俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

結局フィクション。『こんな夜更けにバナナかよ』

f:id:summer39191628:20190909010149j:plain

 

どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

人生初の「映画ノベライズ作品」を読んだ感想をつらつらと。まあ、ほぼ愚痴です。

 

内容紹介

 

 

鹿野靖明、34歳。筋ジストロフィー患者で、一人では寝返りも打てない。だけど、自由に生きたい!自ら集めたボランティアに支えられての自宅暮らしはわがまま放題。バナナが食べたくなったら、たとえ真夜中でも我慢しない。病院で、ただ生きているだけなんて、意味がない。そのわがままは命がけだった。実話から生まれた映画のノベライズ。 

 

 

「ほう、実話か」

そう思って手に取った。

 

映画を観たら、原作は読まない。原作を読んだら、映画は観ない。そんなルールを自らに課している私としては、なかなか珍しい選書だったと思う。なぜなら大泉洋が好きなので、映画も観る予定だったからだ。

ただこの場合、実話を元にしたノンフィクションみたいなものなので、別作品として楽しめるだろうと思っていた。

だが、読み終わって冷静になってから気が付いた。

 『こんな夜更けにバナナかよ』は、

 

取材を元に語られた「実話」を元にした「映画」「ノベライズ作品」

 

である。

 

…。 

 

これって、ほとんどフィクションじゃね?

 

あまりにもご都合主義な展開

事実からどれだけ離れてんのよ、という話で、実際中身もかなりのご都合主義にまとまっている。現実じゃ絶対にありえないリズム感だ。演出のレベルを超えて、完全に創作になってる。

珍しい実話を楽しむつもりで読んだけど、どうやら私が読んだのはフィクション作品だったようだ。

 

歴史小説を読んだときも思ったけど、「事実を元にした」系の作品の場合、一体どういうテンションで付き合ったらいいのか悩む。

 

「へー、そんな人がいたんだ」

と思いたいけれど、作品としての面白さを担保するために、個性を強調している可能性がある。

 

「そんな壮絶なドラマがあったのか…」

とか思いたいけれど、それもやっぱり作者の都合で面白おかしく調理している可能性が否めない。

 

とにかく、一次情報を知らないこちらとしては、完全に鵜呑みにできないし、そもそも出来上がってる作品があまりにも「物語」しすぎていて、「ああ、勝手に創作しちゃったのね…」となる。それだったら「フィクションです」と言ってもらった方が、まだ素直に楽しめると思う。

 

ノンフィクションでもフィクションでもない、「実話を元にした物語」。

読み手の私は一体どんなスタンスで対峙すればいいのか。

ずっと分からない。

 

映像がすぐに浮かんでくる

消化不良に終わった『こんな夜更けにバナナかよ』だが、悪い所ばかりではない。

ノベライズ作品というものが初挑戦だったので、他のノベライズものがどうなのか分からないが、 「映像がすぐに浮かんでくる」という点では、かなりレベルが高かった。特に主演の鹿野役の大泉洋は、あてがきしたんじゃないかってぐらい容易に想像ができた。

頭の中で映像に起こせるかどうかというのは、小説作品を楽しむ上で、非常に大事な要素だ。

これができないと「難解」と言われたり、もっと上品な言い方だと「文学的」と言われるし、下品な言い方をすると「つまらない(分からないと同義)」だったりする。

だから画が浮かびやすいのは偉い。

 

でもこれも小説慣れしている自分からすると、「ちょっとうるさい」と感じてしまう。

なぜなら自分で勝手に想像させてほしいからだ。大泉洋は好きだけど、勝手に登場されるのは嫌だ。

 

OK。分かってる。分かってるよ。

何度も書いているが、そもそも私が読んだのは映画のノベライズ作品なのである。起用された俳優要素が高くて当然なのだ。それにも関わらず文句を付けている私の方がおかしい。モンスタークレーマーだと言われても仕方ないだろう。無視するけどな。

 

映画と小説のリズム感の違い 

あと最初にも書いたが、物語のリズム感が気になって仕方なかった

 

ネタバレはしない主義なので具体的な内容は記述しないが、キャラクターたちの心の動きなどが、どうしても気持ち悪くなってしまうときがあった。

 

例えば、映像であれば「女性が男性の頬を叩く」というシーンがあったときに、「なんかあったんだな」と思うだけだ。女性が涙を流していたら、男が何かひどいことをしたんだろうな、と思う。

でも文章でいきなり女性が男性の頬を叩くシーンを放り込まれても「なにこれ?」となる。

 

その場面を見たときに得られる情報量によって、受け手の納得度合いが変わってしまうのだ。

 

特に文章の場合かなりの部分を読み手に託している。だからこそ文脈だったり、雰囲気のようなものが物を言う。

しかし、映画のノベライズ作品の場合、「映画の忠実な文章化」を目的としているので、起こる出来事も、キャラクターたちの言動や感情の動きなども、「映像前提」になっているので、どうしてもちぐはぐな印象を受ける。

 

最近の映像作品の流行りみたいなのだが、物語の早々にトラブルを起こす傾向がある。その方が観ている人を食いつかせられるからだろう。なんでもインスタントになっている。

でもそれも映像だからこそできる荒業であり、文章では厳しい。

少なくとも映像のスピード感で語られても「ああ、このキャラクターにこういうこと言わせて、トラブル起こしたいのね」としか思えない。説得力が足りなくなってしまうのだ。

 

 

ただ、これはあくまでも私のような「小説なれ」している人間だからこそ感じられるものであり、きっと世の多くの人(たぶん98%ぐらい)にはまったく気にならないレベルの話である。

それを分かった上で書いている。なぜなら私は気になって仕方ないし、作品を読むのに時間を費やした以上、文句も言わせてもらいたいからだ。人生は有限である。

 

とはいえ、こうやって映画が人気になってノベライズ作品が発売されれば、自ずと出版業界にお金が流れ込むわけで、そうすると私の大好きな小説作品にもお金が使われるようになるわけで。

とりあえず文句は言ったものの、私の感想とは関係なしに売れてくれればいいなとは思ったり、「時間返せ」と思ったり。

 

以上。