どうも。
自己啓発本に関する記事である。
自己啓発本否定派は偉い
私は本が好きで、それは小説に限らず中には自己啓発本も多くある。
小説に関しては売れ線に手を伸ばさない私だが、自己啓発本に関してはベストセラーと聞いただけで欲しくなってしまう傾向がある。まあ実際に買うのは少ないが。
で、この自己啓発本なのだが、世の中には嫌っている人も多くいると聞く。
曰く、「情弱から搾取してるだけ」「読むだけで満足している」「どれも同じようなことが書いてある」「意識が高いのを誇示したいだけ」などなど。
私自身が情弱のようなものなので、搾取されているかどうかはよく分からない。読むだけで満足していることもままある。同じようなことが書いてあって、せっかく買った本を叩きつけたくなることもある。認めよう。意識が高いことを誇示したくなるのだって人情だ。すごくない自分を少しでもすごいと周りに思ってほしくなる気持ちが分かってもらえるだろうか。許してくれないだろうか。
ということで、自己啓発本否定派の言うことはほとんどが的を得ている。素晴らしい。やはり自己啓発なんかに頼らない方々というのは、曇りのない優秀な観察眼をお持ちのようだ。そんな素晴らしいあなた達には絶対に自己啓発本なんて必要ない。だってすでに優秀なのだから。これ以上成長してどうするというのだろうか?人類を越えた存在にでもなろうと言うのか?きっと人類を越えた存在は寂しいぞ。誰も理解してくれないから。時には、レベルが高すぎるというのも考えものなのだ。
スポンサーリンク
自己啓発本は読んでも意味がない?
自己啓発本は読んでも意味がない、というのは真実である。
よく言われるのは、読んでも行動に移さなければ意味がない、というもの。ただ本を読んだだけで成長なんかしないという主張だ。
確かにノウハウが書いてある自己啓発本を読んで行動に移さなければ、何も体得することはない。そういう意味では意味がない、という意味になりそうだ。
ただこれに関しては少し補足が必要になる。
読んだだけでは意味がない。そう思っているあなたにはね。
自己啓発本で得られるもの
自己啓発本を否定している人がどれだけ真剣に読んだのかは知らないが、私の感覚だと真剣に読んだ人であれば「充足感」を感じてしかるべきだと思う。
私は自己啓発本のここに大きな意味を見出している。
というのも、人の心というのは言葉に引っ張られるようにできているからだ。
単純な話である。ポジティブな言葉を見ればポジティブになるし、ネガティブな言葉を見ればネガティブになるのだ。人の心は私たちが思っている以上にとかく単純なものなのである。
脳は否定を理解できない
また脳は否定を理解できない、という構造もポイントである。
例えばよく遅刻してしまう人が「遅刻は絶対にダメだ」と意識したとする。すると逆に遅刻しやすくなってしまうという。
脳は否定を理解できないため、「遅刻」という言葉にばかり意識が行ってしまいこのような現象が起こるそうだ。
その理論で行くと、碇シンジの「逃げちゃダメだ」も同じようなことだと分かる。「逃げちゃだめだ」を繰り返すことで、逆に逃げたくなってしまうわけだ。
なので、遅刻の場合であれば「私は絶対に◯時に起きる」という肯定の意識を持つといい。実際に効果があるのでやってみると面白いだろう。
だから否定派には効果がない
だからこそ、最初から「自己啓発は意味が無い」と考えている否定派には効果がない、というか効果が出なくて当たり前と言える。
逆に肯定派は、ノウハウを身につけなかったとしてもポジティブな考えや意見を得ることができる。ポジティブというのはそれだけで武器になるのはお分かりだろう。
ポジティブといえば面白い記事がある。
ノウハウだけが得るものではないのだ。そこを勘違いしている人が多いように思う。
スポンサーリンク
信じる人をバカにすると得られるもの
自己啓発本に限らず、何かを信じている人やハマっている人をバカにする現象というのはよく見られる。私もパチンコやスマホゲームにハマっている人はさんざんバカにしている。
そうやって誰かをバカにすると得られるもの。それは優越感である。
優越感はいい。何も誇れるモノがない私のような人間にとっては最高の宝である。常に優越感を求めている。完全に優越感中毒である。どっかに売ってないのか優越感。まとめ買いしたい。Amazonでセールとかやらないのか。
一般人代表の私がこんななのだから、きっと多くの人が同じように優越感に飢えていることだろう。可哀想に。(←これも優越感)
劣等感が誰かをバカにさせる
つまるところ、自分に自信が無かったり誇れるものがないから優越感を求めるのだ。
拭い去れないほど自分にこびりついた劣等感。ボロボロになった自尊心。
それではまずいと必死になって、誰かをバカにして得られる優越感を使い突貫工事。応急処置でもしないよりマシだ。そうでもしなければ自分のわずかな自尊心が悲鳴を上げてしまう。
素直になるのは難しい。唯一一人前に持っているプライドが邪魔をしてしまうのだ。「誰か自分を認めて!」なんて言えないんです。
素直に助けてと言えない人は、誰かを攻撃することを代償行為としてしまうものなのだ。
私は自己啓発本を読んでいるので、そんな彼らのことを許してあげられるほどの余裕がある。
ありがとう自己啓発。おかげでこうやってまた優越感を得られているよ。
乱読はいかがなものか
ただ自己啓発本肯定派の私でも、乱読はいかがなものかと思ってしまうし、最新のものをいつまでも追いかけ続けているのも少し疑問に感じ始めている。
自分の心に火が灯るような一冊を人生の書にできれば、それが一番だと思うし、それが自己啓発本の真の使い方だと思う。
まあ飽きっぽい人や新しい刺激が欲しい人もいるだろうから、そういう人は流行を追っても構わないんだけどね。
とにかく、ノウハウだけじゃなくて、心の栄養剤的な効果が自己啓発本の本来の魅力なんだろう。
否定している人に分かってもらおうとも思わないが、好きな人はそれなりに理由があって読んでいる。だから理解できないからと否定するのはアホみたいだから止めた方がいいと思ったりするのだ。
以上。