どうも、音楽の求道者ひろたつです。
逸材を見つけたのでご報告。
死を呼ぶ歌声
私が度肝を抜かれたのがこちらの動画。全く知らない方だったが、楽曲の「サーカスナイト」自体はすでに知っていたので、「あの名曲のカバーね。分かる分かる」と完全に舐めきって再生をクリックした。
私はたまに想像を超えた歌声に出会うと鳥肌が立つことがある。それは畏怖にも近い感情なのだが、青葉市子の歌声にもそれを抱いた。
「なんじゃこりゃ」
私の少ない語彙では説明できる気がしないほど彼女の歌声は素晴らしい。力みが全くなく、透き通り、心に分け入ってくる。試したことはないが、これを聴きながら夜の街をドライブしたら、何のためらいもなくガードレールに体当たりしそうな気がする。あの世に行っちまいたい衝動に襲われそうだ。
鎮魂歌というものがあるが、鎮魂声と言って構わないだろう。癒やされるのと同時に死にたくなる。
人生は楽しむためにあり、素晴らしいものに出会うことが人生の目的だからだろうか。人は素晴らしいものに出会うと死にたくなるものだ。
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母親の声
このCMを見たことがあるだろうか。私が大好きなCMだ。
動画のリンクがなかったので、こちらのサイトに行って見てもらいたい。
このCMの中にあるように、子供に本を読み聞かせるときの母親の声というのは非常にやさしい声をしている。普段烈火のごとく怒り狂っているさまからは想像できない、まさに慈愛に満ちた声だ。アシュラマンもびっくりな変わりようだ。
これと同じものを青葉市子からは感じる。全てを受け入れ、やさしく包み込むような歌声。聴く者に安心感を与え、癒やしてくれる。※ちなみにこの文章を書いているのが30過ぎのおっさんだということを忘れてはならない。
私たちは生まれる前から母親の声を聴いて育っている。お腹の中にいる赤子にかける母親の声はやさしさに満ち、私たちの記憶になくてもそれは刷り込まれているのだと思う。だからこそ私たちはやさしいものが好きだし、やさしいものを求めるのだろう。あの時の母親の声を探しているのだ。
完成度の高い歌声
いつだかの記事で「表現とは説得力だ」と書いた気がする。私は非常に忘れっぽいのでどの記事だったか覚えていない。というかそもそも書いてもいないかもしれないので、一応説明しておく。
表現したいものがあったとする。それを見た人や聞いた人に伝えたいと思う。伝わるかどうかは”説得力”にかかっている。そこに上手さや下手さはあまり関係なかったりする。当然上手いにこしたことはないが、下手でも説得力があれば伝わってしまうのだ。
「悲しみ」を表現したければ、観客に「悲しい」と思わせなければならない。「観客が好きなように解釈してもらって構わない」というのはさらに上のレベルになる。表現することが目的になり、受け手の評価はまったく気にならないというものだ。
話が逸れたが、青葉市子の歌声には説得力がある。「癒やし」「やさしさ」「透明感」など何でもいいのだが、それらを感じさせるに足るものが備わっている。表現としての完成度が高いのだ。
しかもそれを狙ってやっている感じがしないことが恐ろしい。とてつもなく自然だ。
着ぐるみから逃げ惑う青葉市子。助けてあげたい。
青葉市子 - 機械仕掛乃宇宙(20131125) Shibuya WWW
声に似合わずテクニカルなギターテクニックも持ち合わせている。そして一体何だこの楽曲は。意味が分からん。
こんな感じで青葉市子は絶対に邦楽の売れ筋ランキングに入るようなアーティストではない。だがそんな大手たちが提供できないものを持ちあわせている。死ぬには持って来いの音楽だ。
以上。