「火花」が売れている。209万部を突破したそうで。
そんな折、この記事を読んだ。 買収後売り上げが激増 プロレス人気再燃を新日オーナー語る
記事の中のにある木谷高明社長の言葉が印象的だった。
「すべてのジャンルはマニアが潰す」
噂によると「火花」を酷評する人達の声が止まないらしい。詳しい批判の内容は知らないが、芸人の書く本なんて、という先入観も手伝っているのかもしれないし、本当に「火花」は稚拙なのかもしれない。
実の所、私は「火花」をまだ読んでいない。あまり純文学に興味がないというのもあるが、まだいいかな、と思っている。時間に耐えられる価値を持った作品なのかを判断する為には、手を付けずに待つのが一番なのだ。
これだけ売れれば多数のニワカが中古販売書店に売りに出すだろう。三年もすれば100円コーナーに並んでいるのは間違いない。
ブームの後には特有の寂しさがある。取り残された感がある。騒ぐだけ騒いでいなくなってしまう群衆。まるで花火大会の後に街がゴミだらけになる現象と非常に似ている。ブームゆえに生み出される”ゴミ”。
マニアがニワカを嫌う理由はそこにあると思う。マニアはこれからもその世界で生きていく。さっきの花火大会の例で言えば街の住人だ。
刹那的にやってくるニワカ達に汚される街。ゴミの後片付けや尻拭いをするのはマニアのやることだ。衰退していく様子を見ることだって尻拭いのようなものだ。
こうした変化はブームやニワカがやってこなければ起きない。当然マニアはそのジャンルを愛しているのだから(愛の定義はよく分かりませんが)ニッチだろうがポピュラーだろうが「今」の時点で満足している。そこへ押し寄せてくるブームという嵐。変化を強制され、蜜月の時を邪魔されるマニア。ニワカを嫌うのも当然ではないだろうか?
私は本が好きだ。とても好きだ。本がなければ今の私はいないし、これからも本を必要として生きていく。
又吉さんの「火花」が売れてこの業界にお金がたくさん流れて、また新しい物語の紡ぎ手に出版社が投資をしてくれるのであれば私には望外の喜びである。
だから私は「火花」が売れることは非常に歓迎している。これをきっかけに本を好きになる人も出てくるだろう。今の時点で209万部売れてるのだから、その内の2万人ぐらいは継続して小説という分野に興味を持って貰えると思う。かくいう私自身、読書のきっかけは松本人志の「遺書」だ。入り口が何であれ新規客の獲得は必須である。新規客を取り込めないのであれば衰退するのみだ。小説ではAKB商法のように客単価を上げる手段は使えないだろう。
以前にも似たようなケースがあった。水島ヒロの「KAGEROU」だ。あれは確かポプラ社小説大賞とかそんな名前の賞を受賞していたと思う。
本人の知名度も相まって即座にコンビニの店頭に並ぶほどのブームが起きた。起こされたのかもしれない。
本の帯に書かれている発行部数が増える度に私は嫌悪感を募らせていた。「バカな奴らがバカな本を買いやがって」
この時の私は完全にたちの悪いマニアの対応をした。
本好きで知られていた私に周囲の人が聞いてくることが度々あった。「もう読んだんですか?」
その度に私は「俺は買わない。だけど批判はしない。その代わりに無視する」と批判をしていた。
当時の私の頭には敬愛する小説家達の顔が浮かんでいた。もっと努力して、もっといい物語を書いている人がいるっていうのに芸能人がサッと書いた小説の方が評価されてたまるか、と怒り心頭だった。勝手に小説界の守護神を気取っていたのだろう。今でこそ冷静に分析できている。しかし恐ろしいことに、正直この気持はまだ拭えていないのも事実だ。
批判をするにも私は水島ヒロのことを知らなすぎたし、そもそも読んでもいない「KAGEROU」を評価することはできない。ここは今でも私の反省するとこであるし、残念なことに今でも「KAGEROU」は読む気にならない。私がいかに成長していないかがよく分かる。
又吉さんのことはテレビで観ていて勝手に好きになっていた。彼には自分達マニアと同じ匂いがした。街の住人だと感じた。小説への愛を感じ取ってしまった。そしてこれは日本中の多くの方達が共感してくれる部分だと思う。
先の水島ヒロの一件との大きな違いだ。ジャンルや作品への愛が伝わっているかどうかが鍵なのだ。もしかしたら水島ヒロも小説への愛情があったのかもしれないが、当時の私には全く届いていなかった。書店に週3以上通う私に伝わらないようでは大した発信はしていなかったのだろう。
どんなコンテンツで人目を惹くか。それは世の中を動かす人達の仕事の領域だ。いちマニアの私には何の影響も及ぼせない世界だ。
繰り返しになってしまうが「火花」を読んでいない私には、この作品が芥川賞の価値が本当にあったのか、それともただの広告塔だったのかは分からない。まあ読んだところでも分からないだろうけど。
文芸賞というのは作品や著者に送られるものである。
しかし今回の「火花」に送られた芥川賞は、何よりも日本の小説界に恵みをもたらしたと思う。
真相がどうであれ、今回こうして大量のお金が出版界に流れ込んできた。
「火花」の成功体験を追うのではなく、このお金を次への肥やしにしてもらいたいのが私の率直な思いであるし、願いだ。
きっと良質な物語が、今もどこかで芽が出るのを待っている。
以上。
ひろたつのほしい物リストはこちら。