俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

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何に気付くかが人生を決める。穂村弘『絶叫委員会』

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どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

感性について考えさせられる本と出会ったので、ご紹介。

 

内容をざくっと説明

 

 

町には、偶然生まれては消えてゆく無数の詩が溢れている。突然目に入ってきた「インフルエンザ防御スーツ」という巨大な看板、電車の中で耳にした「夏にフィーバーは暑いよね」というカップルの会話。ぼんやりしていると見過ごされてしまう言葉たち…。不合理でナンセンスで真剣だからこそ可笑しい、天使的な言葉の数々。 

 

フォロワーの方のレビューを読んで面白そうだったので手にとった『絶叫委員会』。なかなか強烈なタイトルである。

作者である穂村弘の作品は、まったくの初めてだったので少々心配していた。私は人間相手だと人見知りはまったくしないのだが、本になると「作者見知り」みたいな現象が出てしまう。作品との距離感が測れなくなって、なかなか入り込めなくなることがある。

 

だがそんな心配は必要なかった。

エッセイなのに雑多な感じはまったくなくて、流れるような言葉選びでスイスイ読ませるし、ときにはじっくり楽しませてくれるしで、大満足の一冊になった。

 

 

『絶叫委員会』の魅力をまとめると、こんな感じ。

 

上質な俳句と出会ったときと同じ感動

「言葉を味わう楽しみ」を思い出させてくれる

世界に散らばって埋もれていた宝物を見つけてくれたような感覚

作者の穂村弘の不器用ながらも暖かい人柄がページ越しに伝わってくる。きっとこの人は変人。

 

では、以下に本書の魅力と、本書を読んで私が考えたことなどをつらつら書いていく。

 

 

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自由律俳句と初めて出会ったときと同じ感動

 

中学のときだったか、国語の授業で自由律俳句を学んだ。

 

「咳をしても一人」

「分け入っても 分け入っても 青い山」

 

などなど、超有名な句たちである。

形式にはまった俳句しか知らなかった私は非常に衝撃を受けた。

 

たぶん私が「言葉」というものの魅力に、人生で初めて気付いた瞬間だったと思う。20年ぐらい経ったが、今でもあの感動は覚えている。 

そのときの感動と同じ種類のものを私は『絶叫委員会』で感じてしまった。

著者の穂村弘が日常で出会い、拾い集めてきた「言葉」たち。なんとも言えない絶妙な魅力に溢れていて、そこにはその言葉を生み出した人の発想のきらめきがある

 

私もこうやって日々、文章を書いている人間なので分かる。言葉とは発想なのである

発想というものは、やろうと思ってできるものではなく、その人自身の価値観や、普段の行動、生活すべてが混ざり合って、あるときふと自然に出てくるものだ。

自由律俳句もそうだが、そうした発想に人は感動を覚える。芸人のボケが秀逸すぎると、笑うよりも先に感動してしまうのと同じである。

 

 

言葉を味わう、という楽しみ 

 

小説などの本を読むとき、その楽しみ方というのは、主にふたつある。

 

 

ひとつはストーリーや知識などを「知る」という楽しみ

もうひとつは、文章や言葉そのものを「味わう」という楽しみである。

 

『絶叫委員会』は後者の「味わう」楽しみを、存分に私たちに教えてくれる作品である。

どうしてもエンタメ側の作品を選びがちな私は、小説を読むときも勢いに任せてしまうところがあるので、「知る」 だけの快感で終わってしまうことが多い。

なので、『絶叫委員会』を読んだときに思い出した。「言葉を楽しむって、こういう感覚だったな」と。

 

作家の選び出した言葉や表現を楽しむためには、じっくりとその奥深くにまで思考を伸ばす必要がある。表面の字面を撫でるだけでは真価を感じ取ることはできない。

 

穂村弘が拾ってきた言葉たちを、美味しい料理を味わうように、頭の中で言葉を転がす。少ない文字数の中に秘められた「おかしさ」や「価値観」、そこにある唯一の「発想」を感じ取ってみてほしい。

 

 

変人、穂村弘

 

『絶叫委員会』では、穂村弘がこれまで出会ってきた「ちょっと魅力的な言葉」を多数紹介している。

本書を読んでいて感心したのは、その言葉たちを穂村弘がいちいち覚えていたことである。

私たちの脳みそは、必要ないと判断したことであれば、恐ろしいまでに忘却していく。

逆に必要とあれば、本当に些細なことでも鮮烈に覚えているものだ。

 

カラーバス効果という言葉をご存知だろうか。

普段から意識している事柄があると、その事柄に関係する情報が勝手に集まってくるような感覚があることを言う。

穂村弘は普段から言葉への感度が高いのだろう。これは言い換えるならば、極度の「言葉フェチ」ということだ。男がついつい露出度の高い女性を目で追ってしまうのと同じように、穂村弘は世界に散らばっている「言葉」を見てしまうわけだ。間違いなく変人である。マニアとも言えるだろう。

過去の記事でも書いたことがあるが、マニアというのは非常に役立つ。他の人では想像もできないような労力を、特定の分野に使ってくれるからだ。穂村弘はそれこそ人生のほぼすべてを「面白い言葉を探すこと」に費やしてきてくれたわけだ。だからこそ、『絶叫委員会』のような本が書けるのであり、私たちは自分で拾ってくる必要もなく、家にいながらあらゆる「面白い言葉」を享受できるのである。マニア万歳。

 

人生とは、何に気付くか

私は常々思っているのだが、やはり「人生とは、何に気付くか」である。

穂村弘の場合であれば、「言葉」に気付く人である。

 

気付く、ということはさきほどのカラーバス効果の例と同じで、普段からどんなことに価値を置いているかによる。

気付いたときのある種、世界が拓けるような感覚は、まさに自身の知見が広がっていることを体感しているからだろう。それくらい、私たちは普段からほとんどのことを見過ごして、やり過ごして生きている。

興味がなければ、見ても何も感じられない。それは見ていないことと同じで、やはり本人の感度の高さに依るところだろう。気付かない状態というのは、「気付けない」場合が多い。能力が足りていないのだ。

そういえば、以前ダウンタウンの松本人志が「売れてない芸人は、一緒に遊びに行って、一緒に面白いものを見ても、気付かない」といった趣旨の発言をしていた。

結局はそういうことなのだろう。

 

同じ本を読んでも、感動したり学んだりすることは、人それぞれである。

違うことは全然構わないし、そうであるべきだと思う。それぞれが考えているからこそ、違いが生まれる。

何よりも問題なのは、何も感じられないことであり、気付けないことなのである。

考えない人は感じられないし、気付けない。考えないのであれば、何のためにその脳みそはあるのだろうか。便利だからぜひとも使ってほしい、と思ってしまうような人は世の中に多い。

 

 

おまけ

 

ちなみに、蛇足ながら私の「絶叫委員会」をひとつ紹介しよう。

昔観たドラえもんの映画で、ジャイアンが叫んだセリフである。

 

「俺だって孫悟空になりてえよー!」

 

『ドラえもん』の世界の中では無敵の王者である彼も、実は作品内で役割を任されたキャラクターの一人でしかなく、主役を演じることは絶対にない。そんなメタな視点が加わった、けっこう強烈なセリフである。妙に頭に焼き付いている。

 

ちなみに、このブログのタイトルは、そこから取ったわけではなく、たまたまである。

 

以上。

 

 

 

こちらも面白そうなので、次読む予定。