非常に残酷な記事ではあります。
しかし私のように、半端な考えしか持たず雰囲気に流されるだけの意見しか持ち合わせない人間にはとても有用な記事だと思います。
記事はこちら ⇒ 『何度でも言う。地域の絆と犯罪にはなんの関係もない』
○この記事で批判しているのは私
この記事を読んで初めて知った方なのですが、まさに「圧巻」の一言です。
私達が物事の中心だと考え、しかし漠然と使っていた「絆」というものの概念を真正面からぶっ壊してきます。
皆さんの中にも記事を読んでいて耳が痛い部分があったのではないでしょうか?
もちろん、私も自分を恥じてしまいました。
だって同じことを考えてましたもん。「こんな凄惨な事件、周囲の大人がちょっと声を掛ければ防げたはずなのに…」と。
まさに典型的な「絆人間」だったようです。悲しい…。
○人間は確率を感じられない
これは以前、何かの本で読んだのですが、人間というのは確率を体感することが出来ないんだそうです。
脳みそはどんなにあがいても過去の経験に取り憑かれており、何かショッキングな出来事があるとすぐに自分の身の回りにも同じことが起こるのではないかと考えてしまいます。
それはショックの度合いが強ければ強いほど、脳が恐怖を感じる為でこれが私達の確率よりも”妄想”を優先させてしまうのです。
考えて見れば、ギャンブルにしたってそうです。確率で考えられる脳みそがあればほとんどの人がやらないでしょう。
ネットでは有名なモンティーホール問題なんかもそうですね。確率に関しては、人の直感は全くアテにならないのです。
○それは妄想じゃありませんか?
今回の寝屋川市の事件は非常に痛ましく、到底理解できないものです。 犯人のやったことは残酷極まりません。
私にも子供が二人いるので正直、気が気じゃなくなったときもありました。子供にも魔の手が忍び寄るんじゃないかという妄想に取り憑かれてしまったんです。
この時の私はいかに子供たちを周囲の人間から遠ざけられるかばかりを考えていました。だってどこに悪意を持った人間がいるか分かったものじゃないですからね。
そんなことは不可能なんだとこの記事を読んで気づきました。
妄想に取り憑かれたまま、本気で子供を毎日監視するように送り迎えやら、門限などで縛りつける人もいるでしょう。そうした方々を否定するつもりはありません。
しかし、今の私からすればそれは「交通事故に遭うのが怖いから、一生外に出ない」と言っているのと同じです。
非常に愚かだし、子供の”機会”を奪うというのは、それはそれで残酷な人間です。
私も学生時代に親に縛り付けられて嫌な思いをしたクチなのでよく分かります。
○何を伝えるか
これは2ちゃんねるの元管理人のひろゆきが、ネットの犯罪について語ったときの言葉です。
”僕は子どもができたときには『2ちゃんねるを見せない』というフィルタリングをするのではなく、『2ちゃんねるを見せても大丈夫な教育』をしたいと思ってます”
至言です。
子供を信頼できれば、もう少し違う対応も出来るのではないでしょうか?
この記事の著者パオロ・マッツァリーノ氏の近著もなかなか刺激的な内容がずらりです。ぜひお手に取ってみて下さい。
「昔はよかった」病 (新潮新書) | ||||
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