どうも。
いざ繁忙期
私はお菓子業界に勤めていて、11月から12月の終わりまでは一年分の業務を凝縮したかのような忙しさになる。
正直、死にたくなることもよくある。ありがたい話である。難が有るから“有り難い”とか言い出したやつ出てこい。殴ってやる。難を与えてやるよ。
そんな忙しい最中、私の僅かな心の支えは「部下」と「上司」。これに尽きる。
仲間たちがいるからこそ心を保っていられる。横に同じように苦しんで耐えている人がいる、という事実だけで人は強くなれるものなのだ。
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部下が力になってくれる
このブログでは繰り返し書いているが、私には100人を超える部下がいる。
普段は「使えねえ奴らばっかだな」とか思っているが、こうやって繁忙期を迎えると、正直これほど頼りになる仲間はいない。
上司も頼りになるのは間違いないのだが、細かな実際の業務となると、やはり現場に近い人間の方が頼りになるのが事実。
私が忙しさのあまりに抜けていたり、手が回らない部分があると自然とフォローしてくれている。そんなときは「いつもバカにしててごめんね」と心の中でこっそり謝る日々である。いやもちろん口では「ありがとう」って言うよ。さすがに。
だからこそ頑張れる
そんなふうに力になってくれるからこそ、私はみんなよりも頑張らなければと思うし、みんなが少しでも苦労せずに仕事ができるように頭を働かせ、身体を動かそうと思う。そのために休憩の時間がなくなろうが、休日が減ろうが、それは構わなくなったりする。
「みんなのために」の方がはるかに重要なのだ。
悪口を発見する
だがそんな私に悲劇が降り掛かった。つい昨日の話だ。
職場には社員同士で連絡漏れがないようにするための連絡ノートが存在する。その日に起こったことや、忘れないでほしい予定などなど、書くことはさまざまである。
業務終了後、ふとある連絡ノートを開いてみるとそこには私への悪口がボロクソに書いてあった。
正直ブログでの悪口や批判は「読んでくれて嬉しい!」ぐらいに受け取れる私だが、部下からの批判、しかも見えない所での批判は心にかなり来た。ありがたい話…って全然ありがたくねえよ!
彼らの不満は「あいつは忙しさにかまけて仕事の抜けが多すぎる。勝手に何でも決めすぎる。もうフォローするのは止めよう。ついでのあの仕事もあの仕事も止めよう。元々はあいつがやるべき仕事だ」というもの。
私が元々恐ろしく忘れっぽいこともあり、連絡漏れや仕事の抜けは日常茶飯事なので、それは認めるしかない部分だ。だがそれでも…、一緒にやるのが職場なんじゃないのか…?
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信頼と甘えの違い…なんてあるのか?
私は心底分からなくなった。
余裕があれば色んな面で部下をフォローできる。管理できる。
だが今の時期はとてもじゃないが手が回らない。みんなが必死で食らいついてやっと日々をこなせている状況だ。
だからこそ私は「みんな頼む!」と思いながら仕事をしてきたし、みんなよりも自分を犠牲にできた。
卑怯な言い方かもしれないが「信頼」したのだ。部下を。この辛い状況でも我慢してくれると。
でもどうやら彼らからしたそれは「甘え」だったようだ。自分でやらなければならない仕事をしていない甘えた奴だったようだ。
私は「信頼」しているつもりだったが、実は「甘え」だったのだろうか?
そもそもこの2つにはどんな違いがあるというのか?後者の方が身勝手さを感じさせるが、でも現象的には何も変わらないじゃないだろうか?
そういえば最近読んだ『産後クライシス 』という本で書いてあったのだが、結婚した途端に旦那が奥さんを理解しようとしなくなる傾向があり、産後の育児に追われる2年間が一番離婚率が高くなるそうだ。「こっちの気持ちを全然分かってくれない」と。
これも旦那が「結婚したし、奥さんに気を使わなくても大丈夫でしょ」という信頼とも甘えともつかない考えが影響していると思う。
似たようなことを私はしたのだろうか?
私には分からない。
今はただただ虚しさに襲われている。
以上。