どうも。
読書家の私は自分で言うのもなんだが、あまり読書力が高くない。一流の書物を理解し吸収するだけの脳みそや感性が足りないのだと自覚している。
まあそんな自分を嘆いていも仕方ないので、理解できる範囲で楽しませてもらっている。
そんな私なので、たまにキャパを超えてしまう作品に出会う。若い頃は必死に食らいついていたが、今では「そうですか」と本を閉じてしまうことが多かった。あまり時間がないからというのもあるだろうし、根気が無くなってきているのかもしれない。
で、今回紹介する本である。
名前は『謎の独立国家ソマリランド-そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア 』というアホみたいに長いタイトルに相応しい500P超えの大作である。ハードカバーだし読んでいて手が疲れること疲れること。あー、Kindle買おうかなぁ。
実際の書籍を見るとその重厚感にまずやられるのだが、見た目よりも実は中身の方が重かったりする。
正直に言おう。この作品は私のキャパをラクに超えている。というかほとんどの人は追いつけないんじゃないだろうか。
そんな作品なのになぜかページを捲る手が止められない。読むのを止められない…。
Amazonの評価を見ると異常な数の高評価がされている。まあその辺りも含め、いかにこの作品が「手に負えない」作品なのかを伝えていきたいと思う。
それがこの作品を伝える1番の方法だと思う。
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世界観がめちゃくちゃ
まずこの本は辺境の地を愛する著者高野秀行による、内戦の絶えないアフリカの角と呼ばれる「ソマリア」の旅行記となっている。
主だった目的は、リアル北斗の拳状態のソマリアの中に、独自のシステムや政府を確立したと言われている謎の国家“ソマリランド”の正体を突き止めること。地上のラピュタとも称される地はどんな姿をしているのか…。
というものなのだが、これがもうめちゃくちゃである。
まず情報量が半端じゃない。
あまりにも日本とは、いや私達が知っている世界とはかけ離れているので、ソマリアの常識を理解することから始まり、そのシステムや慣習、空気感まですべてが未知のものだ。
さらには諸外国からの政治的介入やイスラム国も絡んできたりと、私のちっぽけな脳みそはヒートアップ寸前。病院の待合室で読んでいたのだが、体調が悪いんだが、熱に浮かされているんだがよく分からない気分になった。
何だよ、人の命がヤギ200頭って。命さえも物々交換って。
異常なまでの熱量
ソマリアは日中、何もする気が起きなくなるぐらい暑いらしい。その熱量はページを通してこちらまで伝わってくるぐらいである。文章に目を落とせば、そこには過酷なソマリアの大地が広がっており、日本人の気質には到底合わないであろう道徳心の欠片もない人間たちが蠢いている。
たまに呼吸を確かめるようにページから顔を上げないと、窒息してしまいそうになる。そんな熱量に満ちているのだ。しかもそれが500P以上続くという…。
生半可な気持ちじゃ読めないし、楽しめないだろう。当然これは褒めているつもりである。
覚醒植物が美味そう
ソマリアでは合法とされている麻薬がある。それが覚醒植物“カート”だ。
見た目はこんな感じ。ただの葉っぱである。
ソマリアの人たちはこれをどうするのかと言うと、
そのまんま喰う。ただそれだけ。超豪快。超適当。それがソマリアの流儀なのだ。
大勢が集まるとこんな感じ。作中では草食系男子と表現されていた。
ちなみに著者の高野氏がこちら。左側でカートを嬉しそうに抱えている男性である。
本書を読めば分かるが、著者の高野氏はどうしようもないぐらいのカート中毒である。カートがないと仕事ができないくらいだ。(まあそれはソマリア人の気性の荒さのせいもあるのだが…)
そのせいか、カートを摂取した後の描写がいちいち秀逸で、まったくカートに興味ないこちらまで何か虜にさせるものがある。はっきり言って美味そうだ。少し欲しい。もちろん日本では犯罪である。
麻薬がもたらすもの
ソマリランドはリアル北斗の拳とも言えるソマリアの中で、奇跡的に平和な状態を保っている(国境付近は危険だが)。
だが基本的にソマリアは治安が悪いし、そもそも気候が悪い。暑苦しい中で人は仕事をする気にならないだろうし、勝手にストレスも溜まる。産業もほとんどない。みんながお金に困っている。
そんな強烈なストレスが日常になっている社会では、カートのような麻薬は必要不可欠なのだ。
そうでないと人はバランスが保てなくなる。カートありきの社会なのだ。
日本でもそうだが、社会や習慣の中にストレスを発散する快感ポイントのようなものがある。娯楽や食文化などがそうだ。
その快感が強ければ強いほど、ストレスに耐えうる社会になるということだろう。だが、なまじ耐えられてしまうからこそ、いつまでも発展しないとも言える。だって、どれだけ苦しくてもカートを食べれば「幸せ」になれるのだから。
話はそれるが、その逆を行くのがイスラム原理主義だ。彼らは極端なまでに禁欲的な生活を強要している。音楽でさえも処刑の対象になるぐらいだ。
娯楽があるからこそ人は堕落するし、余計な欲が出て来る。
しかし娯楽を排除すれば、人の心に余計な脂肪がつかなくなる。ストレスの少ないある意味平穏な社会になる、と考えているんじゃないだろうか。
これはあくまでも私見である。
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疲れます
著者の高野秀行氏は完全にイカれている。他人が知らないことを知るために生きているような存在だ。そんな奴、異常者以外の何者でもない。
そんな著者の旅行記、しかも辺境も辺境の地だ。文章を読んでいるだけで疲れてくるのは、否定できない。さきほども書いたが、たまに休まないと窒息しそうな錯覚を覚えるのだ。
横暴なソマリア人の対応もそうだし、人を騙すことを何とも思わない彼らの振る舞いは結構なストレスを誘う。さすがの高野氏もフラフラになっていた。
こちらは読んでいるだけなのだからまだマシと言えよう。
なぜこんなにも評価されているのか?
本来ならば大ヒットするような本ではない。マイナーもマイナーである。だがAmazonの評価は軒並み好評価だ。
読書というのは未知の世界を覗くことであり、それと同時に今の自分がいる世界から離れる行為である。
その効果を狙うのであればこんなにも“異世界”に連れて行ってくれる作品はないだろう。旅行記という形式を取っているので著者とリンクできるし、ソマリアなんていう人生で絶対に足を踏み入れない地だ。さらには日本の対極のような不安定で、暴力的で、野蛮な土地である。極めつけは覚醒植物カート…。
この世界に本読みが没頭しないわけがない。
本書の中身は非常に興味深いものだが、不快なものも多分に含まれている。読んでいて辛い部分が多いのだ。
だがそれは「本に振り回されている」とも言える。たとえ不快だったとしても、それはその本から得た感情なのだ。
読者のほとんどが振り回されたからこそ、こんなにもみんな高評価を付けているんじゃないだろうか。というか「褒めざるを得ない」という感じ。
高野秀行は確実に変態で、とてもじゃないが真似はできない。作品の情報量も半端じゃない。知識としての希少価値も高い。誰も取材に行かないのだから。
これだけのポイントが並ぶと、我々平和ボケした日本人は作品の前にひれ伏すしかないだろう。
素直に降参である。
比べることでしか分からない
人間は間違い探しが得意である。違いを見つけることでしか自分を確立することができないからだ。違いを感じられなくなると動物になるだろう。
ソマリアの中にある“地上のラピュタ”も、“リアル北斗の拳”状態のソマリア国内の様子も、知った所で人生に何の影響もない。遠くの地で多くの血が流れても我々の平和は変わらず続く。
だが、知ることでしか、比べることでしか分からないことは確かにある。比べることでしか気付けない価値がある。
それがこの本の魅力なんじゃないかと思っている。
ほんの一部でしかないが。
以上。
謎の独立国家ソマリランド | ||||
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