潜んでいる。体感で1割)
悔しいのが途中まではかなり面白かったこと。
なんせ人になかなか感想を言わない私が、読んでいる途中で奥さんにわざわざ「これ面白いんだよね」と言ったぐらいだ。タモリが「今行ってる床屋がいいんですよ」とMステで言い出すぐらいありえない。例えが遠すぎて全然ピンと来ないかもしれない。私もピンと来てないから我慢してくれ。苦しいときはお互い様だ。
さすがに読み始める前にはもうすでに作者が神永学だってことも把握していたので、「やっぱり売れっ子が書く文書は違えや」なんてことも思っていた。
実際、神永学の文章には“華”があって、ついつい没頭してしまうのだ。
この筆力は本当に凄いと思う。
いきなり来た“あれ”
没頭させられたからこそ、クライマックス前に“あれ”が来たときの衝撃と言ったらもう…。
※ネタバレはしないので、“あれ”の中身には触れません。この後の文章も“あれ”の周囲をウロウロするだけなので、気になる人は読め。そして存分に壁に投げつけろ。肩の調子確かめておけ。
少しだけ語るならば、ミステリーとしてはやってはいけないことを、作品の肝にしてしまっていたのだ。真剣に読んでいたことがその瞬間にバカらしくなってしまった。
それでも最後までちゃんと読んでしまったのは、やはり神永学の筆力に乗せられたことが大きいだろう。
近代に限らず、ミステリーにとって大事なのは
「いかに可能性を追求するか?」
「読者の想定していない道筋を生み出すか?」
である。
言わばこれは作者と読者の頭脳戦なのだ。
しかしそうは言っても、そうそう簡単に意外な道筋が見つかるわけもなく、作者は「意外な結末」を色々と考えるうちに、一体何が意外なのか分からなくなり、足を踏み外す。
その結果生まれるのがバカミスであり、壁本である。
ミステリー作家のそういった習性を皮肉った作品もあったりする。殊能将之の『黒い仏』って言うんだけど…まあ凄い作品だ。
※読んだら魂抜けます
最高のデートの最中にえげつない性癖を暴露されたような…
繰り返すが“あれ”が来るまでは本当に面白い。読ませる。次を読みたくなる欲が凄い。
でもいきなり“あれ”をぶつけてくる。
でもって、必死に言い訳してくる。なんとか「これでいいんだよ!ね!ね!でしょ!?」という感じて、めっちゃ顔面に押し付けてくる。
例えるならなんだろう…。
最高に素敵なデートを演出してくれる男がいて、こっちもすごいいい気分になってて、「もう一緒に寝ちゃおうかな…」とか過ったタイミングで、突然その男が「で、大事なところなんだけど、スカトロは当然OKだよね?」と聞いてくるような感じ。
しかもこっちが引いてるのを察知して、「いや、分かるよ、分かる。普通は引くよね。でもさ、これだけ一緒にいて俺の人間性も分かってもらったと思うんだよね。素敵だと思ったよね?悪くないじゃん?ね?そんな男がスカトロを勧めてるんだから、むしろスカトロを忌避しちゃう世間の度量が狭いだけだと思わない?ねえ、だからさ…」というふうになんとか強引に説得しようとしてくるのだが、スカトロのパワーが強すぎて、全然太刀打ちできていない。
これが終盤の展開である。
自分で書いておいてなんだが、例えが的確すぎてこれはもうネタバレだ。ネタバレしないって書いたのに、本当に申し訳ない。
素敵な夢のようなデートを期待していたら、糞尿をぶっかける。
それが『悪魔と呼ばれた男』という作品なのである。←たぶん違う
でもなぜか胸に去来したのは
で、久しぶりに壁本と出会った私は、怒り狂い存分に壁に叩きつけた。
…と書きたいところだが、これが意外とそうでもなかった。
怒りも湧いたし、落胆もしたし、脱力具合は半端じゃなかったし、壁に投げつけるどころか、燃やして暖を取ろうかと思ったぐらいだったが、なによりも私の胸に去来したのは「甘美」であった。それも時間が経てば経つほど、妙な高揚感がある。
なんだこれは一体…?
しばらく私は自分の感情を持て余していた。性欲に目覚めだした思春期みたいだった。
数日後、私はこの感情の正体を理解した。
甘えである。
ちょっと意味が分からないかもしれないので、説明しよう。
私は『悪魔と呼ばれた男』にいきなり糞尿をぶっかけられ、久しぶりに怒り狂った。それは事実だ。
「久しぶりに怒り狂った」ここがポイントである。
30半ばを迎える私は正真正銘のオッサンである。
職場では100人超の部下を抱えていて、頼れる中間管理職を演じている。
プライベートでは猿みたいな子供を3人抱えていて、猿みたいな父親を演じている。
仕事でもプライベートでも私には常に責任がのしかかっている。わがままに振る舞うことは色んなものが許さない。
なので、自然と感情的にならないように心がけるし、面倒を見られるよりも、面倒を見ることが多くなる。
つまり私は思いっきり感情をぶつける相手がいなかったのだ。もっと言えば悪感情を、だ。
確かに『悪魔と呼ばれた男』は壁本だったかもしれない。
しかしそれゆえに私の怒りを存分に受け止めてくれた。まるで母親のようではないか。そもそも怒りの原因が『悪魔と呼ばれた男』なのだが、それは一旦置いておこう。話がややこしくなる。
大人になればなるほど、自分の感情との付き合い方に慣れていく。子供のように爆発する機会が減っていく。だからこそ壁本のような存在は、逆に貴重なんじゃないかと思えるのだ。
ここまで自分たちの感情を爆発させて、受けて止めてくれる存在って、なかなかないと思うのだ。
たぶんこれが、まあまあぐらいの作品だったら、ここまで感情は爆発しない。「引きが悪かったな…」ぐらいでオシマイである。自己責任で完結。超大人の対応をしてしまうだろうし、すぐに忘れるはずだ。良くも悪くも記憶に残らない。
でも壁本は違う。超子供。超他責。超終わらない。ずっと不愉快。死の間際まで忘れない。
そんなある意味で私たちを“夢中”にさせてくれる壁本。
もしかしたら、この世界に残された数少ない大人のネバーランドなのかもしれない。←超適当
以上。酷評だけど、逆に読みたくなる人が現れることを願って、記事をしたためてみた。
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