どうも。
大好きな森絵都作品を紹介しよう。
内容紹介
ラン | ||||
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9年前、家族を事故で失った環は、大学を中退し孤独な日々を送っていた。ある日、仲良くなった紺野さんからもらった自転車に導かれ、異世界に紛れ込んでしまう。そこには亡くなったはずの一家が暮らしていた。やがて事情により自転車を手放すことになった環は、家族に会いたい一心で道のりを自らの足で走り抜く決意をするが…。哀しみを乗り越え懸命に生きる姿を丁寧に描いた、感涙の青春ストーリー。
私は『ラン』を電車の中で読み終えたのだが、30過ぎにもなって人前で涙を流すことになるとは思わなんだ。いや逆か、おっさんだからこそ涙もろくなったのかも。
直木賞作家の腕前にやられた次第である。
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暗い題材を扱ったポップ
家族の死、友人との別れ、職場でのイジメ、変えられない自分…。
作品の中に使われているアイテムを上げていくと、こんなにも暗い作品に思えるというのに、文体は非常にポップである。
Amazonのレビューに書いてあったが、どうやらそのポップさが気に入らない人が多かったようだ。
たぶん、あらすじを読んで「可哀想な主人公」を期待してしまったのかもしれない。
人は可哀想な人が大好きだ。優越感を持てるから。
それを裏切られてしまったのだから、低評価を付けてしまうのも仕方ないかもしれない。(期待通りから外れた所に本の面白さがあると思うのだが…)
ただ、私はこの作品を推したい。しっかりと、グイッと推したい。
ちゃんと心を動かす力がある作品だからだ。
ちゃんと感動作品
世の中で「感動作!」と呼ばれるものの多くが、ただ単に重要人物が死んだり病気になったりするだけだったりする。
私はこのパターンに飽き飽きしている。
人の不幸を食い物にする作品にもウンザリである。
それは感動ではない。悲しみである。
それを理解していない作家が多いのか読者が多いのかは知らんが、見当違いな作品があまりにも多い。
しかしその点、森絵都は違う。ちゃんと書ききっている。不幸というアイテムだけで勝負なんかしないのだ。
感動なめんな。
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喪失への抵抗
文体の件についても語っておこう。
先にも書いた通り、「可哀想な主人公」と「優越感」を求めていた人にポップな文章は合わなかったことだろう。あまりにも温度差がありすぎた。
告白すると私も読み始めは少々違和感があった。
しかし読み進める内にポップな文体が効いてくるのに気付いた。
たぶんこの文体でなければ、電車の中で涙を流さずにはいられないほどの感動は味わえなかったのではないだろうか。そう思える。
静謐な文章で主人公の可哀想さを演出して「不幸」を押し出すことも可能だっただろう。
しかし、それだけではあまりにも人間の一側面に偏りすぎだと思うのだ。
人はいつまでもやられっぱなしではない。
自分の身に降りかかる苦難に対し、ゆっくりかもしれないが徐々に形を変えながら(これを成長と呼んだりする)抵抗するのだ。
辛い経験を軽く扱うこと
ポップな文体は森絵都なりのバランス感覚だろう。
苦難という「重さ」に対して、「ポップさ」で跳ね返す人の強さを見せてくれる。
こんな経験がないだろうか。
何か辛いことがあったときに、それを重く受け止めることもできるのだが、それだとあまりにも耐え難く、そんな自分が惨めになってしまう。
だから辛いことを、あえて笑い飛ばす。軽く扱う。小さいものだと決めつける。
そのときの自分の気持ちをごまかしているだけかもしれない。
だけど嘘も100回言えば真実になる。
いつしか辛いことが笑い話になるのだ。
私たちはいつまでも不幸ではいられない性質を持っているのかもしれない。
いつかは立ち上がるように、ときには跳ねるようにして、辛いことに抵抗するのだ。
そんな人の成長を見せてくれる快作である。
以上。
ラン | ||||
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