思い通りに生きる私たち
実は私たちは毎日、思い通りに生きていることをご存知だろうか。
別に宗教的な話をするつもりはない。
みんな自分がやりたいと思うことをやっている。生活のすべてが自分の選択の結果である。
だが世の中には「思い通りに行かない」と嘆く人が多い。それは単なる勘違いか、自分が何をやっているのか分かっていないだけだろう。あなたは自分で思った通りに間違いなく生きている。
スポンサーリンク
やりたいこととなりたいこと
例えばダイエットをしなきゃならないと思っているのに、ついつい間食してしまったり、運動をサボったりしてしまう。ブヨブヨを維持する。「思い通りにならないもんだ…」と贅肉をつまんだりする。
それは「間食したい」「運動をサボりたい」と思った通りになっただけである。
例えばやりたくもない仕事をしに毎日に会社に行ったりする。社畜だと自嘲して慰めたりする。
それは「今の仕事を失いたくない」「体裁を大事にしたい」と思った通りになっただけである。そして精神的な自慰をしているだけである。
何を求めているか?
偉そうに書いているが、私も同じようなものである。頼りにされてはいるが、毎日毎日、きつい仕事にうんざりしながら暮らしている。「もう頼りにされたくない」と嘆いている。
しかしそんな私も「家族のために働きたい」「お金を稼ぐためには仕事にいくのが一番だ」と思っているからこそ、死んだような顔をしながらも、ZQNのように毎日出社している。
きっと、思い通りにならないのではなく、自分が何を求めているのかが分かっていないだけなのだ。起こっていることは確実に自分が思っていた通りのはずだ。ただ単に違う側面を見ているだけなのだろう。
スポンサーリンク
何かになりたい人たち
思った通りの「状態」を求める人も多い。
今の自分とは違う「何か」になりたいと思っている人の場合、自分とは違うものになりたいと思っているのだから、それはもう毎日毎日苦しいだろう。だって、違うんだから。
例えば私が「ドラえもんが欲しい!」と思っていたとしよう。だがそれは永遠に叶わない願いだ。もしくは自分で作るしかない。それか誰かが作ってくれるのを待つしかない。
自らで作ろうとする分にはまだ楽しめるかもしれない。自分が行動した前向きな結果を得られるからだ。
しかし、ただ単に思っているだけだったり、待っているだけだと「今日もダメでした」という結果を得るだけである。これは苦しい。みんなが「思い通りにならない」と嘆きたくなるもの当たり前だろう。まだ「ドラえもん」なら行動しようがあるが、「キリンになりたい」とかだったらどうするべきなのだろうか。まあよく分からないが、それぐらい「願い」というのは無責任なものだと言えるだろう。
何をするかだけに注力しよう
このように考えてみると、よく分かると思う。
私たちが思うべきこと、考えるべきことというのは、「状態」ではなく、「行動」なのだと。
状態ばかりを思い描き、脳みそのエネルギーを妄想に費やすのはあまりにも勿体無いし、願いはこちらに近づいてこない。むしろ遠ざかるかもしれない。しかも物凄い勢いで。
実際は思い通りになっているのだが、勘違いしてしまい「思い通りにならない」と苦しんでいる人はたくさんいる。
だからもしあなたが「思い通りにならない」と苦しんでいるのであれば、解決方法はひとつである。
つまり、「思い通りじゃないことをする」。これである。
やりたくないことをやる。辛いことをする。それがあなたを「思い通りのあなた」にする方法だろう。
だって、思い通りに生きいているにも関わらず、幸福を感じられないのだから。
以上。