どうも。推理小説大好きブロガーひろたつです。叙述トリックで驚いていた頃が懐かしい。
さて、今回は日本のミステリー界において、燦然と輝く巨星を紹介しよう。
同業者を震え上がらせた
彼の名は連城三紀彦。
知る人ぞ知る日本ミステリー界きっての天才である。
そのあまりの才能ゆえに同業者であるミステリー小説作家からは、畏敬の念、いや畏怖に近い感情で崇められている。
『銀河英雄伝説』などの著作で知られる田中芳樹は、連城作品を読んで「こんな作家がいるんじゃ、とてもミステリーは書けない」と思ったそうだ。そんなような逸話がそこら中に転がっている。
同業者から恐れられる男。それが連城三紀彦なのだ。
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短編の魔術師
連城三紀彦の代名詞といえばやはり“短編”である。2ちゃんなどで「面白いミステリーの短編は?」と聞けば、9割は連城の作品名が挙がると思う。
それくらい優秀な短編をいくつも生み出している。
もちろん長編でも連城特有の酩酊感や、特濃の人物描写といった良さは味わえるのだが、やはり出色は短編である。彼の短編を読めばすぐに、なぜ同業者から恐れられているのかを理解してもらえると思う。
ミステリーにおいて短編は、「いかに効率よく読者を欺くか?」が問われる。
まずページ数が少ないので、提示する情報に限りがある。長編ならばできるような目くらましがほとんどできなくなる。手際よく書き上げなければならない。
そしてアイデアの質である。中途半端なアイデアでは、とても短いページ数で読者を満足させることはできない。
この「手際」と「アイデア」において、連城作品は他の作家の追随を許さない。
読者をしっかりと物語世界に引き込み、その上で鮮やかに欺くのだ。
ミステリーにこれ以上望むものがあるだろうか?
ミステリーに足りないもの
連城三紀彦を語る上でもうひとつ大事な要素があるので、その話をしたい。
ミステリーでよく言われる問題点がある。
「人物が描けていない」
というやつだ。
これは主に読者に原因があると思っている。
読者は結局のところ、気持ちよく騙されたり極上の論理を見られればいいだけで、そこに人物描写といった“文学表現”を求めていない。求めていないというのは言い過ぎかもしれないが、二の次になっているのは間違いない。
で、客がこんなんだから作家側も当然人物描写を適当にする。トリックや論理に心血を注ぎ、片手間でキャラクターを動かす。以前、何かの番組で綾辻行人が言っていたことがあるのだが、ミステリーという作品を如実に表していると思う。
「ミステリーにおいてキャラクターの命なんて、ゴミみたいなもんですよ」
登場人物がまったく区別できないのにも関わらず『十角館の殺人』は後世に残る名作だし、どれだけ物語がつまらなくても『イニシエーション・ラブ』の功績は大きい。
だがこれらの、トリック至上主義、論理至上主義によってミステリー小説というものは非常に閉鎖的なものになったし、メジャーな文学賞とは無縁の存在になってしまったのだ。
「ミステリー小説とは、文学作品ではなく、よくできた数式である」
なんてことを言われるようになったわけだ。
連城ドラマ
さて、連城三紀彦に話を戻そう。
連城三紀彦はこの「人物が描けていない問題」をクリアした稀有なミステリー作家なのだ。
いや、この表現はいささか正確ではないだろう。
彼は濃密な人物描写を得意とする作家で、その筆は独特な作品世界を構築する。いわば「連城ドラマ」とでも言うべき、他では味わえない類の作品を創り出してしまう。それこそが連城三紀彦という作家性である。
そこに“たまたま”、どんでん返しを考える才能が付随していた、というだけなのだろう。
連城三紀彦は人間の悲哀や情念をこれでもかっ、と書き上げながら、最後の飾り付けとしてミステリー的装飾をしているに過ぎないのかもしれない。
現に彼は『恋文』で直木賞を受賞している。これも上質な文学作品であると同時に、極上のミステリーでもある作品なのだ。
オススメ作品を紹介!
さて、これからそんな化物である連城三紀彦の作品の中でも特に「なんじゃこりゃあ!」となる作品を紹介したいと思う。
偉大な作家の作品を選別するなんて、いちファンとしては非常に心苦しい限りだが、この機会に少しでも連城三紀彦という作家を知ってもらうためだと、苦渋の決断をさせていただいた。
基本的には彼の持ち味であるミステリー作品を多く紹介しているが、中にはそうでないものも含まれている。そのどちらもがあるからこそ楽しめると思っているので、変に気構えずに物語に素直に身を預けてほしいと思う。
また、彼の作品の性質上、ネタバレの危険性が非常に高いので、紹介文は私としては珍しくかなりあっさりめにしてある。その点もご了承いただきたい。
では行ってみよう。
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夜よ鼠たちのために
意外な結末が胸を打つ、サスペンス・ミステリーの傑作短篇集。
世田谷の某病院にかかってきた脅迫電話で呼び出された医師とその娘婿が、白衣を着せられ、首には針金が巻きつけられた奇妙な姿で遺体となって見つかった。
妻の復讐のため、次々と殺人を犯す男の脳裏には、いつも一匹の鼠がいた……。
深い情念と、超絶技巧。意外な結末が胸を打つ、サスペンス・ミステリーの傑作全9編を収録した短編集。
連城マジックの入門編として最適なのがこちら。『夜よ鼠たちのために』である。珠玉の短編集とはこの作品のためにあるような言葉。
刊行からすでに30年以上経ってから復刻とは、連城人気の根強さを感じさせるじゃないか。
白光
なぜ人は人を殺してしまうのか? これほどまでに人間とは罪深いものなのか? 失われた幼い命、二転三転する真相。家族の交錯する思惑と悪意が招いた「救いなき物語」。
こちらは連城三紀彦の技がよく現れた作品。
私が上で書いた「連城ドラマ」を体現し、そしてそこにミステリーという装飾を鮮やかに施してある。
この作品の謎は人間の心の中にある。
夕萩心中
時は明治末期。政府重鎮の妻君・但馬夕とその家の書生・御萩慎之介との情死事件は起きた。現世では成就できない愛を来世に託した二人の行為を、世人は「夕萩心中」ともて囃したが、その裏には驚くべき真実が隠されていた…。
連城三紀彦には「花葬」と呼ばれるシリーズ作品が存在する。花葬シリーズは、そのミステリー的完成度と文学的美しさを高いレベルで兼ね備えていることから、連城三紀彦の代表作として認知されることが多い。
こちらの『夕萩心中』では、花葬シリーズの中から3編が収録されている。
美しさに魅了される間に、あなたは巧みな連城マジックで欺かれることだろう。
恋文
マニキュアで描いた花吹雪を窓ガラスに残し、部屋を出ていった歳下の夫。それをきっかけに、しっかり者の妻に、初めて心を許せる女友達が出来たがー。
都会の片隅に暮す、大人の男女の様々な“愛のかたち”を描く五篇。直木賞受賞。
推理小説作家が直木賞を受賞するという快挙を成し遂げた作品。
切なく、悲しく、爽やかで、ときに苦い。そんな恋愛小説でありながら、鮮やかな結末を用意する辺り、連城三紀彦の悪魔的頭脳の恐ろしさが垣間見える。
一体、どうなってんだこの人の頭は。
私という名の変奏曲
美容整形手術により完璧な美貌を手に入れ、世界的ファッションモデルとして活躍中の美織レイ子が死んだ。レイ子を殺す動機を持っている7人の男女は、全員が「美織レイ子を殺したのは自分だ」と信じていた!?ミステリー史上出色のヒロインをめぐる愛憎劇を超絶技巧で描き切った、連城ミステリーの最高峰!
ミステリー愛好家の中では連城三紀彦の長編作品の中でも最高傑作との呼び声高い『私という名の変奏曲』である。
なによりも注目してもらいたいのは、提示されている強烈な謎である。凄すぎて逆にアホみたいである。
連城マジックのレベル的には確実に最高峰なので、思う存分踊らされてほしい。
宵待草夜情
大正九年の東京。祭りの夜に、カフェ「入船亭」の女給・照代が殺された。
着物を血に染めて店を出てきたのは、同じ店で働く鈴子。鈴子の恋人・古宮は、彼女が殺したのかと考えるが──。
はかない男女の哀歓を描き、驚きの結末を迎える表題作ほか五篇。
この短編集も素晴らしい。質の良い作品ばかりでまるでベストアルバムでも聴いているかのようである。というか、連城の短編集はどれもそんな感じなのだが。
内容とは関係ないが(いや、あるか)解説者が泡坂妻夫というのもミステリー好きとしては、堪らない要素である。稀代のトリックメイカーがこの天才の作品をどう評価したかご覧あれ。
造花の蜜
歯科医の夫と離婚をし、実家に戻った香奈子は、その日息子の圭太を連れ、スーパーに出かけた。偶然再会した知人との話に気をとられ、圭太の姿を見失った香奈子は、咄嗟に“誘拐”の二文字を連想する。息子は無事に発見され安堵したのも束の間、後に息子から本当に誘拐されそうになった事実を聞かされる。―なんと犯人は「お父さん」を名乗ったというのだ。そして、平穏な日々が続いたひと月後、前代未聞の誘拐事件の幕が開く。
推理小説作家は、それぞれに得意分野が存在する。本作『造花の蜜』で扱われているのは“誘拐”。
誘拐といえば“人さらいの岡嶋”の異名を取る岡嶋二人が有名で、実際彼ら(岡嶋二人は、井上夢人、徳山諄一によるコンビのペンネーム)の誘拐作品は、読者の意表を突くものばかりである。誘拐の手法は岡嶋によってほとんど食い尽くされたと言ってもいいだろう。
しかし天才連城が筆を取れば、誘拐小説にまた新たな地平が現れてしまった。
全方位型推理小説作家。それが連城三紀彦である。
暗色コメディ
もう一人の自分を目撃してしまった主婦。自分を轢き殺したはずのトラックが消滅した画家。妻に、あんたは一週間前に死んだと告げられた葬儀屋。知らぬ間に妻が別人にすり替わっていた外科医。四つの狂気が織りなす幻想のタペストリーから、やがて浮かび上がる真犯人の狡知。本格ミステリの最高傑作。
上の紹介文を読んだだけでもう頭がクラクラしてきそうである。
何を隠そう、この『暗色コメディ』は連城三紀彦の記念すべき処女作品なのだ。
キャリアを重ねるごとに洗練されていった連城三紀彦だが、このときは非常に若く、それゆえにアイデアのすべて詰め込みに詰め込みまくっている。エネルギーに溢れまくっている印象を受ける。
今までに相当数の推理小説を読んできた私だが、『暗色コメディ』ほど脳みそが振り回された作品は無かった。それくらいの怪作である。
顔のない肖像画
美術品をめぐる人間心理の綾を描く表題作をはじめ、緻密な構成と巧妙な筆致で男女の微妙に揺れ動く感情を綴る短編7編を収録。
これも強烈な短篇集である。というかさっきから同じようなことしか書いていない気がするが大丈夫だろうか。
なにせ連城三紀彦の短編は本当にどれもこれも半端ではないのだ。本を紹介するブロガーがこんな表現を使うのは申し訳ないが、「とにかくヤバイ」。それに尽きると思う。連城の凄さを言葉で表現できるほど私は有能ではないのだ。
戻り川心中
大正歌壇の寵児・苑田岳葉。二度の心中未遂事件で、二人の女を死に迫いやり、その情死行を歌に遺して自害した天才歌人。岳葉が真に愛したのは?女たちを死なせてまで彼が求めたものとは?歌に秘められた男の野望と道連れにされる女の哀れを描く表題作は、日本推理作家協会賞受賞の不朽の名作。耽美と詩情―ミステリ史上に輝く、花にまつわる傑作五編。
さあ最後はもちろんこちら『戻り川心中』である。この作品以外にトリを飾れるものはないだろう。
連城氏の代名詞である「花葬シリーズ」だけを収録した、連城三紀彦の紛れもない最高傑作である。その味わいはさまざま。極上、濃厚、沈美、驚愕、酩酊…などなど形容する言葉がいくらでも出てきそうな作品である。
推理小説とかそういうことよりも、“作品”としての完成度に酔いしれてほしい。
天才よ、永遠に
あまり安易に天才という言葉を使いたくはないが、それ以外に連城三紀彦という化物を形容する言葉が見当たらない。明らかに我々とは脳の構造が違うのだ。普通ではない。
そんな天才だが、 2013年10月19日に65歳という若さで亡くなっている。
彼の新たな魔術的作品を楽しむことはもうできなくなってしまった。
しかしながら、連城三紀彦の影響を公言する作家は多く、彼の生み出した作品たちはまた新たな才能に火を付ける役割も果たしてくれているのかもしれない。
ミステリー界に燦然と輝く偉大な作家、連城三紀彦。
彼の作品は今も確かに多くの人の心を捉えて離さない。
もしかしたら、それが連城三紀彦最大のマジックなのかもしれない。
以上。