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追求する、という快楽。森博嗣『喜嶋先生の静かな世界』

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どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

めっちゃ没頭できる作品のご紹介。

 

内容紹介

 

文字を読むことが不得意で、勉強が大嫌いだった僕。大学4年のとき卒論のために配属された喜嶋研究室での出会いが、僕のその後の人生を大きく変えていく。寝食を忘れるほど没頭した研究、初めての恋、珠玉の喜嶋語録の数々。学問の深遠さと研究の純粋さを描いて、読む者に深く静かな感動を呼ぶ自伝的小説。 

 

森博嗣ファンの自分からしたら、全然自伝的小説には読めないのだけれど、森博嗣が大学で思い悩んだであろうことが反映されているのは間違いない。(ブログとかエッセイで散々書かれてた内容)

なので、森博嗣の独白的なのを期待すると肩透かしを食う。普通に大学の研究者を主役にすえた小説として読むべきである。

 

『喜嶋先生の静かな世界』 のここが最高

この作品の特に素晴らしい部分をまとめておこう。

 

圧倒的没頭感。文章のリズムが良く、また物語の起伏が少ないので、言葉が脳内にするすると入っていく。これが心地よくて仕方ない。

 

学ぶこと、追求することの快楽の描き方が、さすが元研究者といった感じ。私はそれこそ底辺レベルで勉強ができなかった人間だけど、『喜嶋先生の静かな世界』を読みながら、まるで自分もめっちゃ頭がいい側の人間になったような気分を味わった。最高。

 

・かと言って刺激的な部分がないわけではなくて、所々に森博嗣らしいのユーモアやサービス精神が散りばめられている。もしかしたら、ちょっと裏切りが強すぎる部分もあるかも…

 

・筒井康隆の『旅のラゴス』が好きな人は、この作品の良さが分かってくれそう。

 

 

森博嗣の文章の魅力について

『喜嶋先生の静かな世界』の中で、私の琴線に強く触れた文章がある。まずひとつ紹介しよう。

 

彼女は客観的に見ても、魅力のある女性だったと思う。でも、僕には魅力のある対象は沢山あって、それはたとえば非連続体要素のモデルとか、破壊領域の波動方程式とか、もっと身近なところでは、金属の接触時の癒着現象だったし、彼女への関心がそれらよりもずっと低かっただけのことだ。それに、現実の人間関係というもの自体が面倒だったこともある。物理的な影響、時間的な不自由を、僕はまだ受け入れられない。考えるのをやめた瞬間に、綺麗に消えてしまうものが好きだったのだ。社会というのは、人間関係が生い茂ったジャングルのようなところで、なにものにも触れずに生きていくことはできない。それはわかっている。でも、できれば、立ち止まって、目を閉じたときだけは、周りになにもない宇宙空間に漂っていたいのだ。それくらいの安心は、望んでも良いのではないか、と僕は思っている。

 

森博嗣のことを15年ぐらいずっと好きなのだが、彼の抜きん出た魅力というのは、文章の上品さ、美しさである。そしてその上品さや美しさを生み出しているのは、森博嗣が愛する“孤独”に起因している部分が大きいように思う。

森博嗣は自分で考え、自分で答えを出して満足できるタイプの人間である。誰かにひけらかそうとか、承認欲求を満たそうとかいう邪念がない。とても純粋な思考で、他者が介在しなくても自立している強さを感じる。その芯の太さのようなものが、我々読者を安心させてれるのではないだろうか。

 

森博嗣のようなトリッキーな性格でも、優秀な頭脳を有しているわけでもない、あくまでも普通の我々は、どうしても他人からどうやって見られるかを意識してしまいがちだ。

引用した文章にも書いてあるとおり、私たちの暮らす社会において、人間関係から逃れることはできない。常に不自由であるとも言える。であれば、せめて思考ぐらいは、自分の中ぐらいは他者から開放されてもいいのではないかと思うし、それができたらとても幸せだと思うのだ。

 

謙虚さは絶対に伝わらない

もう一箇所気に入った部分を引用させてもらう。

 

難しい、言葉というのは。言わなければ気持ちは伝わらないが、言えば言おうとした姿勢を誤解される。だから、たとえば誰にもわからなくていい、という謙虚さなどは、けっして精確に伝わらない。伝えることで矛盾が生じるからだ。

 

森博嗣に影響されまくっている部分が非常に大きいのだが、私は謙虚な人が大好きである。それは静かな人とも言える。引っ込み思案な人は面倒だったりするけれど、謙虚さを持った人というのは、優れたバランス感覚や、高い人間性を感じられる。単なる恥ずかしがり屋とは違う。恥ずかしがり屋の場合はとてもうるさく感じる。

 

少々大げさな話になるが、もっとみんなが謙虚さを持てれば、世界は結構簡単に平和になるのではないかと思っている。それかもっと他人に興味を持たなくなればいい。弱者を無視するとかいう意味ではない。他者への関心から生まれる、嫉妬とか批判とか足の引っ張り合いみたいなもののことである。

「あの人は嫌い」とか「気に食わない」というような言動をよく見聞きするが、結局は「興味の対象です」とか「執着してます」と宣言しているようなものだ。そういう意味でも、自分の思い(特にマイナス感情)を大っぴらに語ることには謙虚でいたいものだ。

 

以上。