大好きなシリーズの6作目である。
どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。今回は濃厚極まりない森博嗣のエッセイの紹介である。
100の自由な発想
本を読む価値というのは、本を読んでいるその経験、その時間にある。だから、読んで忘れてしまっても良い--。人気作家、森博嗣の視点から見ると、世界はもっと自由で、シンプルだ。大切なぬいぐるみのことから、都会の脆弱性についてまで、驚異的説得力で読者を楽しく翻弄する人気エッセィ・シリーズ第6弾!
12月の一大イベントと言えば、世の中の皆様にとってはクリスマスだろうが、私にとっては違う。待ちに待った森博嗣の“つぶやきシリーズ”が発売される月である。
つぶやきシリーズとは、森博嗣の超優秀頭脳から繰り出される100ヶのエッセイをまとめた本になる。
さすがの森博嗣で、その発想は自由自在にして、考察は切れ味抜群。私のように普段常識を疑うことを知らず、脳みその機能をこれっぽっちも活かしていない人間からすると、煌めきを感じるぐらいに素敵な発想たちである。
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特に強烈な一遍
特定のテーマを決めず、森博嗣が好き勝手に書いているため、とにかく色んな方向に話が飛ぶ。それでも、どんな話題になってもやっぱり書いているのが森博嗣なので、どこかしらには確実に知性を感じさせるものがある。遥かな“高み”から見下しているような印象を受ける。きっと頭が良いってこういうことなんだろうなぁ。
で、どれも面白いエッセイなのだが、特にお気に入りの一遍があるので、ちょっとだけ中身を紹介したい。
33.「不思議な人は、春に現れる」より
ファンに刺されたアイドルや殺された作家がニュースになった。殺してやるといったメッセージを受け取ることは、おそらくスターならば日常茶飯事なのだろう。僕の場合は、これほど強烈な経験はないけれど、返事をくれなければ自殺しますくらいのメールなら来る。僕は、こういったものを無視できる人間なので、大事になっていない(自殺したかもしれないが、そんな知らせを受けたことはないし、たとえ受けても、責任を感じたりしない程度の信念は持っている)
※赤字、強調は私による加工。
どうよ、この潔さ。
ファンの命を懸けた(言ってるだけかもしれないが)愛情も、森博嗣には何の影響も与えないのだ。しかも、もし自殺したとしても気にしないと言い切る。
ファンの狂気もなかなかだが、この一文には森博嗣の狂気を感じてならない。
泰然自若という言葉があるが、森博嗣はまさにだろう。ここまで揺らがない男も珍しい。見習いたいものである。
今回は執筆方法が違う
これまでの“つぶやきシリーズ”を未読の方にはまったく興味のない話になるのだが、今回の『つぶさにミルフィーユ』は、今までは違う執筆方法が採られている。
今まではエッセイのネタを森博嗣が半年間かけて集めていた。日々思いついたことをメモしておき、100ヶ溜まった時点で本文を1週間ほどでまとめて書いていた。
しかし今回は執筆とネタ決めの両方を同時に行なっている。
それが原因かどうか分からないが、今までよりも似たテーマで連続で書かれているパターンが多い。ネタを思いつくのに苦労したのかもしれない。というか、本文中で森博嗣が自身が「次は何を書こうか」と考える時間が発生した、と述懐している。
まあそれでもクオリティは相変わらずだし、むしろネタに困ったからこそ、上記のような強烈な話題が出てきたのかもしれない。
あとがきが秀逸
“つぶやきシリーズ”に限らず、森博嗣は作品のあとがき(解説)を意外な人にすることが多い。過去には『HUNTER✕HUNTER』の冨樫義博や、“ももち”こと嗣永桃子氏が書いたこともあるし、マジックをテーマに使った作品ではプリンセス・テンコーが登場したこともあった。
ということで、あとがきにさえも作品の売上に貢献するように工夫を凝らしている森博嗣だが、今回は友人の吉本ばなな氏が担当している。
これを見たとき、最初私は「それじゃあ意味がないじゃないか」と思った。
異ジャンルの人間にあとがきを書かせることで、普段森博嗣の作品を手に取らないような人を惹き付けるようにしていたはずなのに、作家でしかも友人の吉本ばなな氏を起用してしまったら、セールス的に意味がないのではないか。私はそう考えた。
しかしながら、彼女のあとがき(のふりをした小説)を読んですぐに考えは変わった。
これはいい。
というか、これじゃないと嫌だ。
詳しくは読んで確かめて貰いたいが、このあとがきによって、次回の“つぶやきシリーズ”を購入するキッカケが生まれるのは間違いないだろう。まさかこう来るとは…。
森博嗣が発案したのかどうか知らないが、ズルい手である。早く来年になってほしい。
以上。
“つぶやきシリーズ”の既刊作品は以下の通り。どれもこれも最高なので超オススメする。