どうも。
少々、悪態にお付き合いいただく。
どこの職場でもあるあるだと思うが、「他部署と仲が悪くなる」という現象が見られる。
みんな一緒
私の職場にはひとつの建物の中に20を超える部署があるのだが、それはもう年中憎み合っている。
また同じ部署であっても日勤と夜勤でも仲が悪かったりするし、なんなら同じ部署内でも違う仕事をしている人と仲が悪かったりするから、そもそも職場というのは喧嘩をするためにある場所なのかもしれない。
なんてことを考えてしまっても仕方ないぐらい人は平気で憎み合う。
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文句を言ってしまうという習性
私は職場の長ということもあり、そういった「職場内の毒」に敏感である。みんながどんなことに不満を持っているのかを把握することは、職場の問題点に気づくことでもある。
だが、長らく部下を持つ立場で仕事をしているが、どこの部署に移動しても、どれだけ問題点を解決しても、他部署の仕事への文句は無くならない。
他部署や他人の仕事に文句を言いたくなってしまうのは、どうやら問題というよりも、人間の習性なんじゃないかと思うようになった。
迷惑は可視化される
そもそも文句の大半が相手の立場を分かりもしないで勝手に語っているだけだ。
基本的に自分以外の仕事というのは見えにくい。その辛さや忙しさというのは余程の想像力や理解力がある人じゃなければ把握できないと思う。
しかし、他人や他部署のミスや不備などの自分に降りかかる“迷惑”は非常に見えやすく感じやすい。可視化される。
この辺りが「バカは他部署や他人の仕事に文句を言う」という現象に繋がっているのだろう。
文句を言う人はバカ
ああ、そういえば書いていなかったが、私は他部署や他人に安易に文句を言う人間はバカだと判断している。
それだけの想像力や理解力がないこともそうだが、そもそも人前で誰かを貶める行為自体が愚かなのにも関わらず、それに気付いていないからだ。
誰かを批判して好かれる人なんていない。
それは誰でも分かることのはずなのに、自分だけは被害者の仮面を被って除外してしまう。
曰く「迷惑をかけられた」「私、可哀想」。非常に醜い。
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他部署に文句を言う人に言いたい
他部署や他人の仕事に文句を言ってしまう人に言いたいのだが、あなたは本当に醜い。
なぜ醜いのかを教えてあげたいと思う。
仕事というのはリレーだ。バトンを繋ぎ、ゴールまで辿り着かせることが目的である。
さて、このリレーで一番失敗が起こりやすいのはどこだろうか?
考えるまでもないが勿論受け渡しの瞬間である。このときに色んな問題が一気に発生する。渡すタイミング、スピード、位置、力加減などなど…。
きっと皆さんも一度は見たことがあるだろう。バトンの受け渡しに失敗し、落下させてしまう場面を。これが仕事で言うところのミスであり、不備だったりするのだ。文句を言う人の原動力になる栄養である。大好物である。
他部署や他人の仕事に文句を言うという行為は、つまり「バトンを落とした人を非難」することと何ら変わりないのだ。
運動会が終わったあとの帰りの会で、「あの子がバトンを落としたせいで…」なんて非難する奴は、間違いなくフィクションの世界であらば悪役である。当然、醜く描かれている。
そんな醜いキャラクターをご自分が演じていらっしゃるのをご理解いただけたでしょうか?
と言いたい。
気付くことは成長
自分の醜さに気付くのは非常に大事なことである。
私は先程、醜さに気付かない人を“バカ”だと断定したが、もし気付くことができたのであれば、その瞬間その人はバカではなくなる。これを成長と呼ぶ。人が持つ数少ない美点だ。
この記事で自分の醜さに気付ける人がひとりでも世の中に増えてくれることを願うばかりである。
また、あなたの周りに他部署や他人の仕事に文句ばかりを言っている人がいるのであれば、それを鏡だと思って気をつけてもらいたい。
聞いた話なのだが、人は鏡がある場所では途端に、他人を罵倒したり非難したりするような汚い言葉を使わなくなるそうだ。自分の汚れた姿というのは誰もが見たくないという証拠であろう。
文句や不満を垂れ流すのはウンコを垂れ流しているのと一緒である。汚いものはこっそり、人が見ていない所で、が社会生活の基本である。
という他人への文句であった。お付き合い頂き感謝する。
人前でウンコを漏らすのであれば、せめて節度や礼儀は持ってもらいたいものだ。
「ちょっと漏らさせていただいてもよろしいでしょか?」ぐらいの遜りは必要だろう。
以上。
同じ文句なら殺し文句を。
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