どうも。
今回は1990年代を代表する名作少女漫画『赤ちゃんと僕』を紹介しよう。
設定など
なかなか古いマンガなので、知らない方も多いと思う。一応、ざっと説明をする。
主人公は小学六年生の榎木拓也。家族構成は超イケメンの父親と、わがまま放題で2歳になる弟の実(みのる)。母親は二年前に他界している。
父親は会社員なので、拓也は弟の実の世話や家事などを任されている。
拓也は頭も性格も良く、いわゆる優等生。弟の面倒や家事も無難にこなしている…というわけではなく、そこは思春期に向かおうとしている年頃。大人でも手こずる二歳児に翻弄され、学校生活では友人たちとのトラブルなどが絶えない。
歳相応の子供心としては逃げたい。でも持ち前の責任感がそれを許さない。そんな葛藤の中で、拓也は少しずつ成長していく。
こんな感じである。
基本的には拓也の育児にまつわる苦労話と、学園ドラマが話の大半を占めている。
ではここからは『赤ちゃんと僕』の具体的な魅力を語っていきたい。
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ドラマがある
まずはこれだ。
『赤ちゃんと僕』にはドラマがある。
正直古いマンガなので絵柄のギャップは埋められないと思う。今どきこんなに目がでかいキャラなんていないだろう。
絵柄は重要である。だが『赤ちゃんと僕』に関して言えば、まったく重要ではない。
この作品の肝はドラマにあるからだ。
幼いながらも家事に育児に、そして友人関係に頭を悩ませる拓也。それを支えたり邪魔したりする周囲の人々。そこにはたくさんのドラマがある。
ドラマとはつまるところ、物語のことである。
人は物語に感動する。心を動かされる。それによって物語世界に埋没することができる。すべてはドラマのなせるわざなのだ。
私がこの作品に出会ったのは、高校生時代である。クソが付くほどの学生生活を送っていた私にこの作品は潤いを与えてくれた。拓也の葛藤はゴミ学生がモノを考えるキッカケになったと思う。それくらいちゃんと「問題」になっているのだ。
すべてのキャラクターに血が通っている
『赤ちゃんと僕』のドラマがなぜこんなにも私たちの心を動かすのか。
それは、キャラクターたちに血が通っているからだと思う。
マンガなので極端な性格や設定のキャラクターは確かにいる。どんなことがあっても絶対に感情を表に出さない女子とか。
だがそれでも彼ら彼女らには確かに血が通っている。それぞれがそれぞれに問題を抱えていて、胸の内に秘めた思いもあれば爆発してしまうときもある。不安定な年頃なので家族や体のことで悩むこともある。
物語を読み進めながらも、私たち読者は彼らの胸の内に思いを馳せてしまう。生きて血が通っている彼らがドラマを織りなすからこそ、感動や喜びを一緒に体験できるのだ。
本当に心を動かされる物語には必要不可欠な要素だと思う。
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深みがある
作中ではたくさんの問題が起きる。実のわがままだったり、友人との人間関係だったりする。
一筋縄ではいかない問題が多く、いくらしっかりしているとはいえ小学生の拓也には解決できないこともある。そんなとき、周囲の大人が彼をサポートしてくれたりする。そのとき拓也に掛けられる言葉のなんと奥深いことか…。決して「良いこと言ってやろう」という感じではなく、しっかりと「言葉を伝えよう」としているのだ。脇を固めるキャラクターたちも非常にいい味を出しているのだ。
また、中には解決せずに終わる問題もある。私たちも生きている中で解決できない問題など腐るほどあるだろう。それが当然なのだ。フィクションだからといって、水戸黄門よろしくすべて万事解決なんてちゃんちゃらおかしいのだ。
時には解決できないで割り切れない気持ちを抱えていくこともある。それがこの物語に深みを与えてくれるのだ。
出てきちゃっている感じ
作者の羅川真里茂はこの素晴らしい人間ドラマを計算して生み出しているのだろうか?
「こいつとこいつがぶつかったら面白い」とか「こういう問題があった方が盛り上がるよね」とかいう下世話な考えからこの珠玉の物語たちが生まれているとは思いたくない。
それに計算で創り出しているにしては、あまりにも自然すぎると思う。それは先程も書いたように、キャラクターたちに血が通っている所にも繋がる。彼らの間で巻き起こる問題やぶつかり合いが至極当然のように感じられるのだ。本当に”そこ”で巻き起こっているようなのだ。
思うに、羅川真里茂はそこまで狙っていない。頭の中でキャラクターたちが勝手に動いて、ぶつかり合ってしまっているのだろう。そしてそれをただ出しているだけ。というか勝手に出てきてしまっているのだろう。
最大の盛り上がりはパパとママが出会う話と最終話
『赤ちゃんと僕』の中のエピソードはどれも素晴らしいのだが、「これは至高」というものがある。
それは「パパとママが出会う話」と「最終話」である。
私はネタバレが大嫌いなので、あらすじさえも書きたくはない。この感動は読んでこそ味わってもらいたい。
長く連載を続けた『赤ちゃんと僕』は、この「パパとママが出会う話」と「最終話」のために書かれていたと言っても過言ではないのだ。すべてがそこに向けて収束していくように感じられる。そしてそこで得られる感動は唯一無二のものなのだ。こうやって思い出して文章を綴っているだけで、少し涙ぐんでしまう。
特に最終話は、名作の名に恥じない傑作である。
頭の弱い高校生だった私は、最終話を読んだときに生まれて初めて「物語と出会えたことを感謝する気持ち」を抱いた。感動なんて生易しい感情ではなかった。もっと大きなもので感情をぶっ叩かれたようだった。
あの衝撃は今でも私の心の中に残っている。いつまでもあの感動は色褪せない。
ぜひともこの名作を手にとっていただきたい。あなたの一生モノになることだろう。
以上。
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