圧倒的ブロガーひろたつです。もっとざわざわしたい今日このごろ。
ということで、今回は予想外に売れまくっているマンガについてのお話。
異色作が堂々の1位!!
宝島社より発表された「このマンガがすごい!2017」の男性部門において、未だかつてないほどの異色作が1位にランクインした。いや、してしまった。
それがこちらである。
中間管理録トネガワ(1) (ヤンマガKCスペシャル) | ||||
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超人気マンガ「カイジ」で登場している悪役利根川幸雄を主役に据えた作品。スピンオフと言えば聞こえがいいが、はっきり言ってただのパロディである。
しかし困ったことにこれが無類の面白さなのだ。カイジを読んだことがある人ならば、確実にツボにハマってしまうだろう。なんだ「圧倒的バーベキュー」って。アホすぎるだろ。
で、そんな『トネガワ』だが、この記事を書いている2017年6月時点で、売上がなんと100万部を超えている。文句なしに売れまくっている。それだけ評価されているということだろう。
面白い作品が売れる。そして、高名な漫画ランキングで堂々の1位を獲る。名実ともに頂点に立ったわけだ。結構なことだ。
だが私はあえて言いたい。
本当にそれでいいのか?
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モヤモヤが晴れない
面白いマンガを格付けするランキングで1位ってことは、色々ジャンルの問題とかあるだろうが、つまりは「その年、一番優れたマンガ作品だった」ということのはずだ。
何度も書くが、確かに『トネガワ』は面白い。内輪ネタはやはり最高のスパイスである。
それに、本家のカイジがあの体たらくである以上、トネガワで我々が不足しがちな「カイジ成分」を補給したくなって、余計に評価したくなる気持ちも分かる。
だがそれでもモヤモヤが晴れないのが正直な所。
ランキングの1位というのは、ある種の権威だ。そこには力を伴う。
私は「そんな場所にパロディ作品が?」と思ってしまうのだ。
面白ければそれでいいじゃないか、なんて反論をされそうだけど、ちょっと考えてみてほしい。
例えばM-1で、ものまね芸人が優勝するとかザキヤマとフジモンがやってる「パクリたい-1グランプリ」のネタで優勝したらいかがだろうか。狩野英孝が優勝したら?
面白いとか面白くないとか、そういうレベルの問題じゃなく、純粋に「相応しくない」と思わないだろうか?
勘違いしてほしくないのだが、私は別にものまね芸やザキヤマフジモンコンビのやっていることが、面白くないとか価値がないと言いたいわけではない。狩野英孝の笑いだって神がかっていて唯一無二だと思っている。
では何だったらいいのか?
文句ばかり書くのはあまりにも生産性がなさすぎると思うので、私なりに答えを書いておきたい。
『トネガワ』のようなパロディ作品が1位に相応しくないというのであれば、じゃあ一体どんな作品が1位であるべきか?
それは、「パロディをされるような作品」である。
これは言い換えるならば、
「表現や物語の新しい地平を切り開いた作品」
もっと簡潔に言うと、
「オリジナリティのある作品」
である。
これこそが堂々たる1位であり、有識者が評価するに値する作品だと思うのだ。
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ランキングは何のためにあるのか?
そもそもマンガのランキングが何のために存在するのかを考えてみよう。
「最高のマンガランキング」とかであれば、『ブラックジャック』とか『ドラゴンボール』、『AKIRA』がランクインしても全然構わないと思う。それぞれマンガの歴史を語る上で外せない重要な要素を持った作品たちだ。
では今回の「このマンガがすごい!」だったらどうだろう。上記のような作品たちが食い込んでくるだろうか?それはちょっと考えられないし、相応しくないだろう。みんなが欲しているものではないはずだ。
なのだが、何年か前の女性部門に『ベルサイユのばら』がランクインしていた。実際ランクインしているのだから、文句を言っても仕方ないのだがこれも正直意味が分からない。
ベルばらの例は除外するとして、私たちはこのランキングに自然と無意識のうちに「新しい何か」「未知なる作品」を求めているのだ。だからこそ過去の名作たちはランクインしないし、するべきではないのだ。
であれば、当然新しい価値を持った作品こそが、1位になって然るべきだ。
マンガを推進する力になってほしい
マンガを読む人であれば誰しもが「まだ見ぬ面白い作品」と出会いたいと思っているだろうし、逆に作家側も「誰も生み出してない作品」を創り出すべく頭を捻っているだろう。最高の需要と供給だ。
ランキングはこのサイクルを後押しするものであってほしい。
というのも、パロディというのは作品の質を担保しやすい手法なのだ。乗っかる船が大きければ大きいほどハズレになりにくい。スベらないのだ。例えばディズニーのパロディなんてのはそこら中で見かけるが、それはそれだけスベりにくいからみんながやるのだ。
パロディ作品の面白さは認めるが、あくまでその面白さは「補助輪付き」であることを忘れないでほしい。
そして、そんな「補助輪付き」の作品が「一番優れている」と評価されたらどうだろうか。新しい価値を想像しようとしている作家からすれば、辛い現実ではないだろうか。「それでいいのかよ…」と脱力はしないだろうか。
まあこの辺りは完全に私の想像でしかないのだが…。
とまあ、多分に私の妄想も入っているのだが、そんなわけで私としてはランキングの1位に据える作品は、せめてパクった作品ではなく、パクられるぐらいのオリジナリティを持った作品にしてほしいと思うのだ。
きっとそれが、また新たな表現や物語を生み出すキッカケになるはずだ。
以上。
クソ面白いのは認める。
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