攻撃しないと気がすまない人の話。
他人を攻撃しまくるあの人
どうも、部下100人を抱える超中間管理職ブロガーのひろたつです。
今回は部下の性格にまつわるお話。
世の中にはやたらと周囲を攻撃して回る人がいる。
他人を平気で批判し、こき下ろし、否定する。軽んじる。
常に平和的解決を求める私のような人間からすれば、非常に勇敢な行為に思える。「よくもまあそんなに強気になれますね」と。またそれと同時に、チンパンジーが人間社会に紛れ込んだかのような印象を受ける。
チンパンジーは怒った時に相手にウンコを投げつけるが、攻撃的な人はその代わりに怒りをぶつけてくる。やっていることに大差はないだろう。こんなのは、ほぼチンパンジー、つまり「ほぼチン」だろう。
常にいる「ほぼチン」
私の部下でもこういった感情という名のウンコを投げつける輩がよくいる。経験上、そういう人間は放って置くとじきに会社から去っていくものだが、80:20の法則でも働いているのか、不思議と常に新たな「ほぼチン」がどこからともなく供給されてくる。
「ほぼチン」は半分野生なので、攻撃力が結構凄まじい。なんてったって、本物のチンパンジーは握力が200kgもある。野生は半端じゃない。
そんな「ほぼチン」に派手に傷つけられる人は多い。もちろん不快になる人も多い。当然避けていく人も多い。
結果、「ほぼチン」は放っておくと職場の嫌われ者になっていく。
嫌われ者になると周囲の人間はこの「ほぼチン」の不幸せを願うようになる。
「どこかで痛い目に遭わないだろうか」とか「失敗しろ」なんていうふうに思われる。普段感じている憎しみをどうにかして発散したいのだろう。
本来であれば愛を持って「そういう態度はよくない」と教えてあげるべきなのだろうが、やはり誰もがウンコを投げつけられたくないと思っているので、一定の距離を置いて観察するようになってしまう。こうしてさらに被害は拡大していく。大人の世界は残酷である。
攻撃的な人の末路
で、「ほぼチン」が最終的にどうなるかというと、大抵はさらに強力な「ほぼチン」にこてんぱんにされて、おしまいである。
私が観察している限りでは、みんなが望んでいた結果になることが多い。
そんな光景が繰り返されるのだが、よく不思議に思うことがある。
あれだけ常日頃から、他人を攻撃していた強気な「ほぼチン」が、いざ自分が攻撃されると一瞬で崩れ去ってしまうことだ。「お前、そんなヤワじゃないだろ」と言いたくなる。「自分は言うクセに、言われるのはダメなのか」と。
攻撃的な人の正体
他人を平気で攻撃してしまう「ほぼチン」のタイプをよく観察すると、ある傾向が見えてくる。
「ほぼチン」は被害者になることを極端に恐れているのだ。
「自分のプライドを傷つけられたくない」
「立場を守りたい」
「優秀だと思われたい」
「責任を取りたくない」
「問題を起こしたくない」
こんな思考が常に最優先になっている。言動はすべてこんな思考から発せられている。
なぜそうなってしまうのか。
それは耐えられないからである。
立場を失うことが、バカだと思われることが、失敗してしまうことが、原因だと思われることが、問題を起こしたと思われることが。
そんな弱さを抱えているからこそ、常に他人の上にいるようにする。他人を指摘する側にいるうちは、自分を高い所に避難させておける(ように錯覚できる)からだ。
上司の腕の見せどころ、かな?
だから私は職場で新たな「ほぼチン」が現れるたびに、「あぁ、また防御力が弱い子が来たな」と思うようにしている。たとえ半分野生の「ほぼチン」でも、半分は人間である。傷つくこともあれば、折れることだってあるのだ。本物のチンパンジーはそんなことにはならない。
「ほぼチン」は部下としては可愛くないことの方が多いのが事実。相手にするのは面倒なことが多い。もっと素直な部下を相手にしている方が仕事は楽しい。
しかし上司である私が見限ってしまうと、本当に職場で孤立してしまうので、「仕方ねえなぁ」と思いながらも相手をするように気をつけていたりする。仕事に対してそこまでプロとしての意識はない私だが、いくらかの責任と義務を感じている部分である。
「職場の嫌われ者」に対して、どんなアプローチをするか、というのは上司の覚悟と度量が見えるポイントじゃないだろうか。
以上。