どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
言葉の強さについて考えさせられた一冊をご紹介。
内容紹介
最ッ低のMC、孤高のラッパー、ラスボス。異名の変化は、彼が全力で走り続けた証だった―。内気だった少年は、いかにして「般若」になったのか。入魂の自叙伝。
まず読書中毒ブロガーとして、この本を評価を率直に述べたい。
・文章はヘタ
・でも面白い。ぐいぐい読ませる
・般若というアーティストに興味はなかったけど、人間としての般若はめっちゃ好きになった。必然的に楽曲も聴きたくなる
・般若が評価された理由を考えると、色々と学ぶべきことが多い
このように気になる点はあるものの、非常に楽しめた。
元々私がTV番組「フリースタイルダンジョン」のファンだったから、余計にハマってしまった。
「フリースタイルダンジョン」ではラスボスとして、コスプレでふざけ倒したり、登場したと思ったら熱すぎるラップで観客をボコボコにしたりと、キャラ立ち極まりない般若だが、本書では人間としての部分をまさに、さらけ出している。
ファンであれば垂涎モノなのは間違いない。最高の読書体験ができることだろう。BOSSとかTOKONAとか魅力的な名前がガンガン出てくるのも一役買うはずだ。
ヒップホップに詳しくないと楽しめない?
私はヒップホップマニアではない。あくまでもニワカだと思っている。
界隈に詳しくないし、音楽的にもそこまでツボではなかったりする。
しかしヒップホップ特有のゴタゴタ感とか、泥臭い感じは大好きである。よく知らないクセに裏事情ばかりを知りたがるのは、ニワカ特有の心理である。
なので以前、フリースタイルダンジョンでモンスターを務めていた漢 a.k.a. GAMIの著書である『ヒップホップ・ドリーム』も読んだ。めっちゃ面白かった。これで漢 a.k.a. GAMIのことも好きになった。超単純。でもそんなものだ。
今回紹介する般若の『何者でもない』は、漢 a.k.a. GAMIの『ヒップホップ・ドリーム』と同時代を語っているので、共通する空気感が非常に似通っている。
大きく違う点を挙げるとするなら、漢の場合はステージを降りたときがヤバくて、般若はステージの上でヤバかったということだ。どちら良いとか悪いとかではなく、どちらも最高に格好良かった。
漢の、バトル相手をステージの下で刺しちゃうエピソードはさすがに引いたけど…。
私はヒップホップニワカだが、それでも「フリースタイルダンジョン」にかじりつくぐらいにはファンだし、有名な78年組のことは一通り知っている。
ヒップホップというのは基本的にマニアが楽しむ世界である。
サンプリングがベースにあるので、サンプリング元(ネタ元)を知らないと上辺だけしか楽しめなかったりする。
そういう意味では『何者でもない』も、ある程度の知識がないと、ただの「孤高のラッパーの自叙伝」だけで終わってしまう。楽しみ方が不完全燃焼になると思う。
文章はいまいち…
私は読書中毒を名乗るだけあって、極度の言葉フェチである。
言葉選び、リズム、語感、タイミング、文脈など、文章におけるあらゆる要素に萌えることができる。
それだけ文章に注目しているので、逆にいえば粗を見つけやすいとも言える。
その点で言うと『何者でもない』はかなりの低評価になる。正直、私には読みにくい…というかちょっと醒めてしまう部分がある。
例えば、般若の文章の特徴として自分の考えをいちいち「」で表現するクセがある。強調という意味でも使われている。
ただ私としては「」←これはセリフに使われる記号だと認識しているので、説明文の中にいきなり登場すると、「なんでいきなり喋りだしたんだ?」というふうに異物感が残ってしまう。考えなしにスラスラと読めなかった。
しかしこれはあくまでも私がそれだけ文章というもの自体に神経を張っているから思うことであって、一般の方であればむしろ「読みやすい」という印象を持たれるかもしれない。
文章力の無さをカバーするもの
そもそも『何者でもない』は文芸作品だけど、文芸作品ではない。
『何者でもない』に求められるのは文芸ではなく、般若という異質のアーティストの人間性である。小奇麗な作品ではなく、どろんどろんの見るに堪えないものが提供されるべきだ。もがき苦しんできた般若の姿をみんな見たがっている。
大丈夫、安心してほしい。そこら辺は完璧だ。
般若のラップを聞けば分かると思うが、彼の本質はクレイジーさにある。
計算高さを備えつつも、原動力はあくまでも純粋なる”クレイジー”だ。
だからこそここまで一人で突っ走ってこれた。あの角川春樹をして「いい目をしてる」と言わせるだけのことはある。どちらも完全にクレイジーだ。
クレイジーだからこそ、苦しみながらも足を止めずに走り続けてきたからこそ、般若の言葉はこんなにも力強くて、読み手の心を掴む。
文章力の無さは、有り余るパワーによって補われていると感じた。
妄想族との差はどこで生まれた?
般若というのは元々グループ名である。色々とあって解散を余儀なくされ、残された般若がグループ名を背負うことになった。
その後、般若は地元の悪ガキたちと一緒に妄想族というグループを結成する。暴走族あがりがいたりと、かなり厳ついメンツだったようだが、ヒップホップを愛しているという共通点で強い繋がりを持っていた。
しかし現在では解散してしまっている。ヒップホップの世界では名の通っていた彼らなのに。
その辺りの事情は『何者でもない』本文に赤裸々に記されているので読んでほしい。
私が特に気になったのは、「なぜ般若だけが生き残ったのか?」という点である。
そもそもヒップホップ界隈に詳しくないので、実は生き残っているメンバーもいるのかもしれないが、私のようなニワカにまで届くほど有名にはなっていないことは事実である。
ハッキリ言って般若の歌唱力なんて大したことない。
般若は好きだし、彼のフリースタイルも大好きだけど、アーティストとしての般若の作品は、あまり好きになれない。単純にヘタだ。
【Official Music Video】般若 / 生きる [Dir.by 金 允洙/Pro.by SHIBAO] (P)(C)2017 昭和レコード
『何者でもない』を読んだのをきっかけに妄想族の楽曲を初めて聴いてみたけれど、やっぱり般若が特別際立った存在だとも感じなかった。普通に埋もれている。
だけど差は付いた。
なぜか。
思うに、般若は失敗し続けたことが大きい。
具体的な内容はネタバレなるので避けるが、若かりし頃の般若は本当にめちゃくちゃだ。
でも般若はそれだけ必死だったし、逃げなかった。チャンスがあれば不安を押し隠して飛びついたし、チャンスがないところにも無理やり飛び込んだ。実力が達してなくても、まずはぶつかった。
そのせいで失うものもあったし、余計に苦しみを背負うことにもなった。
でもそれでも般若は愚直に挑戦し続けて、失敗し続けた。ラップを、言葉を発し続けた。
妄想族が上手く行ってないときに、メンバーのひとりが無言のテープを差し出してくるシーンがある。本来であれば自分のバースを収録するべきところなのに、無言。納得行かない、という気持ちを表現したのだろう「これが俺のラップだ」というメッセージ付きだったそうだ。
このシーンが象徴していると思う。
黙る人と、語る人。
止まる人と、動く人。
残酷だけど、きっとそういうことなのだ。
般若の言葉にヤラれてほしい
『何者でもない』は般若の熱くてクレイジーな魂が込められた一冊である。
さきほども書いたとおり、文芸としてレベルの高い作品ではないが、人間般若を味わう上では最高の作品である。絶対に彼に興味を持ってしまうはずだ。
日本のヒップホップ黎明期を駆け抜けてきた般若。
彼はまだ走り続けている。自らの限界に抗い続けている。
だからこそ彼の語る言葉は本物なのだろう。
般若の『何者でもない』読了。
— ひろたつ@時給9500円複業ブロガー (@summer3919) December 24, 2018
素人文章だけど、書いている人間の魂が乗っているからか、ぐいぐい読ませる鬼気迫る内容。
この言葉の強さは、ラッパーとして人に言葉を吐き出し続けてからこそ培われたものだろう。
正直、アーティストとしての彼には興味がないけれど、人間としては大好きになった。 pic.twitter.com/OR0cSLc6c5
以上。
色々と放送できないレベルの漢の自叙伝はこちら。普通に大麻の販売方法とか書かれてます…。