つくづく思う。
ネットを見ても、テレビを見ても、どこもかしこも他人をバカにする笑いに溢れている。
オタク、努力している人、夢を追いかけている人、一人で戦ってる人。
夢中になっている空気を感じ取ると途端にバカにし始める。悪意を持って笑いにする人(完全に見下している)もいれば、自然と笑っている人もいる。
「信者w」というような言葉をよく見かける。
「踊らされてるw」とバカにする。
信者だと何がいけないのだろうか。踊らされていると何がいけないのだろうか。
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自分の頭で考えていないのがいけない、と言いたいのかもしれない。
だけど「信者w」「踊らされてるw」という言葉には、とても自分の頭で考えてモノを言う人に現れる知性は感じられない。むしろ何も考えずに発している言葉に見える。よっぽど「踊っている」発言である。
どれだけ偉い人なのか知らんが、きっと大した事のない人なのだろう。どんだけ偉そうに相手をバカにした所で偉くはなれない。
そもそも本当に偉い人は偉そうになんてしない。だってすでに偉いのだから。
偉そうにしている時点で「私は誰からも必要とされていません」と言っているようなものである。と偉そうに言ってみる。
みんなツッコミが好きなのかもしれない。ツッコんでいるときは優越感を持てる。他人を小馬鹿にすることで、大したことのない自分を相対的に格上げすることができる。その行ないがそもそもバカみたいなのだが、きっと本人はそれで幸せなのだろう。私は他人の幸せを否定はしない。バカにはするけど。
結果を出している人が熱中していると途端に「まだ情熱を持ち続けてるなんて…!」と賞賛する。イチローとかがそうだ。
翻って、結果を(まだ)出していない人が夢中になっていると、「信者w」「踊らされてるw」「バカ」「気持ち悪い」である。
バカを血祭りに上げないと気がすまないのだろうか。バカにすることが世直しのつもりなのだろうか。
夢中になっている人の邪魔をしないで欲しい。
もしその人が失敗をしたとしてもバカにしないで欲しい。
チャレンジせずに成功はできないことぐらい知っているだろう?
偉人が幼い頃にバカにされてきたエピソードなんて腐るほど聞いてきたはずなのに、なぜ自分からそちら側に寄せてしまうのだろうか。漫画だったら完全に悪役だけど、それでいいのだろうか?物語は悪役がいないと成り立たないけど、現実世界は別にわざわざ悪役を買って出る必要はないのだが、何か勘違いしていないだろうか。この世界を壮大な劇だとか思っていないだろうか?
夢中になれるというのは、運も才能も必要なことだ。
夢中になった人が生み出したものは世の中にたくさんある。
世の中の役に立てないのであれば、せめて大人しくしていて欲しい。
私もそうするから。
以上。
ネットのバカ (新潮新書) | ||||
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まあ、中にはバカにされて喜ぶ人もいるけどね。