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【楽曲まとめ】WANDSは本物の一発屋だった

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どうも。

 

1990年代、Jpop最盛期。

この時代、数々の大物アーティストが大活躍した。

Mr.Children、サザンオールスターズ、B'z、DREAMS COME TRUE、スピッツ、槇原敬之などなど。

この辺のバケモノは未だにその存在感を誇示している。恐ろしいことだ。

しかしながら長く活動できるアーティストというのはほんの僅かで、実際にはブームに流され売れたバンドの多くが解散を余儀なくされている。

中でも特別な輝きを放ったバンドがある。それがWANDSだ。

 

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生粋の一発屋

彼らは一発屋である。

勘違いしないでもらいたい。一発屋という言葉は、「一発しか花火を上げられなかった人」というような意味で使われているが、実際は違う。本来は「常に大きな一発を上げる人」という意味である。

WANDSは常に大きな一発を上げ続けてきた稀有なバンドなのだ。

カバーが少ない

売れに売れたWANDSであるが、途中でバンドの顔とも言えるボーカル上杉昇の脱退など、何度かメンバーを変えながらも、2000年に解散している。

もう彼らのパフォーマンスを見ることは叶わないのだ。

圧倒的なメロディーと、たくましいボーカルから繰り出される楽曲は、多くの人の心を魅了した。

そんな誰もが知っている名曲揃いのWANDS。ひとつ気になるのが、あまりカバーされていないことである。May Jでさえカバーしていない。どうなっているのか。

なので私は思う。そろそろWANDSのカバーが流行りだす頃なんじゃなかろうかと。

彼らが大爆発していた頃からそろそろ二十年が経とうとしている。時代は10年周期で繰り返されるというのはよく聞く話である。

名曲たちを振り返ってみよう

ということで、いつでもカバーアーティストが出てきてもいいように、今からおさらいをしておこうじゃないか。古臭さは否めないものの、メロディーとボーカルの魅力は色褪せないと思う。私の感性が止まっているだけでなければ。

参考までにCDのセールス枚数も一緒に載せておく。今ではとても考えられない数字で、見ているだけでテンションが上がってくる。一体どれだけの印税が入ってきたのだろうか…なんて考えてしまう私は間違いなく小市民である。

彼らのCDセールスを見てみよう。どれもこれも今では考えられない数字である。

もっと強く抱きしめたなら 166万枚


WANDS もっと強く抱きしめたなら (Motto Tsuyoku Dakishimeta Nara) MV

WANDS初のミリオンを獲得した名曲『もっと強く抱きしめたなら』である。

90年代音楽の特徴として、長ったらしいタイトルというものがある。WANDSの楽曲のほとんどの作詞を手がけていたのがボーカルの上杉昇なのだが、彼のこういった歌詞センスも時代を掴んだ理由なのかもしれない。

この最高のメロディーを生み出したのは作曲家の多々納好夫。アイドル音楽を中心に手がけていた彼だが、WANDSに提供した『もっと強く抱きしめたなら』とSLAM DUNKの主題歌にもなった『君が好きだと叫びたい』が代表曲となっている。


Slam Dunk OST - BAAD - 君が好きだと叫びたい

時の扉 144万枚


【時の扉】WANDS 【toki no tobira】

何だ時の扉って。私は未だかつてそんなものは見たことないが、きっとそんなことは関係ない。こちらの作品も売れに売れた。地味なタイトルに似つかわしくない144万枚のである。

作詞はもちろんボーカルの上杉昇。作曲は珍しくキーボードの大島である。

この時代のキーボードは黒縁メガネのダサメンが定番だったようである。とても売れているバンドのメンバーには見えない。

愛を語るより口づけをかわそう 112万枚


WANDS 愛を語るより口づけをかわそう (Ai wo Kataru Yori Kuchizuke wo Kawasou) MV

天才作曲家の織田哲郎現るである。

この作品から遂に名曲製造機の織田哲郎が参加するようになった。彼の作品を紹介するだけで90年代の名曲が揃いそうなぐらい時代を席巻していた。ZARDの『負けないで』やこのあと紹介するWANDSの『世界が終わるまでは』や『世界中の誰よりきっと』も彼の手によるものである。

意外な所では、ちびまる子ちゃんのOP曲に使われていた『おどるポンポコリン』も織田哲郎作曲である。


B.B.クイーンズ おどるポンポコリン

恋せよ乙女 81.9万枚


WANDS 恋せよ乙女 (Koiseyo Otome) PV

こんな地味な楽曲でも80万枚超えである。売れる時代だったのだと痛感する。正直私はあまりこの楽曲が好きではない。WANDSらしさが感じられないのだ。

メンバーも同じ印象だったのか、シングルにも関わらずライブで一度も演奏されたことがないそうだ。乙女よ、恋できなかったのか。

Jumpin' Jack Boy 82.6万枚


WANDSᴴᴰ Jumpin' Jack Boy PV Short Ver.

これはまったく知らない楽曲である。これも上杉昇が作詞しているのだが、日本語歌詞のイメージが強かったので意外である。そしておっさんになってきているので、ロン毛が気になる。

世界が終るまでは… 122万枚


WANDS 世界が終るまでは…(Sekai Ga Owaru Made Wa...) MV

はい、出ました最強楽曲。WANDSの最高傑作と呼び声高い名曲である。

当時はジャンプが週刊で630万部売れており、その中でも特に人気作品だった『SLAM DUNK』のエンディングテーマに抜擢されたことも売上に繋がっている。

ただこの作品に関して言えば、これこそがWANDSサウンドであり、WANDSそのものを体現した楽曲である。つまり誰の耳でも満足させられる楽曲だということだ。

この楽曲で遂に上杉もロン毛をバンダナの中に封印している。自分でもキツイと感じたのだろか。英断である。

Secret Night -It's My Treat- 63万枚


WANDS Secret Night ~ It's My Treat ~ 「Second Version」MV

怪物的な売上を続けていたWANDSもここらへんから下降線を描いていく。

サウンド的には今までの大衆的な路線から少し外れたマイナーな雰囲気になっている。初期の頃のL'Arc~en~Cielと似ている気がする。きっと影響を受けたんじゃなかろうか。

 Same Side 23万枚


WANDS SAME SIDE MV

汚い歌声、歪ませたギター。一体誰なんだこれは。

そう間違いなく我らがWANDSである。ちなみに作曲には上杉も参加している。

これは解散の匂いがプンプンするぜ!

WORST CRIME/Blind To My Heart 13万枚


WANDS WORST CRIME ~About a rock star who was a swindler~ MV

全盛期の売上から比べると遂に10分の1になってしまったこちらの楽曲。

このシングルを最後にボーカルの上杉とギターの柴崎が脱退してしまう。事実上の解散である。彼らの華々しい活躍はここで終わりを告げたのだった。

錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう 21万枚


WANDS 錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう (Sabitsuita Machine Gun de...) MV

と思ったらまさかのボーカルチェンジで活動を続ける、というなんともチャレンジ精神溢れる展開に。

このPVをよく見てもらいたいのだが、まず新ボーカルの顔が良く見えないようにしてあるのが分かるだろう。そしてボーカルの歌声が非常に前ボーカルの上杉に似通っている。事務所の必死さが伝わってくるだろう?

この実はこの楽曲にはWANDSの誰も関わっていない。作詞作曲共に小松未歩である。

番外編 世界中の誰よりきっと 186万枚


WANDS&中山美穂 【世界中の誰よりきっと】full 02

こちらも天才織田哲郎の手による作品。

バンドに女優を迎えるというのは一体どういうつもりだったのだろうか?

売れてるもんに売れてるもんをくっつければ、更に売れるだろうという魂胆だったのだろうか?もしそうなのであれば大成功である。

このCD売上186万枚という数字は日本の歴代CD売上の35位となっている。ちなみに1位は子門真人の『およげたいやきくん』454万枚である。さらにちなみに言うと、子門真人に印税は入っていない。彼は契約のときに「印税方式にするか、それとも前金方式にするか?」と事務所から聞かれ、こんな楽曲がそんなに売れるわけがないと思い、前金にしてしまったそうだ。悲しい。

 

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みんなが同じものを好きだった時代

以上がWANDSの楽曲まとめになる。

こうやって聴き返してみても、やはり彼らの楽曲には色褪せない魅力があることが分かる。ぜひとも後世のアーティストたちにカバーしてもらって、この名曲たちを伝え続けてほしい。

思えば90年代というのはみんなが同じものを欲しがる時代だった。今のように自分が好きなモノを見つけるわけではなく、みんなが流行を追い、置いて行かれることを恐れていた。

画一的で面白みがないとも言えるかもしれない。

しかしそれだけみんなが熱狂できる音楽が存在したというのは、貴重な時代だったとも思うのだ。今、そんな音楽は存在しない。あらゆるジャンルがJPOPに雪崩れ込み、進化し、時には混ざり合い、特化した音楽ばかりになってしまった。

それを嘆くわけではないが、みんなで一緒に楽しめるものが少なくなってしまったことを寂しく思ったりするのである。

 

以上。