児童文学には良質な物語が多い。
きっと子供向けに書かれているがゆえに、余計な装飾を排除し、物語の本質をストレートに伝えてくるからなのだろう。それを物足りないと思うか、それとも純度が高いと思うかは人それぞれだと思う。別に児童文学を楽しめない大人が劣っているとも思わない。
ただ、勿体無いとは思うが。
先日、再び名作と呼ぶに相応しい児童文学作品と出会った。
それがこちらの作品である。
ワンダー Wonder | ||||
|
オーガストはふつうの男の子。ただし、顔以外は。生まれつき顔に障害があるオーガストは、10歳ではじめて学校に通うことになった。生徒たちはオーガストを見て悲鳴をあげ、じろじろながめ、やがて……。
全世界で300万部売れた、感動のベストセラー
個人的にベストセラーという触れ込みは何の価値もないと思っている。まだ発売されてもいない村上春樹の新作がベストセラーになっているように、話題性や広告の打ち方で、ベストセラーなんてものは生まれてしまうからだ。
だが、今回は素直に評価したいと思う。この作品が売れてくれて良かった。
スポンサーリンク
大きなテーマを抱えている
児童文学書らしく、テーマは非常に明快。しかしながら、そのテーマの奥深さ、そして難解さは大人をしても歯が立つものではない。むしろ大人だからこそ考えさせられるものだったりする。
『ワンダー』の大きなテーマはふたつ。
“勇気”と“美”である。
主人公のオーガストはまるでオークのような見た目をした少年である。彼の心は普通の少年となんら変わりないのだが、彼の外面は他人に他の少年とは違う反応をさせてしまう。
物心が付く前ぐらいの幼さであれば、きっと周囲の人間のそういった反応に気付くこともなかっただろう。
だが彼は成長するにつれて、自分の外見を恐れる人がいること。それによって相手に気を使わせてしまうこと。そしてときには残酷な言葉を浴びせられることも知ってしまう。
心は普通の少年だからこそ、彼はいつしか人目につかないように生きていくようになる。
彼は生まれながらにして美から見放され、勇気を失ってしまった。
これを逃げだと言うのはあまりにも短絡的だ。
もっと勇気を出せ、自分の人生を生きろ、周りの目なんか気にするな、なんていう勝手なことは周囲の人間が言うことではないだろう。だって、その人は化物のような見た目をしていないのだから。
簡単じゃありません
私は基本的にネタバレをしないので、『ワンダー』のストーリーについてここでは書かない。興味がある方はぜひ本書を手にとってほしい。勇気と美という、私たちの世界を作り出している大きな要素について、じっくりと考えてほしいと思う。
私が『ワンダー』を読み終えて考えたことを言葉にするのは非常に難しい。簡単なことじゃないからだ。
難しいこと、というのはつまり「理解できる主張がぶつかり合っている状態」である。
オーガストの見た目は化物そのもので、それを理由にいじめる人間や敬遠する人間は、物語上では悪役かのように見える。
だが、実際どうだろう。あなたの目の前に先天的に眼球が飛び出している人がいたとして、普通に接することができるだろうか。相手の見た目を過剰に意識せずにいられるだろうか?
差別は良くない。だけれども差別してしまう心は確実に自分の中にある。そんな相反する己の人間性が、『ワンダー』で語られるテーマをより難しくさせるのだ。
勇気は持っているものではない
さて、『ワンダー』の物語は化物のような見た目を持つオーガストが学校に通うようになるところから始まる。
今まで自分を無条件で愛してくれる両親や姉の手元から離れ、外の世界に飛び出したオーガスト。
その勇気はいかほどのものだろうか。だが別にオーガストは元々勇気のある少年ではない。見た目以外はごくごく普通の少年がオーガストなのだ。傷つけられることに恐れを抱かないはずがない。
でも少年は学校に行く一歩を踏み出す。醜い姿を抱えて。
ここが非常に重要だと思う。
「勇気を出す」という行為は、持っているものを「使う」ではなく、無いものを「絞り出す」ことなのだ。
他人ができないことを平気でやると「あの人は勇気がある」なんて称される。それは違うだろう。
平気でできることに勇気なんて必要ない。自分にできないことをやるときにこそ「勇気」が必要になるのだ。
できないことに踏み出す一歩。その一歩を進ませる力、それこそが勇気であり、その力は「絞り出す」しかない。
勇気は賞賛されるとは限らない
できないからこそ勇気を出す。
これが分かっている人であれば、他人の勇気を褒め称えることもできると思う。
だが多くの人は、他人を評価するときに「平均よりもどれだけ抜きん出ているか」を重視する。間違い探しが得意な私たちはそうやって判断するのが大好きである。
そのために非常に残酷な結果が出ることがある。
本人がどれだけ勇気を振り絞ったとしても、その行為自体が他人(興味のない)から見て平均以下であれば、評価しないのだ。さらに酷いときは、平均以下であることをバカにし、蔑み、見下し、排除しようとする。
尊い「勇気を出す」という行為に対し、私たちはあまりにも鈍感にできているのだ。
勇気は必ずしも賞賛されるとは限らない。
どれだけ素晴らしい行ないをしたところで、それを真っ当に評価できる人がいなければ、それはただの愚行なのだ。
愚者ほど簡単に他人を愚者だと決めつけてしまう。
スポンサーリンク
勇気を出した先にあるもの
他人が評価してくれないことは確かに悲しい。勇気を出したことを評価してくれないばかりか、批判されることさえあるのは残酷な事実だと思う。勇気を出した先にあるのは賞賛であってほしい。しかしそう上手く世界はできていない。
じゃあ私たちは、勇気を出すために何をモチベーションにすればいいのだろうか。勇気を出した先に何があるというのだろうか。
勇気を出した先にあるもの。
それは賞賛ではない。成長である。
成長こそが勇気を出す、という尊い行為に足り得る目的なのだ。
いままでできなかったことをする。怖いけれども一歩踏み出す。その結果がどうなろうとも関係ない。
今までの自分と決別すること。勇気を出すまでの自分と変わること。自分は勇気を出した、という経験。それが人生の力になる。寄る辺のない人生の中で、数少ない頼りとなる“自信”の根拠になる。
自らの行いが自らを支えてくれるようになるのだ。
簡単なことじゃないからこそ、価値がある。その価値は他人が決めることもあれば、自分にしか測れないときもある。その違いを理解しておくことは人生において、非常に重要なポイントじゃないかと思う。
“WONDER”の意味
『WONDER』を読み終えたとき、私は大きな感動と共に呆然とする思いだった。
その感情を整理するためにこうやって拙い文章を書き殴っていると言えるだろう。それくらい心に強烈な一撃を食らわせてくる作品なのだ。
作者が『WONDER』という言葉にどんな意味を、願いを託したのか。
そして読んだ人がどんな意味を『WONDER』という言葉の中に見つけるのか。
どんなものであれ、それがあなたにとって特別と呼べるものであることを願う次第である。
以上。
ワンダー Wonder | ||||
|
見た目の問題に興味がある方はこの本がオススメ。ベストセラー作家の水野敬也が非常に真摯に向き合ってくれている良書である。
顔ニモマケズ ―どんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語 | ||||
|