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新世界は見たい人にだけ見える。西野亮廣『新世界』

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 どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
今回紹介するのはちょっと異例の作品である。なんとタダなのだ
 
 

作品紹介

 
 
 
「キミに必要なモノは『勇気』なんかじゃない。『情報』だ」
 
常に挑戦を続け、常に注目を浴び続け、本を出版すれば全作ベストセラー。
同世代を中心に圧倒的な支持を集め、自身が運営するオンラインサロンは国内最大。
 
時代を牽引する革命家・西野亮廣が語る「一歩踏み出す為に必要な情報」とは?
 
そして、西野亮廣が見た『新世界』とは?
 
今、世の中で何が起きていて、二年後に何が起きるのか?
西野亮廣がキミに語りかける、“学校では教えてくれない”これからの時代の生き方。
 
「大丈夫。まだ間に合う」

 

これがAmazonの紹介文である。
多くの方がご存知だろうが、西野亮廣という男は最高レベルのアジテーターである。そして煽るだけでなく、彼本人も動いて結果を出し続けている。
彼の凄さはここにある。
言うだけなら誰でもできるだろう。
実際に行動に移すのは100人に1人。
その中で結果を出すのは1割。
そして結果を出し続ける人、となると皆無と言っていいレベルだろう。
 
それだけ彼の考えることは的を得ていて、確実な手段を講じ、繰り出す手数を減らさない。だからこそいつまでも西野亮廣は進み続けられる。
そんな彼の価値観とこれまでにやってきたこと、その理由、狙い、すべてが書かれたのが本書である。
 
本書に『新世界』と名付けたのはなかなか大風呂敷を広げた感があるが、それに見合うだけの内容だと思う。特に、クラウドファンディングやオンラインサロンを始めとした「人気」をお金にかえる手段に疎い人にとっては、まさに新世界が広がるような一冊になることだろう。
 
 
興味を持たられた方はぜひご一読いただきたい。なんと今ならタダで読むことができる。
絶賛大ヒットの真っ最中にも関わらず、R25内において全文が無料公開されているのだ。
 
 
さすが西野亮廣。人がやらないことをやる男。話題性を生むために生まれてきたような男。
みんなも乗り遅れるな。これが新しい時代のやり方だ。西野亮廣と一緒に新世界に行こう!
 
本書を読み終えた今、私の心はワクワクでいっぱいだ。新しい世界への期待で胸が田中っている…おっとタイプミス。高鳴っている。
 
きっと西野亮廣が嫌いな連中は「宗教だ!」とか「中身が『魔法のコンパス』焼き直し!」とか「顔がムカつく」だとか「自慢話」と言うだろうが、皆さんは一切気にすることない。
 
新世界とは、新しい価値観の世界である。新しいものを受け入れようとする人だけ、新しい世界を見たい人にだけ、見えるものなのだ。
 
行こう、新しい世界へ。大丈夫、まだ間に合うから。
 
 
以上です!
 
 
 
 
… 
 
…。
 
……。
 
はい、クソアフィリエイト文章はここまで
 
西野亮廣氏の話題性に乗っかって、無料で全文公開されている本が、どれだけ売れるのか試してみた。結果が待ち遠しい。
 
さて、このブログを日常的にご覧になっている方であれば、きっと違和感を覚えてくれただろうが、上記の文章はすべて適当に書かれた、まったくもって私の意見が含まれていないクソ推薦文である。能面のような顔で書き上げてみた。やっぱり私はアフィリエイターにはなれそうもない。嘘を書いているわけではないが、こんな薄っぺらい感想なんて全然書きたくない。もっと心の底の方に沈殿している腐敗しきった汚物を取り上げるような感想を書くべきである。…というのはさすがに言い過ぎだが、血肉の通った文章を綴るべきだとは常々思っている。
 
ということで、ここから先が本当の私の『新世界』のレビューである。皆さんがご期待の通り、悪口多めでいつも通り読む価値なしの文章である。
 
ご覧あれ。
 
 

大嫌いな決め台詞

 
まずイチャモンを付けたいのは、非常に賢しらな物言いの「大丈夫。まだ間に合う」という言葉である。
この本の最初にも書かれているし、あとがきにも書かれている。きっと強調したいメッセージなのだろう。
 
この言葉を最初に見たときから私は、自分の中に何か気持ちの悪さを感じていた。
しかし「西野亮廣のことは好きだし、彼の話題のベストセラーだし、実際成功しまくっている人間の言葉なんだから真に受けなきゃ!」と脳みそ空っぽにして考えることを一切放棄していた。
持ち前の集中力を発揮しているので、読んでいる最中はそこまで気にならなかったが、読み終えた今、冷静になってみると気持ち悪さがグリグリと私の脳神経を刺激してくる。なんだこれ?…吐き気?嘔吐感?そういえば全然関係ないけど、吐瀉物の「瀉」という字は新潟の「潟」にウ冠を付けたものだ。本当に関係なくてびっくりしただろう。私もだ。
 
思うに文章の狙いが透けて見えすぎなのだろう。
「まだ間に合う」ということは、逆にいえば「いつかは間に合わなくなる」という意味である。
読んだ人に対して、「自分って置いてかれてるの?」という勘違いや、焦燥感を煽る狙いを感じる。穿ち過ぎでしょうか?
 
 

全体的に気持ち悪い

 
全体的に使われている、やたらと語りかけてくる口調も嫌いである
読んでいる最中に気持ち悪さがたびたび襲いかかってきたが、心のギアを入れ替えて「このフレンドリーな感じ、嫌いじゃないかも…じゃなくてめっちゃ好きかも。ていうかこういうのを求めたし」と心にもどこにもないことを無理やり思うようにしていた。
そうやって自分を騙し騙し読み終えた。妙な充実感があった。素晴らしいメッセージのおかげだろうか。それとも別の理由からだろうか。どんな悪路だとしても、歩き終えれば達成感があるものだ。
タダで読んでいるので文句は言うまい…そう思っていた時期が私にもありました…。
 
うん、ダメだ。
基本的に私は本を否定することはない。どんな本であれ、絶対に好きになる人はいる。その人の感性自体を否定することなんてしないし、むしろ大事にしてほしいと思うぐらいだ。
なのでこの記事で書いている悪態のようなものは「私には合わなかった」というだけのことである。食べものの好き嫌いみたいなもんである。
 
ということで心置きなくリミッターを外させもらうと、正直な感想は「全然ダメ、気持ち悪い」である。
 
 

内容は悪くないよ!

 
言いたいことは分かる。というか当たり前の話ばかりだ
 
『新世界』の要点は以下のふたつにまとめられる。
 
・お金よりも信用を稼ぐこと大事になる
・内輪ネタを作るとファンは盛り上がる
 
これだけ。
1500円を払う必要もないし、全文公開の記事を読む必要もない。とっても新世界だ。ドヴォルザークもびっくり。しらすを大量にくっつけたような口ひげを全剃りしてしまうかもしれない。
『新世界』を読んだことによって私の脳内もかなり新世界なので、支離滅裂な内容が続いているがどうかご容赦してほしい。ああ新世界新世界っ…!
 
さすがにやりすぎた。申し訳ない。まともなレビューに戻る。まともかどうか判断する能力が失われてしまっていることは懸念事項だが…。
 
 

西野亮廣から学びましょう

 
人を扇動するときに使われる常套手段は、「危機感を煽る」「信じたい人に信じたいであろう情報を提供する」である。『新世界』に書かれているのは、そういうことだ。
ただ、そうやって扇動すること自体も別に悪いことでは全然なくて、みんな好きなようにしたらいい。踊るのも踊らせるのも、それぞれの幸せのカタチである。他人がとやかく言うことではない。
 
確かに人によっては「なんでそんなことも知らないの?」という場合があって、扇動のひとつでもしてあげないと自分からは動けないことが多い。
基本的にダメな人ほど、未来に対して怠惰で、情報を得ただけで満足する傾向がある。当然知っているだけで未来が好転するほど、世界は優しくできていない。行動に移さなければ、ゆっくり劣化していくだけだ。
そんなダメな人たちの重すぎる腰を上げさせるためには、『新世界』のような本が必要なのだろう。なのでこれは一種の人助けとも言える。西野亮廣はエライ。
 
 

世界は変わっていない

 
ここから『新世界』に対する私の見解である。ここからはちょっと真面目に行く。つまらないかも。
 
新しいやり方が生まれているのは否定しない。ネットの普及によって新たな手段が増えたことは事実だ。
だが、「お金=信用」というのはずっと変わらない図式である。人気があればお金が集まりやすい、というのは小学生でも分かる理屈である。それを今更「これからは信用の時代だ!」と語るのは違うだろう。ずっとそうだ。だから”ブランド”という言葉がある。
 
もっと言うと、信用がなくても全然OKだ。普通にそこにあるだけでものは売れる。コンビニがいい例だろう。日常的に買うもの、ネットで探すものに対して、いちいち「これは信用が高い」という判断はしない。そんなのめんどくさすぎる。
ただ単にこれまでと違って、メディアが分散されたことによって、人気を集める手段が増え、裾野が広がった、というだけの話である。
これは乗り遅れるとか置いていかれるとかいう話ではなく、使うかどうかの話だ。すり替えてはいけない。
 
手段が増えて間口が広がっていく流れも歴史的には自然なことだ。
一部の特権階級だけに与えられていた手段が、一般市民にも使えるようになる。そうやって世界はどんどん自由になっている。
基本的に世界はよい方向にしか進まないものだ。ましてや誰かを「置いていく」なんて方向には進まない。
 
 

知らないのはなぜだろうか?

 
『新世界』を読んで感化されても構わない。どんなことからも学びは得られる。好きな人の言葉であれば尚更かもしれない。
 
でもちょっと考えて欲しいことがある。
 
『新世界』に書いてあることで感化されてしまうのはなぜなのだろうか?
感化される側の自分と、感化する側の西野亮廣との違いは、その隔たりはどこから生まれているのだろうか?
 
情報を持っているか否か?
ではなぜ情報を持っていなかったのだろうか。
 
行動しているかどうか?
行動しなかった理由はなんだろうか。
 
自ら情報を取りに行こうともしない人が行動するとは到底思えないし、自然と行動出来ない人が成功できるとも思えない。行動とは習慣と同義だ。
 
『新世界』を読んで知った気になれるかもしれない。その幻想は生きる上で大事だと思う。
だが、きっとそういう人が描いているのは、あくまでも他人が用意した塗り絵を塗っているようなものであって、決して自分で絵を描いているわけではないのだ。
 
白紙を相手にして行動できるかどうか。新世界を切り開くというのは、そういうことなのである。
 
以上。これが本当の終わり。長々とお付き合いいただき感謝。
 
 
 
こういう記事を書いてしまうたびに、「本当に自分って、商売人になれんなぁ」と絶望してます…。