どうも。
今回の記事は「仕事をしていて地獄だと思う瞬間ランキング」である。
私も多くのサラリーマンたちのご多分に漏れず、忙しさ自慢をさせたらいくらでも語れてしまう。
だがそんな愚痴なんて誰も楽しめないし、愚痴を書き散らかした記事など書いた日には、私の大事な大事なブログが穢れるだけである。
なので今回のランキングでは、忙しさ的なものはあえて省いている。
では、どんなときが地獄なのか?それはぜひ読んで確認していただきたい。
私の挙げたランキングに共感してもらえると幸いである。
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5位 説明のヘタな人が要領の悪い人に教えているとき
私の会社では入社年数を重ねてしまえば、勝手に部下ができるようになる。なので社員でいる以上、絶対に部下育成からは逃れることができない。
ただ、人には向き不向きがある。
個人プレーで輝く人もいれば、チームを率いることで力を発揮する人もいる。
会社というのはとかくチームで活躍することをもとめがちである。そして育成させることにも。
チームで活躍できれば当然個人のときよりも大きな成果が挙がる。
育成に成功すれば戦力が増える。
それは分かる。分かるが、人には向き不向きがあるのだ。
説明のヘタな、ある意味感覚で仕事ができてしまうタイプの人が、教える側に回ると非常に時間とエネルギーを消耗する。女子サッカーのレジェンドである澤穂希さんなんかは完全にこのタイプだったらしく、監督業は絶対にやらないと豪語していた。
そしてそこに、単純に要領が悪い人が教わる側に来ると一気に地獄である。
自分の感覚でしか説明できない人と、自分の感覚でしか理解できない人。そんなふたりが遭遇したとき、私はふたりが一緒に地獄に落下していくのを見ているような気持ちになる。
適材適所は仕事を進める上で非常に大事である。
4位 感情が表に出てしまう人が爆発しちゃった次の日
感情的になってしまう人がいる。
かくいう私もこうやって冷静な文書を綴っているが、仕事のときは獣のごとく感情的である。いつか狩猟団体に狙われるのではとヒヤヒヤしているが、今の所無事だ。
感情が表に出るといっても、ちょっと漏れ出しているぐらいだったら、別に構わない。そのとき周囲にいる人が気を使ったり、不快になったりするだけですむ。
だが大爆発をしてしまう人が厄介だ。
大爆発したその瞬間は、ある意味異常事態なわけでみんなも冷静には対処できなかったりするし、その場を収めたり理解する方に意識が向いている。なので、そこまで地獄感はない。
問題は次の日である。
大爆発した本人と被害を受けた周囲の人間。
本人は昨日の失態を恥じてはいるものの、テンションの落差を自分で処理しきれず、なんとなく周囲を伺いつつも不機嫌そうにしていたりする。
周囲は周囲で、一夜明けてそれなりに本人が冷静になっているのは分かっているが、それでも腫れ物を触るかのように接っしてしまう。
お互いに距離感を測り合い、どっちつかずのテンションでコミュニケーションをとったりする。全然面白くないことでも派手に笑って「昨日のことはもう気にしてないよ」アピールをする上司。昨日のことを話していいのか、でも無かったことにするのも人間の記憶機能的におかしいし…という無言の葛藤。
そんな目に見えないブヨブヨした気持ちの悪いものに包まれた空気に、私は地獄を感じる。
人間に感情のオンオフスイッチがつけられるのは、いつなのだろうか。シンギュラリティ早く来い。
シンギュラリティは近い [エッセンス版]―人類が生命を超越するとき | ||||
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3位 嫌いな人が上機嫌にやたら絡んでくるとき
職場に嫌いな人がいる。
私は結構態度に出すタイプなので、そういった方々とは極端なまでにビジネスライクに接するようにしている。あとから周囲の人が「あの人、お前に嫌われてるって愚痴ってたよ」と言われるほどである。自分でも子供だとは思うが仕方ない。これが私なのだ。
ただどういうわけなのだが知らないが、会社というやつはみんなを仲良くさせたがる習性がある。なのでそんな私が嫌いな人も、なんとか私と近づこうとしてきたりする。特に上機嫌なときに。
私は自分と全然違うテンションで接して来られると、途端に引いてしまう悪癖がある。
しかも嫌いな人が上機嫌。それだけで不快である。
言わば、ウンコをつけたゴキブリ状態の人がしきりに何かにつけて絡んでくるのだ。これは地獄である。
これに関しては完全に私が悪いと理解している。私のヘキの問題である。
だが、仕事上問題さえなければ私は嫌いな人と仲良くなんてするつもりもないし、むしろ理解し合おうとすることの方が不健全だとさえ思っている。
要は距離感である。不快な人でもある程度の距離さえ保ってくれれば、普通に対処できる。こちらにも余裕があれば愛想よくすることだってできる。
だがそれにかこつけて、私のそばには寄らないで欲しい。
パーソナルスペースが可視化できるようになるのはいつの日だろうか。
2位 細かい人とイエスマンが組む
仕事では結果が求められる。そのためにはできるだけ仕事を完璧にこなす必要がある。
だが完璧にこなそうとすると今度は時間がかかりすぎてしまう。それゆえに、仕事をするときは常に「何が重要で何が重要でないか?」という問いかけが必要になる。
これを苦手とする人がいる。とにかく完璧にすることが一番大事だと思ってしまう人だ。
別の部署にそのタイプの人がいる。
彼の部署は飛び抜けて残業が多い。何故なら完璧を求めて、書類を何度もダメ出ししたり、細かい指示を腐るほど出すからである。彼の部署の人間はいつも疲れた顔をしている。非常に可哀想である。
以前、私もその上司の元で働いたことがある。
上司の命令だとしても自分がムダだと思うことは全くやる気にならない私。
常に完璧を目指しダラダラと永遠に仕事をしようとする彼は最悪に合わなかった。
殴り合いのケンカになりそうなほど大声で怒鳴り散らし合ったこともある。今となって青春の1ページである。
そういった細かい人の部下にイエスマンが来ると私は「地獄だな…」と思う。
私からすればくだらないとしか思えないような仕事を、「ここってもうちょっとこうした方が良くない?」「ああ確かにそうですね」というようなやり取りを、ふたりで永遠にしている。もしその中に自分が巻き込まれたらと思うとぞっとする。すぐに会社に辞表を提出する自信がある。
仕事をどこまでやるか、というのは本人のバランス感覚による所が大きい。正解は無いようなものだ。
だけど限度があるだろうと思うのだ。どうか私と関係ない所でふたり仲良く地獄でダンスを踊ってもらいたい。
1位 話が長い人同士の電話
地獄と思う堂々の第1位はこれである。
話が長い人が、別の話が長い人と長電話をしていると最高に「地獄だな…」と感じる。
はっきり言ってこれは私には関係のないことである。無害だ。
それなのに、電話口に向かって同じ話を2万回ぐらいしているのは横で聞いていると、地獄の亡者が殺し合いをしているような気分になるのだ。お前らよくそんな会話ができるなと。
私がせっかちなのもあると思うが、とにかく話が長い人が嫌いである。全部を説明しないと気が済まない人が苦手である。同じことを繰り返してしまう人に付き合うのが辛い。回りくどい人の顔面に拳を叩き込みたくなる。
人生というのは有限である。話が長いというのは、ある意味、相手の生命をこっそり縮めているようなものなのだ。ゆるやかな殺人である。これは完全犯罪である。
話が長い彼らに私がしてあげられることは何もない。彼らのゆるやかな殺し合いを見守ることしかできない。いや、長すぎて見守ることさえできない。
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人は数字とは違う
こうやってまとめてみると、何かマイナスの要素にマイナスが加わると地獄状態になっってしまうのだと分かる。数字であればマイナスとマイナスでプラスに転じるのだが、人間はそこまで単純ではないようで、やばい者同士がコラボするとあっという間に地獄である。
これは非常に個人的な感覚なので、もしかしたら「この記事の意味が分からない」と思われそうである。
そうなると、私も知らず知らずの内に誰かに地獄を見せている可能性が出てくる。
そのときはどうか私が地獄で踊り狂っている姿を、憐憫の眼差しで見守っていてほしい。
いつだって人は自分の姿が見えないものだから。
以上。
地獄先生ぬ〜べ〜NEO 1 (ジャンプコミックス) | ||||
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