どうも、パパブロガーのひろたつです。
保育園に関して、悪い話ばかりが出回っているけれど、そんな場所ばかりじゃないことを知ってもらいたいし、保育士という職業がどんだけ大事な仕事か分かってもらいたくてこの記事を書いた。
恵まれた環境
私は3児の父である。それなりの問題は抱えつつも、それなりに円満な家庭を築けている。
さて、幼児のいる家庭において、保育園は大きな割合を占める要素である。周囲やネットの声を聞いてみても、保育園での出来事や対応については、たびたび話題になっている。
で、最近気付いたのだが、どうやら私の子どもたちが通っている保育園は、相当に優秀らしい。周囲やネットで聞くようなずさんな対応はまったくなく、むしろ「ありがとうございます!」みたいなことしかない。経営方針がいいのか、それとも単純に先生方の質が良いだけなのか分からないが、とにもかくにもお世話になりっぱなしである。
子どもたちの成長に関しては、大げさでなく5割は先生方のおかげだと思っている。
例えば、子供のオムツが取れるまでには、トイレを覚えさせるために、こまめな声掛けや頻繁にトイレに座らせたりする必要があるのだが、我が家ではほとんどやらなかった。先生方が保育園で頑張ってくれたおかげでオムツが取れた。共働きで、休みの日ぐらい気を抜きたい(子供がいつ漏らすかの恐怖に怯えたくない)私たち夫婦にとって、死ぬほどありがたいことなのである。
一事が万事で、すべてにおいてそんな感じなのである。お箸を使えるようにしてくれたのも保育園のおかげだし、歌や踊りを覚えたのだって保育園のおかげ。絵の描き方やハサミの使い方、最近では英語の発音なんかも覚えるようになった。どれも家ではほとんど教えてないけれど、身についたスキルだ。
マジで感謝しかない。文句の言いようがない。でも、世間とか周囲の空気的に「自分のとこの保育園は最高です」とか言っても、ただの自慢になるだけで誰も幸せにならないので、夫婦でしみじみと「本当に恵まれてたね」「運が良かったね」と言い合うに留めている。
先生にも配慮されてる
さらに、うちの保育園の素晴らしさは、園児や家族だけに留まらず、人事の方でも発揮されている。つまり職員である保育士さんたちである。
職員の人手不足や質の低下が世間では言われているけれど、うちの保育園では全然ない。若い先生が結婚して辞めちゃうことが年に1、2回あるけれど、すぐに充当される。しかもちゃんと経験のある人。新人の保育士さんも定期的に入ってくるし、一緒に組むのは優しくも優秀なベテラン保育士さん。もうかれこれ10年近くうちの保育園に通わせてもらってるけれど、結婚以外で辞めた人は見たことがない。ちゃんとみんな優秀に育っていってる。子供みたいだった先生がメキメキとちゃんとした“保育士”に成長していく姿を見るのは、感動を覚えるほど。
また、うちの保育園ではある慣例がある。これは他の保育園でもちょっと聞かないのだが、入園したときのクラスの担任をした先生が、卒園前の6歳のときのクラスをもう一度受け持つのだ。運営側の熱い思いが込められているように感じる。
うちの保育園は1歳から入園でき、卒園するのは当然ながら小学校前の6歳である。
オムツを変えるところから、小学校に旅立つところまでを見届ける。先生の感動もひとしおだろう。
全員ボロ泣きの瞬間
この独特の人事が最高の効果を発揮するのが、秋の運動会だ。
近頃では色々と言われがちだが、うちの保育園の運動会の最大の催しは最高学年による組体操である。
担任の先生の掛け声や強く打ち鳴らされる和太鼓に合わせて、園児たちがきびきびと動く。拙いながらもポーズを取る。園児の親御さんはボロ泣きだし、他の学年の親御さんたちの多くも涙する、かなり感動的な瞬間である。
でも実は一番感動しているのは先生だ。
晴れの大舞台で、しかも保育園生活の集大成である。醜態は晒せない。先生は表情を引き締め、全児童にくまなく視線を配りながら、完璧なパフォーマンスを見せてくれる。
でもその頬は涙に濡れている。演技の最中、ずっと泣いているのだ。涙を拭いながら、それでも役割に徹してくれているのだ。
よちよち歩きだった頃から面倒を見てきた子供たち。それがいまでは組体操ができるまでに成長した。
保育士という生半可では務まらない職業。待遇の悪さもなかなか改善されない。しかし先生たちの仕事の積み重ねが、子どもたちの成長という形で目の前に現れる。保育士という仕事のやりがいを、一番感じられる瞬間だと思う。
そして、それを先生に感じてもらうために、受け持つクラスをあえて、入園と卒園のタイミングにしているのだろう。
きっともっと良くなる、と信じてみる
私は本当に恵まれていると思う。申し訳ないぐらいに。
でもきっと、みんながもっと保育の環境などに関心を持ってくれれば、うちの保育園のような場所は増えるはずだ。いつぞやの「保育園落ちた、死ね」のときもそうだった。誰かの声が関心を集め、世の中を動かし、保育士の待遇向上に繋がっていった。
このままだと日本の未来が暗いのは、多くの人が分かっている事実である。
少子高齢化を巻き返すことは不可能だけれど、少しでも状況を改善することはできる。延命することはできる。
今の私たちの行動のひとつひとつが、未来になるのだ。一人ひとりが変える意識を持てれば、どうでもいいことで喧嘩ばかりしているこの国の政治を変えられる。そう信じることが希望そのものである。希望があれば、人は動ける。
子どもたちの成長は希望そのものである。彼らの未来は、私たちがまさに今、作っているのである。
少しでも明るい未来になることを願ってやまない。
以上。