どうも。中間管理職ブロガーのひろたつです。世の中上手くいかないことばっかりで、びっくりしている毎日です。
さて、今回の記事は職場に犯罪者がいたというお話。
突然失踪したオッサン
ある日、職場のオッサンが失踪した。
普段であればそれほど驚くようなことではない。
なにせ私の部下は100人を超えている。社員も多くいるが、中には非正規雇用者もいるので、バックられるのなんて慣れきっている。B級バックラー程度ならば全然許容範囲だ。
だが今回の件で言えば、例外。
その人は、年下だろうが年上だろうが関係なしに敬語で接っするような人格者で、職場では人望があり、仕事も丁寧。
基本的に部下を信用しない私でも、自然と頼りにしてしまうような人だった。
そんな“いい人”そのものな人がバックレ。
「あぁ、やっぱり人なんて見た目じゃ分からんもんだなぁ…」
と私は諦念とも達観とも言えない感情を味わった。
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ネットニュースを見て驚愕
それから数日後、上司から呼び出されネットニュースを見せられた。一応ヤフーニュースだが、私の住む地域の地方ニュースだった。
そこにはあの失踪したオッサンの名前が容疑者として書かれていた。
あまり具体的な内容を書くと身バレに繋がるので若干のフェイクを入れるが、見知らぬ子供を人質に母親から金を強奪するという事件だった。 母親に怪我は無かったそうだが、子供は包丁を突き付けられて怪我を追ったらしい。
子供がいる私としては、まるで身を切られるような気分になった。
そしてそんな凶悪な事件を起こした人物と、私の知っている人の良い笑顔を携えたオッサンの姿がどうしても一致しなかった。
奪った金は3万円。人生を棒に振るには、はした金すぎるだろう。
たったそれだけの金のために心に傷を追ったであろう子供のことを不憫に思った。
ニュースはすぐさま職場を駆け巡った。
そしてみんなお決まりのセリフ、「あの人がそんなことしたなんて、とてもじゃないけど信じられない…」と口々に言い合った。
最初はただの野次馬だった
「小さいお子さんがいたのに、子供に刃物向けるなんてねぇ…」
「そういうえば捕まるちょっと前からやたらと機嫌が悪かった」
「でも以前から、いきなり怒鳴ったりとかあったから元々変な人だったのかも」
「お金にはいつも困ってたよねー」
職場にいた人間が犯罪者になるなんて、そうそうできる経験ではない。私の職場はけっこう閉鎖的な村社会じみた所があるので、みんなしばらくの間はオッサンのことで盛り上がっていた。
野次馬気分で身近に起きた事件を楽しみ、ちょうどよい刺激として話題の種にしていた。
部外者なんてそんなもんである。
次第に心境に変化が…
当然、人の悪いところばかり見るのが大好きな私もその会話の加わっていた。普段あまり話をしないような部下とも、その話題で盛り上がったぐらいだ。
とまあ、そんな感じで事件を楽しみ尽くした辺りで、私の心境に変化が起こった。
というか、ある事実に気付いた。
「こんな身近に犯罪者がいても、何も気付かないんだ」
今更かよ、という話だが、それくらい私はこの事件を軽く見ていたようである。確かに最初から「ヤバイ!ヤバイ!」と口にはしていたが、その実、私は身の危険よりも、アクシデントとして楽しむことを優先していたのだろう。不謹慎極まりない。
そんなわけで私はこの事件がどれだけ恐ろしいかにやっと気が付いた。
「人は犯罪者を見分けることができない」
そんなことを思い知った。
と同時に、こんな事件でさえも世間のレベルから見れば、地方ニュース程度の扱いでしかない、という事実も恐ろしかった。
世の中にはなんて凶悪な事件が溢れていて、それが当たり前として受け入れられているのかと。
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人は、分からない
普段からどれだけ長時間接していようが、良い人そうに見えようが、その人自身を理解したことにはならない。あくまでもその人の、一部を“見た”だけでしかない。
そんなのは自分自身を顧みれば自明のことである。
職場で見せている自分のアホ面なんて、本当に自分自身のほんの一部でしかない。その裏にいくらでも違う自分を抱え込んでいる。自分が気付いていない部分だってあるだろう。それくらい人は複雑な生き物だ。
なのに私たちは目の前の僅かな情報だけを見て、まるで全部がそうであるかのように決めつけてしまう傾向がある。
「あの人はいい人だ」
「あいつ性格悪いよね」
「まさかあの人が」
「信じてたのに」
何かの本で、「信じることと騙されることは、脳の働きとして同じ現象」というのを読んだことがあるのだが、まさに私はこれだったわけだ。あのオッサンがいい人、少なくとも自分と同じような人間だと勝手に思い込んでいたのだ。
いや、もしかしたらそれさえも間違っていて、犯罪に身を投じたオッサンも、まともな人間ヅラしている私も、そこまで違うわけじゃないのかもしれない。ちょっとしたキッカケや理由があれば、私だってそうなるのかもしれない。
とにかく私が今回の件で心の底から痛感したのは、「人は、分からない」というあまりにも身も蓋もなく希望も存在しない事実だった。
申し訳ないのだが、この記事に答えは存在しない。ただ私が経験したことを並べ立てているだけである。
凶悪な事件があったとみなさんが騒ぎ立てているその影で、被害に遭った人や遭っていないけど身近にいた人。そんな人たちは事件によって、今までとは違う目で世界を見ることになる。それを知ってもらいたいと思って書いてみた次第である。
以上。
加害者家族 (幻冬舎新書 す 4-2) | ||||
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